Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ある農家の主婦  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  昭和二十年、終戦の年の九月のことであったと思う。
 買い出しのリュックサックを背に電車に揺られ、千葉県・幕張の駅には昼過ぎに着いた。秋の日差しが舷しいほどに晴れ上がった一日だった。
 ホームに立って一息つくと、潮風の匂いがする。わずかな家並みのすぐ向こうは海である。それと反対側に田園地帯が広がり、木立を背景に、点々と農家が見える。たった今、東京の焼け野原を抜けてきた私には、あまりにも平和な別世界だった。
 私は、軽い目まいを感じた。電車の殺伐とした混雑から、いきなりまばゆい光の中に身を置いたせいばかりではない。私は、胸を患っていた。疎開先の大森から数時間の道のりが、病巣をもっ身を消耗させたのである。
 容赦ない日照りだった。それに、いつものように微熱が出はじめている。身の内から、けだるさとともに汗が噴き出し、私は足をとめた。駅から三十分ほども歩いたろうか。折から、道に面するイモ畑で、十数人の買い出し客が、お百姓さんたちとあちこちで盛んに交渉している。私も近寄っていった。麦ワラ帽子をかぶったそのお百姓さんは、中年の婦人である。
 「だめだめ。きょうは何もとった物が無いからね。けさから、ずっと断わりつづけだよ」
2  畑の真ん中で、おかみさんは首を振っている。買い出し客は、なおも執勘に懇願したが、おかみさんが「すまないね」と背を向けて再び野良仕事にとりかかると、ぶつぶつ言いながら諦めて行ってしまった。私は一人、その場に佇んでいた。どうにかして食糧を手に入れようという願望よりは、田園のたたずまいに魅せられていたのである。イモ畑の白く乾燥した土を眺めていると、おかみさんは、しばらく私のほうを見ていたが「あんた、どこからきただね」と、仕事の手を休めた。朴訥さのなかに、どこか温かみのある口調である。
 「東京の、蒲田からです」「カマタ? ああ、品川の先の……。あんたは買い出しに慣れてないようだねえ」「なにしろ初めてなものですから。これから売ってくれる所を探さなければなりません」。
 おかみさんは、さらにまじまじと私を見ると、「いやに顔色が青いね。疲れているのかい」と眉を曇らせた。
 私は口ごもってしまったが、「結核なんです」と正直に言った。その返事が、おかみさんを驚かせたようである。こちらに近づいてきた。
 そうでなくとも、私は買い出し客のなかでは異色であったのだろう。ほころびた軍服にひげづらの男が多かったなかで、私の身なりは、割り合いにきっぱりと清潔だったようだ。そんな若い買い出し人が、青白いほおをげっそりと落とし、力が抜けたように立っていたわけである。
 「ま、ひとまず、うちで休んでいきなさい」
 よほど私の様子が心もとなく見えたのか、それとも、なにか心に響くものがあったのであろうか。
3  その農家は、畑から駅のほうに歩いて、ほど近いところにあった。全体に貧しげなたたずまいだった。母屋の内の薄暗がりから男の声がしたが、それがご主人であった。ほかに人影は見えない。
 麦ワラ帽子をとって縁先に腰をおろしたおかみさんは、年のころ四十歳ほどに見えた。丸顔で、いかにも人なつっこそうである。目もとが涼やかで、とても長く野良仕事にたずさわってきたとは思えぬほど、いわゆる″農耕疲れ″の気配がない。その顔立ちには、落ち着いた清楚ささえ漂い、農家でこのような婦人を見ることが意外に思えた。しかし、小づくりな体は、ガッシリと鍛えられた感じである。
 「兄弟は、いなさるの?」いかにも私の身辺のことを聞きたい、というふうで切り出した。出征した四人の兄たちがまだ戦地から帰らない、と答えると、おかみさんの表情が一瞬、悲しそうに曇った。今度は私が「ご家族は」と尋ねると、首を横に振った。どうやら夫婦二人だけのお百姓さんのようである。が、子細ありげにも見えた。私は、それ以上聞くことをやめた。
 当時、私自身は、勤務先のN鉄工所が敗戦とともに閉鎖されて、一時失業中の身だった。その私が、外地にいる兄たちに代わって、老いた父や母、それに弟妹を支えねばならなかった。わが家も東京であり、親戚もすべて東京在住である。いわゆる田舎がない。このときほど、田舎が欲しかったことはない。
 そんな事情を、問われるままに率直に話した。おかみさんは、うなずきながら耳を傾けていたが、ひと区切りつくと、しばらく考えている様子だった。それから、腰をあげた。「よくわかりましたよ。これからも頑張ってね。今、うちには余分なものはないが、サツマイモを持っていきなさい」と言って、笑顔を見せた。目じりに小じわが寄って、一層、お人好しの相好になった。

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