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「青年は希望」と説く作家 巴金氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  伊豆は、春たけなわである。新緑のさきがけが目に染みるように美しい。野広い庭の花床や雑木の小杜に、やわらかな日差しが降りそそいでいる。
 そんな四月(一九〇八年)の昼下がり、学会の静岡研修道場で、中国作家代表団の団長として来日中の巴金ぱきん氏にお会いした。
 巴金氏は、中国作家協会の第一副主席という要職にあり、『家』『寒夜』などの著作で世界的に知られる、中国文学界の重鎮である。一九二九年、処女作『滅亡』で文壇に登場していらい、激動の中国現代史のなかで、ひたすらペンを走らせてきた。
 わざわざ伊豆にお招きしたのは、スケジュールに追われた都会の喧騒から離れ、ひととき自然の慈しみのなかに憩っていただきたいためだった。また、作家の謝冰心しゃひょうしん女史、林林りんりん氏らも一緒にみえていた。
2  ちょうどこの日、東京の女子中学生たちが来所していた。私は、若い人びとが、さまざまな人物に接することは、なにものにも代えがたい教育だとつねづね思っている。歓迎をお願いすると快く応じてくれ、彼女らの愛唱歌を歌って一行の来着を迎えてくれた。はつらつとした明るい歌声に静かに耳を傾けておられた巴金氏は、歌が終わると、ほおを紅潮させている少女たちに、こう語りかけられた。
 「本当にありがとう。青年は人類の希望です。中日両国の青年は、また両国の希望です」
 そして世々代々とつづく友好への願いを話され、日本を訪問し、友好の道を開いているのも、若い世代の青年たちのためである、と訴えておられた。
 「若者の成長を見ると、嬉しくてたまらないのです」
 と、氏は、目縁に笑みを浮かべていた。少しも飾るところもなく、ひたすら、若い人たちに語りかけずにはいられない、といった氏の心の弾みが伝わってくるようであった。
 「青年は人類の希望です」――。この言葉が氏の心のなかにどれほど深い重みをもっているかは、その前日、東京の朝日講堂で行われた氏の講演にも明らかである。氏は二十三歳で混乱と矛盾に満ちた祖国を脱出し、パりに行った。「世を救い、人を救い、自分を救う道を捜し求めて」苦悩に沈む日々がつづく。そんなとき、当時、広くサッコとバンゼッティの冤罪助命運動が繰り広げられていたが、そのバンゼッティの一文に心をひかれて、彼に手紙を出す。ようやくきた獄中からの返書にあったのが「青年は人類の希望だ」という一句だった。バンゼッティはやがて処刑されてしまうが、残されたこの言葉が氏の活路を開く希望の座右の銘となったようである。以来、氏は、矛盾に満ちた社会に対する憎しみと、そこに苦吟する人びとへの愛とを、一行また一行と、ぺンに託すことを自らに課した。こうして文学者・巴金は誕生したのであった。
3  「ご講演の内容の一つ一つが、私の心を電撃のように打ちました」。私は、率直な感想を交えながら、とくに感銘をうけた氏の言葉を申し上げた。「命のあるかぎり、ひたすらペンを執りつづける作家でありたい」と語られたこと、あるいは「私は、敵との戦いをこれまでやめたことはない。敵とは、あらゆる伝統的意識、進歩と発展を阻害するあらゆる不合理な制度であり、今後もこれらと戦いつづけるであろう」と言われたことなどがそれである。
 「『生活こそ師』であるとのお話も、万鈎の重みのある、現実体験からの結晶でしょう」とも所感をお話しした。
 「それは、私を勇気づけてくださる」と、氏はあくまで謙虚であった。

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