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日蓮大聖人・池田大作

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歴史家 トインビ一博士  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  「時期としてはメイ・フラワー・タイムが最もよろしいでしょう」
 そんなトインビー博士の書簡に招かれて、若々しい緑のロンドンに、博士をお訪ねした。あのメイ・フラワー・タイムの明るい色彩に満ちた日々が、きのうのことのように、私には思い出される。
 柔らかな日差しで部屋の隅々まで明るい。質素な博士宅の応接間。桜模様の金扉風が、マントルピースの前を所得顔にはなやいでいた。懐かしいあの対談の部屋。
2  一九七三年五月十六日。対談二日目――。話題は、博士の一言われる宇宙の背後にある″究極の精神的実在″におよんでいた。ソファに長身を沈めた博士は、眼鏡の奥の普段はやさしい眼に真剣な光をたたえ、白面の額の皺を一層深くされていた。あの端正な顔立ち。
 私が質問する。「そのような唯一的存在とは、いわば宇宙に普遍するとともに、あらゆる具体的存在物のうちに現れている″法″のことをさします。したがって、それは唯一的存在ではあるが、万物の存在と離れてあるのでもない。このような″法″を唯一者として抽出する宗教とそ、真の高等宗教になりうるのではないでしょうか」。
 時を移さず、博士の回答が返る。「たしかに、人間には高度な統一性を見いだそうとする強い傾向性があります」と述べ、「この統一性を″法″として考えることができます」「″宇宙の背後にある精神的実在″は″法″であると考えられます」。
3  また一つ、私たちに重要な一致点を加えたようであった。大乗仏教への驚くほど深い造詣。そして、その濁りない声の高い響き。
 前年五月の五日間に、私たちは第一回対談を行っていた。その後、往復書簡に対話を引き継ぎ、この年の対談までには原稿用紙二千枚を超える分量になっていた。その間、若い私ならまだしも、すでに八十代半ばにあった老碩学の学問への情熱に、私は心打たれた。そして独自の巨視的な歴史観と、それに裏打ちきれた見事な時評。この日も対談は「ナショナリズムとキリスト教の関係」「一神教と多神教」「道徳再建の方途」などとつづいたが、博士の物静かな積極さは少しも崩れなかった。
 高齢からくる難聴で常に補聴器をつけておられたが、頭脳の切れ味は衰えを知らぬげであった。

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