Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

静かに燃える目 ジョン・ガンサー氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  鷹のような眼光――といっては失礼だろうか。
 十二年前の秋、「内幕」シリーズをもって名だたるジャーナリスト、ジョン・ガンサー氏と対座した。まず私の目に飛び込んできたのが、分厚いメガネの奥から私を覗き込む炯々たる目であった。
 たんなる理知の光だけではない。機鋒鋭く急所へ切り込んでくる英知の光をたたえている。さすがに、東奔西駆、世界の第一級の人物を相手に回してきただけに、真実の的を射当てずにおかない、といった鍛え抜かれた眼光である。
 その瞬間、この当代一流のインタビュアーに、私のほうから取材してみたくなった。冒頭、互いに挨拶を交わした後、「ガンサーさんは世界における言論界の大統領でありますので、きょうは私こそ青年を代表して質問をさせてくれませんか。ことんどアメリカに行ったときは、私はゆっくりと質問を受けますから」。私は笑いながら申し入れてみた。
 すると、鷹の目が一瞬、当惑したたじろぎの色を浮かべた。「わたしは政治は好きですが、オピニオンはきらいでしてね。ご質問なさることは自由ですが、じつは池田さんの質問にわたしが答えられるかどうかわからないです」。眼光に、やや翳りが差したかに見えた。
 しかし、私は、ただ質問攻めの一方通行で終わることより、彼が秘めているにちがいない″何か″を知りたかったし、この機会を、多少なりとも忌障のない意見交換の場としたかった。わたしの女房のほうがお答えできるんじゃないかと思います……」。そう言って初めて私からそらせた視線を、隣の夫人のほうにやった。
2  この返事を確かめてから、質問させてもらったのである。まず、彼の『アメリカの内幕』『ヨーロッパの内幕』『ラテン・アメリカの内幕』『ソヴェトの内幕』といった著作の意図や反響を尋ねた。当時、日本でも内幕ものが流行っていた。氏はいわば時代の寵児だった。三十か国語に訳され、来日前に南アメリカのものを完結した、と答えたが、私も後日南アメリカの内幕』は読んだ。
 すぐ目に光は戻っていた。しかし、これは対面した初めから感じていたことなのだが、物腰も、言葉運びも、まるで氷の上を歩いてでもいるかのように、じつに冷んやりと物静かなのである。それは六十五歳の年齢からくるものではなく、持って生まれた性向のようであった。着ている薄紺色の背広も地味であり、ほとんど無表情である。やや前かがみの姿勢で、面はあげ、頭髪をオールバックに硫いた彼の静かな雰囲気は、休息する鷹の趣がある。ただ、目だけが静かに燃えて、その奥に含ませた質問の針が、いつ飛び出してくるかしれない、という冷徹さがあった。
3  つづいて私の質問は、アフリカの未来や米ソ接近、米中戦争の可能性、ベトナム解決の方向性といった国際問題から、核時代における宗教の役割、指導者論にまでおよんだ。
 当時は、アメリカのベトナム介入が泥沼に踏み出していて、アメリカ国内の学生の徴兵拒否がクローズアップされていた。「わたしも学生だったら同じことを考えるでしょう」私の質問に、彼の答えは意外にさっぱりとしたものだったが、これは本音と思えた。すると、夫人が「いや、私は夫と反対です。学生たちは口でやかましく反対を叫ぶけれど、実際はそうじゃないようです」。
 夫妻の意見が分かれた。それにしても、ガンサー氏の言葉は短かったが、人間的な一面を垣間見させるものではあった。
 指導者論では、彼は、偉大な人物としてウインストン・チャーチルの名を挙げた。インテレクチュアルな人間、バランスのとれた、物事の両側が観られる人間が好きだ、と言いながら「しかし大事件に対処してこれを克服し解決する人はインテリではない」「チャーチルは、結局は自分一人で、難題を克服していったわけです。インテレクチュアルじゃないけれど、偉大だった」とも言った。また、指導者として望ましい資質は″勇気″であり、チャーチルにはそれがあった、とガンサー氏は語った。こうした着眼点は、私も共鳴できるものだし、彼の人物観としてここに紹介しておきたいと思う。
 「こんどは逆にわたしのほうから質問したいのですが」ガンサー氏の私に向ける視線が、じっと動きを止めたように思えた。私の質問も一段落したとみたのか、攻守ところを変えることになった。彼が発した質問は、学会の現状やら、私個人の経歴やら、ということだった。
 彼は瞳を手元のメモに返して、私の答えを丹念にしるしはじめていた。彼には″メモ魔″の異名がある。ありきたりの資料に頼らず、克明にメモしぬいたノートを整理、分類し、そこからあれほど反響を呼んだ膨大な著述となったのであろう。
 彼の目が、メモと私とを忙しく往復しはじめた。

1
1