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日蓮大聖人・池田大作

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インドの未来を見つめる逸材 バジパイ外…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  街路の菩提樹が麗らかな朝の日差しに包まれている。
 車窓からの風も心地よい。
 青空の底まで見えそうに晴れた、ニューデリーの一日だった。
2  インド外務省は、頑丈な石造りの建物である。緑の前庭に幾筋かの噴水が見え、その水しぶきが、淡い虹を引いている。ほの暗い省舎内の石段を、じゅうたんを踏んで二階に上がると、外相執務室がある。それを抜けた応接間に、外相は立って出迎えてくれた。A・B・バジパイ外相との会談は、私の訪印三日目にあたる、さる二月八日(一九七九年)のことであった。
 半白の髪。太い眉。精悍な風貌である。胸郭を張り、体つきががっしりしている。ただ、前日、アフリカでの国際会議から帰国したばかり、と聞いていたし、目の縁が黒ずみ、やや疲れているようにも見受けられたので、最初のあいさつのなかで、健康には十分に気をつけてほしいとお話しした。また、多忙なときに来て恐縮です、と申し上げると、外相は「インドでは、母と客と教師は神様といわれている。だから、お客さんの意のとおりに応えるのが、主人の務め」と快活に言われた。
 「教育的なことを言われる。まるで文部大臣のようですね」と私が言うと、外相も「あなたは厚生大臣みたいだ」と大笑いした。私が外相の健康を気づかったので、そう言ったのだった。まことにユーモラスな声が響いてきた。
 前日に会ったばかりのデサイ首相の枯淡な趣とは一変し、五十二歳の働き盛りの若々しさにみなぎっている。
 打ち解けた空気のなかで、私はまず、対中国関係を質問した。
 それというのも、数日後に外相が、インドの閣僚としては十七年ぶりに北京を訪れることになっていたからである。
 訪中の目的や、中印国境紛争解決の見通しなどについて尋ねてみた。
 外相は、ソファに半分腰を掛け、両の掌を合わせ、じっと質問に耳を傾けていた。そして視線を落としたまま、しばらく答えの言葉を探っているようだつた。それから、すっと両手を広げると、身を乗り出すように一気に語った。
 「中国とインドはアジアの国であり、隣国です。たとえ歴史を忘れても地理を忘れることはできない」
 「両国は、パンチャシラ(平和五原則)を守れば、問題はなんでも解決するはず」
 「すべての国と友好を結ぶのがインドの考えです」と。広げた掌がじつに逞しく大きい。国境紛争は、あくまでも話し合いで平和的に解決したい、との熱意が強く感じられた。
 この問題を皮切りに、対ソ関係、対日関係、カンボジア情勢、非同盟路線、南北問題といった外交問題について意見を聴くことができた。
3  外相の話しぶりは、男らしさにあふれた迫力があり、その声は、応接間じゅうに響きわたるほどである。ジェスチャーも大きい。さすがに学生時代からその名を馳せた名弁舌家で、人びとの心をつかむ雄弁は、今も定評がある。同時に、私の質問にじっと耳を傾ける姿勢は、全身に忍耐をもちつつ、厳としたものであった。
 かつて下院に当選し、その最初の演説で「雄弁も必要だが、雄弁と同じく沈黙を守る自制も必要」と述べたというが、品性と節度をわきまえた弁舌のようだ。その選挙演説も、他党批判や個人攻撃はせず、もつばら政策を諄々と説くのだという。
 外相は、演説にかぎらず、高潔な政治家として知られている。
 汚職、買収などの汚点をもたない、きれいな政治家といわれる。私生活の面でも、酒やタバコもたしなまず、財産らしいものももたない。公邸のほかには、住む家をもたず、地方へ出向けば友人の家や、所属していたRSS(国家奉仕団)の地方本部に寝泊まりする。家族さえもたない――。そんな話を私も耳にしていた。
 目の当たりにする外相は、たしかに身を清貧に持する純粋さと、それでいてあふれんばかりの人間的な雰囲気とを感じさせる。
 しかし、豪快さのなかに、どこか憂いのある表情を漂わせている。
 外相は少年時代からの活動に挺身してきた。その活動というのは、主として講演会やスポーツ、学習などをとおして民衆を啓発する文化運動だそうだ。
 活動家は無償で地方に出かけ、ゼロの基盤から、運動を編み上げていく。着任当初は食事や宿所にもこと欠くのが常だという。外相は、そんな困難な社会運動に、少年期から青年期の長い年月を過ごした。

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