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ブルガリアを導く″獅子″ ジフコフ議長…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  私は驚いた。七月の二十一日、ブルガリアの元首、トドル・ジフコフ国家評議会議長の息女であり、文化大臣であるジフコワ女史の逝去の知らせを受けた。女史とは、本年(一九八一年)五月にお会いしたばかりであったからである。
2  ブルガリアの首都ソフィアの空は、すがすがしく晴れ渡っていた。五月二十日午後四時、街のすべてが緑の公園のなかにあるかのような都ソフィアを訪れた。私にとっては初訪問である。
 滞在三日目、私はジフコフ議長を表敬訪問した。場所は、国家評議会の建物内の議長執務室であった。
 「ようとそ、ブルガリアの賓客として、心から迎えます」
 張りのある声、にこやかな笑顔で迎えてくれた。親日家であり、この国を二十五年を超える長きにわたって舵を執りつづけてきた議長であり、東欧における最長不倒の指導者といわれている。
3  闘志が胸に燃えている人であった。それでいて、じつに気さくで、なんでも隔てを措かずに話ができる人であった。対独パルチザン運動以来鍛え抜かれたものであろう。がっしりとした肩幅に精悍さが包まれていた。
 折から、ソフィアはブルガリア建国千三百年祭のさなかにあった。私は、そのお祝いと、平和のために着実な文化、教育の交流を推進していく心情を述べ、ブルガリアへの招待に心からのお礼を申し上げた。
 ジフコフ議長は、これまで二度、日本を訪問している。わが国の経済成長に大きな関心を寄せつづけてきた人でもある。
 「日本とブルガリアの関係は、良くなっております。将来もさらに良くなるでしょう」
 一気にそう言って満足げにうなずく議長であった。
 国家あげての建国記念の祭典には、各国からの賓客が相次いでおり、ジフコフ議長は多忙であったにちがいなかった。私は、儀礼のあいさつにとどめ失礼させていただく予定であった。すると、ジフコフ議長は穏やかななかにも、語気を強めて「どうぞゆっくりしてください」と言うのだった。さらに「名誉博士の称号、おめでとうございます」と言われた。
 前日、私は国立ソフィア大学で、名誉博士の称号を贈られていた。また、要請によって「東西融合の緑野を求めて」と題し、記念講演も行った。そのことを議長は言われたのである。
 対する者の気持ちを弾ませるようなジフコフ議長の、あけっぴろげの明るさに誘われて、日ごろ心にかかっていた一つの提案を言ってみた。それは、この国の接する黒海の蘇生、浄化といった問題である。
 黒海は、水深二メートル以上のところは、塩分が多く溶存酸素が少なく、魚類が棲息しない。加えて近年、各河川から流れ込む泥土で、ヘドロ化さえ懸念されるようになり、塩分の少ない北岸で行われていた漁業が難しくなり、魚が棲めない状況にあるという。まことに残念なことだ。
 この黒海を、二十一世紀をめざして、魚のたくさん棲む豊饒な海へと蘇らせることができないものか――やや唐突ではあったが、私は、ロマンを込めて提案したのである。
 「いいでしょう。素晴らしいアイデアです」。明るい驚きのような声とともに、ジフコフ議長は応じた。
 「沿岸の国々と協力して、互いに武器を少しずつ減らして、取り組んだらどうでしょう」私が包まずにこう言うと、議長はじつに大きな声で、朗らかに笑った。「お互いに武器を減らさないことには、それは不可能です。現状は、アメリカに対してソ連、NATO(北大西洋条約機構)に対しワルシャワ条約機構と、緊張関係がある。その緊張緩和へ、互いに努力しないといけない」
 ジフコフ議長は、手堅く現実的な政治を進めていく実務家との評がある。このとき一瞬、沈着な色が穏やかな表情をよぎった。しかし、現実のなかにロマンを見いだそうとする心もさすがに持ち合わせていた。「いつか、レーガン米大統領に会ったら伝えてほしい。ブルガリアと共同で黒海をきれいにしましょう、と」と言って、再び相好を崩していた。
 ジフコフ議長は一九一一年、ソフィアに近い村に、貧農の子として生まれた。小学校を卒業し、印刷工に。それから共産主義運動に身を投じ、ファシスト支配の暗黒時代に激しく闘った。三十歳のときに独ソ戦争が始まると、対独パルチザン闘争を組織し指導した。このころ秘密警察につけねらわれ、逮捕、投獄を繰り返した。戦後、三十代後半の若さでソフィア市党第一書記や市長に、そして五四年には党中央第一書記に、と着実に官歴を踏んで、以後、長く政権を担当して今日に至っている。
 ジフコフ議長の明るさと逞しさは、ブルガリアの安定した政治と経済発展をもたらした自信から発するものといえるかもしれない。
 その経済の問題についても、ジフコフ議長に聞いてみたいことがあった。重工業も重要だが、国民生活を豊かにするには、軽工業にも力を注ぐ必要があるのでは――私は、率直に質問した。すると「同感です」との答えが返ってきた。最近は、軽工業を重視している、とのことである。
 「民間の生活レベル、文化レベルを上げたい。物も豊富に欲しいし、本をもっと普及させねばと思っています。パンは豊富にあります。が、問題は文化のレベルを上げることです。広く知識を求めるための本が、たくさん必要です。一軒の家に、図書館のように本をそろえたい」――。
 ジフコフ議長は、情熱的に、一気に語った。一軒の家に、図書館のように本を――。そういえば「九月九日広場」にあるディミトロフ廟に献花した帰途、周辺にブック・フェアが盛大に聞かれていたのが印象に残っている。
 最後に私は「文化、教育の交流は、一歩具体的に進めてまいりたい。きのうも文化大臣にお会いして話し合いました」と申し上げた。
 その文化大臣は――ジフコフ議長の息女であり、議長の片腕ともいうべきリュドミラ・ジフコワさんである。国家の文化大臣として、うってつけの若き指導者であったといってよい。まことに気品ある聡明在方であり、お父さんゆずりの明るく穏やかな人柄を感じさせる女性であった。ジフコフ議長との別れぎわには、私は、国家のために、また愛する人民のために健康に留意されるようお願いしたところ、「ありがとう。二度、三度とまたお会いしましょう」と、屈託ない笑みを浮かべておられた。
 翌朝、秘書官が私の宿舎に「議長からです」と贈り物を届けにとられた。それは、獅子をかたどった、中世紀の、金色の楯を模刻したものであった。獅子といえば、思いあたるところがあった。それは、ソフィア大学での私の講演のなかで、獅子はブルガリアのシンボルであるが、同時に仏法でも重要な意義がある点にふれていたのである。
 建国の獅子の一人――ジフコフ議長への親近感が、いっそう湧き上がるのであった。

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