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日蓮大聖人・池田大作

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後記  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  今回の全集は、第二十一巻の発刊となる。随筆編としては四冊目の刊行であり、『私の人物観』『忘れ得ぬ出会い』『心に残る人びと』の三冊を収めた。
 これらは雑誌「潮」と「サンデー毎日」誌上に掲載されたもの等がまとめられ、昭和五十三年六月から五十六年十一月までの三年余に、それぞれ単行本となったものである。ひと口に三年間で三冊の随筆発刊というが、その背景を考えれば、これはまことに驚嘆に値するといって過言ではない。
 連載そのものは昭和五十二年冒頭から始められている。昭和五十二年以降といえば、創価学会の前途をはばむ障魔がその暴威を振るった波瀾の時節である。筆者の体調も決して良好でなく、一刻の安息もままならぬ日の連続であったと聞き及ぶ。最高責任者として一人立ち、襲いかかる障魔に対して炎の戦いを展開していた折のことである。
 かかる熾烈な時間の経過のなかで、みずみずしい随筆が、単行本にして三冊分も書き綴られたのである。そしてこの執筆自体も、広布を推進する事業の一環に過ぎなかったことにも、最初にあえて触れておきたいと思う
 巻頭に収めた『私の人物観』には、十八名の歴史的人物が列挙されている。芸術家、哲学者、科学者、政治家等多岐にわたる。
 まずガンジー、トルストイ、アショカ玉、そしてベートーベンであり、ヴィクトル・ユゴー等である。
 いずれも歴史上独自の光彩を放つ人々であり、共通して不屈の人、精神の巨人であり、泰山の如き生き方の人ばかりである。
 著者は無名の庶民のなかにも、みごとな生涯を貫いた人々が多いことを知りながら、あえて著名人ばかり十八名に光をあてた。それは読者が、普遍的で共通の理解の場に各々立つことができると考えた著者の配慮からである。著者はそのうえで十八名の生き方を通し、一個の人間性の″根″の部分に触れていくのである。
 根の部分とは、まぎれもないその人自身の素顔でもある。多種多様なとれらの素顔を澄んだ目で見つめ、みごとに照射しゆく文体の冴えはまさしく筆者ならではのものである。本書が「偉人論」にあらず「人間論」であるとの高い評価をかち得ている所以もこのあたりにあると思われる。
 また短い紙幅に述べた人物観でありながら、その人物についてのホシとなる視点が数多く盛り込まれ、本書の厚みとなっている点も見落とすことはできない。その意味では宝庫の一書でもあろう。
 さて冒頭に置かれた人物は、インドのマハトマ・ガンジーである。彼が非暴力による不服従の抵抗運動を生涯貫き、最後に狂信的なヒンズー教徒の放った三発の凶弾に倒れたことは周知の事実である。筆者はこうした動かざる史実を追いながら、事実の奥に隠された深い魂の真実を鮮やかに読みとり、豊かな文面にとどめている。
 「ガンジーの生涯の偉大さの一つは、真理を求めてやまぬ哲学の『魂』と、それを詩に終わらせなかった行動の『汗』とが、美しく融合していたところにある」「ガンジーは幾度も死線に生きた。その激しい断食による抗戦をもって、彼は死のなかから真理の剣を突きつけたのである」「瀕死の淵からはたと見つめる必死の眼は、傲慢の権力者を、揺さぶらずにはおかなかったのである」――こうした鋭い照射は、従来のガンジー観に新たな一頁を加えたものと見たい。
 またトルストイについては、まず小説『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』そして晩年の『復活』と彼の代表作品を掲げ、その小説を書き進めるなかにおいて、トルストイ自身の人間観が次第に深まりゆく過程に触れている。
 苦悩するトルストイの眼がとらえたものは、所詮、人間のなかの神であり、その神も人間精神の最高峰としての神なのであった。これら一流の人物への確かな人間観は、常に崇高な生き方を人々に示唆してやまぬものであろう。
2  『私の人物観』に引き続いて収めたのは『忘れ得ぬ出会い』である。ここには、有名無名織りまぜて三十名にのぼる人々が登場している。
 このなかでは「初老の駅員」「小学校の担任楢山先生」「周恩来首相と桜」「ある農家の主婦」等、名随筆として知られているものも多い。
 「初老の駅員」では、五十年配の詰め襟の駅員が、満員の出征列車に乗っている一人の兵士を探すために懸命の汗を流す光景が描かれている。兵士と母、兵士の弟の著者。その三人の束の間の出会いのために、駅員はメガホンをたずさえてホームを往き来し、ついに兵士を列車の窓側に呼びだすことに成功した。
 人が人に対し、われを忘れて懸命につくす姿ほど美しいものはない。善意の行動に込められた誠意は、常に一幅の名画にも等しい人間模様を描きだす。厚い人情や人間愛の灯も随所にともされ、まことに心温まる随筆集となっている。
3  最後に『心に残る人びと』であるが、本書には前述した雑誌「潮」に掲載されたもののほか、新たに書き下ろされたものを含んでいる。
 すなわち「潮」の掲載期間は昭和五十四年三月号から同五十六年五月号までであったが、その後、著者が旧ソ連、東欧、西欧を訪れた際に会見したチlホノフ・旧ソ連首相、フランスのポエール上院議長等のものも加えることとなり、いっそう充実の度を加えての発刊となった。なお「潮」掲載のものにも、その後、若干の加筆がみられるのでお断わりしておきたい。
 『心に残る人びと』は、随筆としては『忘れ得ぬ出会い』と趣を同じくする印象記の感があるものの、こちらは同じ出会いの相手が、すべて一国を代表する知性三十名となっている。思想や信条もほとんど異なるこれらの人々と、著者は人間としての生き方を介して人種、国境を超えた心の触れ合いを和気あいあいのうちにかもしだしている。著者とこれらの人々との間に交わされる対話は、みごとな友情の虹を描きながら、さらに国際的な金の懸け橋にまで及んでいくに相違ない。胸襟を打ち聞いた対話は、温もりのこもった人間味を生み、人々の帰るべき心のふるさとを作りだす源泉となるであろう。
 以上三冊の随筆集はともどもに味わい、深く、人生の水源たり得るものばかりである。
    平成四年七月十七日

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