Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

国連事務総長 ワルトハイム氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  ニューヨーク――。
 マンハッタンに林立する高層ビルのあいだを吹き抜ける風が冷たい。三十九階建て、総ガラス張りの国連ビルは、冬の柔らかい日差しに窓々を青く光らせていた。暖房の利いたロビーを、各国の人びとが、忙しげに行き来している。皮膚の色もさまざまで、民族衣装の競演といったところだ。
 昭和五十年の年が明けてまもなく、渡米した。十日には、国連本部を訪ね、ワルトハイム事務総長と会談したのである。
 エレベーターで三十八階の事務総長室へ。長身のワルトハイム氏は、両手を広げるジェスチャーで、部屋に入ってこられた。初対面である。型どおりの挨拶を交わしたあと、テーブルに着いた。事務次長補(当時)の要職で活躍される赤谷源一氏も同席され、明快な通訳をしてくださった。
 一見して、事務総長は、端正な外交官との印象である。チャコールグレーのスーツをやせぎすの長身にすらりと着となし、絶えず微笑を浮かべている。敏捷な身のこなしに、静かな雰囲気が漂う。氏はウィーン大学出身で、一貫して外交畑を歩いてきた。なるほど国連へウィーンの優雅さと、外交技術のスマートさを持ち込んだ――との評判どおりの感じである。
2  私は、国連に、かねてから大きな期待をもっていた。国家問の利害の対立や、根深い抗争を前に、国連は十分にその力を発揮していないとの批判がある。それも事実である。しかし、それらの声がいかに多くとも、当面、国連の存在に人類が抱えている諸問題を解決していく曙光を見いだす以外にない。むしろ国際的な協力の重要性は、多くの事実からみて、明らかに増している。国連を、国際連盟と同じ運命にしてはならないし、第二次大戦という戦争の衝撃の深さから生まれた人類の尊い機関を守り、育むことが平和への足掛かりとなるであろう。国連を生かすも殺すも、加盟国側にあり、さらに言えば、現代という危機の時代に生きる私たち一人ひとりの側にあるのである。
 事務総長との会談で、私が強調したのは、この点である。席上、仮称「国連を守る世界市民の会」の構想を提唱した。これは、国連を有形無形にバックアップするものこそ、世界の市民の意識の盛り上がりであると信ずるためである。
 ワルトハイム氏は、テーブルの上に両手を折り目正しく組み、深くうなずいた。
 「国連の目的と啓蒙は、まさに世界の市民の力でなされるべきものです。一人ひとりの民衆の力を結集して、国連を守ることが必要です。私が深刻に考えているのは、とくに最近の現象として、国家エゴが優先し、人類全体の利益、平和が考えられていないことなのです」
 終始、事務総長は、穏やかに淡々とした口調で語った。このとき、就任して満三年を迎えた氏である。「国連事務総長は、世界で最も不可能な任務」(リー初代総長)といわれるなか、多くの岬吟と苦渋を味わったことであろう。世界の市民の応援を、と望む心が、じかに伝わってきた。とともに、私のそれまでの国連に関する構想、提唱についても、そこから、今後の国連の在り方を考えたい、とのまことに謙虚な発言もあった。私は私なりに、一市民としての支援を固く誓ったのであった。
3  氏は五十三歳の誕生日に、事務総長に推薦された。就任後、初の年次報告では「国連の不備や不完全さを失敗のあらわれとしてではなく、組織体が、その発展の初期に必ず通過せねばならない避けがたい成長の一部として受け入れる」よう呼びかけている。国連のおかれた状況というものを率直にみて、若さと温厚な人柄で、使命感に満ちた行動をつづけてきたことは、小一時間の会談で明らかであった。
 会談では核廃絶の問題、中東情勢、キプロス問題、食糧問題など、当時の世界が直面していた課題を語り合った。
 なかでも核廃絶に関して、核戦争はなんとしても回避したい、日本が唯一の被爆国として核問題に強い関心をもっていることをよく理解している、国連の努力すべき方向は核廃絶である、と強調していたことが思い出される。これを語る柔和な目のなかに、私は強い決意を感じ取った。ご自身の最大のテーマとしておられるようであった。
 会談の最後に、私は、私どもの平和への運動の一つとして行った戦争絶滅、核廃絶を訴える一千万人の手による署名簿を手渡した。私は庶民の強い願いを秘めた署名簿に、ズシリとした手応えを感じていた。ワルトハイム氏は「非常に価値あるもので、その行為に敬意を表します。感銘を受けました」と、署名簿を大きな両手に抱えるようにした。

1
1