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二十一世紀への日ソ教育交流 ホフロフ・…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  モスクワ大学のR・V・ホフロフ総長が故人となって四年を経た。私の二度のソ連訪問で、最もお世話になった、忘れ得ぬ人である。その声容は、なお生きいきとして私の耳目に蘇る。
 総長は、放射線物理学を専門とする、将来を嘱望された科学者であった。
 精励な学究らしい引き締まった面持ちをされている。ひとり実験室に閉じこもれば、どこまでも深い思量に沈んでいくような研究者ぶりである。しかし、その人間性の底には、どこか温かな人柄がにじみでているのである。いつも、穏やかな徴笑を絶やされないのであった。
 一九七四年九月、初めてのモスクワは、木立の葉が日に日に色づいて、秋の深まっていくのが感じられた。総長は、その多忙な職掌にもかかわらず、多くの行事に加わって、友好を深めようと努められた。
 レーニン丘に立つ大学校舎は、天を摩するように幾層楼をなして、じつに壮観である。その二十一階の展望台に立って、一望坦々たるモスクワの市街を観望しながら、あるいは緑深いキャンパスの片岡のベンチを分かち合いながら、私は、総長と教育について語り合った。
2  モスクワ大学は、その内容もまた十六学部の教員、学生を合わせて約五万人を算する壮大な規模である。「モスクワ大学と比べれば、わが創価大学は孫みたいな存在です。しかし、二十一世紀にはモスクワ大学に匹敵する存在に、というのが私の夢なのです」と私が言うと、総長は「大きいから必ずしもよいとはいえません。モスクワ大学もまた二十一世紀の専門家をつくることを目的としています」と答えておられた。
 ある一夜、ロシア料理のレストランに招待してくださった。それはトルストイやチャイコフスキーらが去来したこともあるという格式ある店であった。
 店の入口で、パンと塩を持った人形に出迎えられた。電動式であろうか、前後に体を揺さぶって私に話しかけてくる。思わず見つめる私の表情を見てとって総長が解説された。
 「ロシアの習慣として、パンと塩で出迎えました。このパンはシベリアの小麦でつくったものです」
 これは客を迎える農村特有の慣習である。壁も柱も白木を組んで昔の面影を再現した、閑雅なレストランである。壁ぎわの角灯の淡い灯も幾十年も前の光のままに感じられた。このような場所を選ばれた総長の心温まるもてなしがその場の随所にあらわれているようだった。心に残る歓談のひとときを過ごしたのである。
 エレーナ夫人には、そこで初めて、お目にかかった。やはり科学者とうかがったが、総長の発言には明るい微笑を浮かべて耳を傾けておられる。お二人のあいだにさりげなく通う愛情の絆というようなものが感じられたものである。
 このほか、昼餐会を催して歓迎してくださったり、ボリショイ劇場にご招待をいただき、夫妻と一緒にバレエを鑑賞したりという、くつろぎの機会を設けてくださった。
 私のソ連滞在は十日間であった。シェレメチェボ空港から発つ夜も、総長夫妻は見送りにこられた。そのとき、私は「ぜひ、日本でお目にかかりたい」と希望を申し上げた。
 日本での再会は思ったより早く実現することになった。その年の十月末から十一月にかけて、つまり一か月半後、総長夫妻の来日される機会があり、この折に旧交を温めることができたのである。歓迎の晩餐会にお招きし、創価大学、創価学園にもご案内した。そして、十日間の日本訪問を締めくくって、私を訪ねてくださり、再びモスクワで会いたいと言われた。
3  翌七五年四月、総長からの手紙には、次のようにあった。
 「モスクワには春がやってきました。雪が全く解けて、町は緑に包まれはじめております。咲き盛るリンゴの花を大学の窓から眺めながら、再び私たち共通の諸問題について話し合えたら素晴らしいことでしょう」
 明くる五月、二度目の私の訪ソは、ソ連作家同盟の招待によるものであった。そのときのモスクワは総長が書いて寄こされたように、リンゴの白い花が咲きこぼれ、木々の若葉が美しく出そろった、春の盛りであった。
 一週間のモスクワ滞在中、ボリショイ劇場でのショーロホフ氏生誕七十周年記念式典やコスイギン首相との再会といった日程の合間に、モスクワ大学ではいくつかの記念行事が用意されていた前回の訪問のときに贈呈させていただいた三千冊の日本語図書を公開するブック・フェアの開会式で、私は総長と一緒にテープにはさみを入れた。その折、総長は、創価大学に三千冊を贈書したいと申し出られた。また、両大学間の教育交流のための協定が調印された。総長の尽力によって、教育交流はスムーズに軌道に乗っていったのである。
 私に「名誉博士」の称号が授与される儀式が総長室で執り行われたのもとのときであった。卒業生の楽手による荘重な弦楽四重奏が流れるなかで総長は心から嬉しそうな表情で見守ってくださった。式のあと、私は、大学の文化宮殿で「東西文化交流の新しい道」と題して、一時間半ほどの記念講演をさせていただいた。
 「そうです。精神のシルクロードをともに通わせましょう」――諸行事のあと総長の言われた言葉が、今も心に深く刻まれている。

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