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日蓮大聖人・池田大作

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モスクワのカモメさん テレシコワ女史  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  モスクワで″カモメ″さんに会った。
 「ヤー・チャイカ(私はカモメ)」と、ボストーク6号から地球に呼びかけた、女性で初の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワさんのことである。宇宙飛行士といえば一種の華やかさを連想するかもしれない。しかし、目の前にいるのは、品のいい笑みをたたえた、平凡な若奥さんである。
 一九七五年五月、私にとって二度目のソ連訪問だった。長い冬将軍が去り、モスクワの街路を飾るポプラや白樺の木が春を歌い出していた。
 この日は、訪ソ中でも最も多忙な一日であった。ソ日協会会長であるグジェンコ海運相などの要人との会見を、午前中から三つこなしていた。それで、やや疲れを感じていた。ソ連滞在も、五日目を迎えていた。
 「ようこそ、婦人委員会へ」プーシキンスカヤ通りのソ連婦人委員会の建物では、長身のテレシコワさんが、すでに懇談の部屋の前に立っていた。同委員会の副議長や事務局の人たちも一緒で、テレシコワさんが議長の要職にある。私たちは、さっそく楕円形のテーブルの席に着いた。私と妻がテレシコワさんと向かい合った。
 緑のセーターに茶色のカーディガンが清楚な感じで、カーディガンに施した白い縁どりがなお清潔さを加えている。栗色の髪が、穏やかな室内灯を浴びて明るみをおびている。このいかにも平凡そうな女性の宇宙冒険を可能にしたものは何だろう。その秘密を知りたい、と思った。
 「なぜ、宇宙飛行士に?」私が質問を切り出した。
 眼嵩の彫りが深く、その奥に灰色がかったブルーの瞳が輝いている。とのブルーの目で、青い地球を遠望したのだ。彼女は手をテーブルの上に組み合わせたまま、落ち着いた口調で語り出した。
 志を立てたのは、ガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行に成功したことによってであった。彼女は当時、ヤロスラブリ州の紡績工場に働く、いわば普通の女子工員さんだった。ただ、州の航空クラブに所属し、パラシュート降下にも熟練していたから、のちに宇宙飛行の役に立ったとはいえる。
 「あの当時、ガガーリン少佐と同じことを試みたいと思わなかった青年は、おそらく一人もいなかったでしょう。私も志願しました」
 ――彼女の夢は、大空から、宇宙へと飛んだ。
 それからというものは猛訓練の日々に明け暮れた、という。その内容は詳しくは聞かなかったが、彼女自身「質的にも量的にも厳しかった」「全段階が相当の体力的困難を要した」と言った。宇宙船の装備や計器類に関する把握とともに予備知識の蓄積にも努めたという。それは、かなりの年月と並々ならぬ困苦とを強いるものだったろう。すると、一人の平凡な女性を宇宙のヒロインに変貌せしめたものは、やはり、訓練に次ぐ訓練だったわけである。
 ところが、目の当たりにするカモメさんは、そんな強靭な意志や情熱を表に出さない。じつに物静かで、涼やかな語り口である。私は、平凡な温顔の、なかに、人生の辛苦の峠を越えた芯の強さを包み込んでいるような女性には、いつもながらに感服してしまう。彼女にも、そんな趣があった。
 「乗船の指名がきたときは、それはもう、とても嬉しかったですわ。長いあいだ、それを望んで訓練を受けてきたのですから」。十年前、二十代の乙女だったころの楽しい思い出には、さすがに瞳を輝かせた。
 「成功するという確信はありましたかしたか」
 「もちろんです」きわやかに言いきった。これも訓練のたまものであったのだろう。
 「一つ重大なことを質問させていただきますが」と前置きして、当時まだ″恋人″で宇宙飛行士仲間であったご主人のニコラエフ氏のことを聞いてみた。「飛行中、恋人のことは何回も思いましたか」。
 彼女は笑いながら、そういう時間の余裕はなかった、と答えた。しかし「私の恋人が地上に残っていたにもかかわらず、心臓は順調でした」と、ユーモアが見事だった。カモメさんは言う。
 「地球が見える嬉しさは、たとえようもありません。地球は青く、他の天体と比べて格別にきれいでした。どの大陸も、どの大洋も、それぞれの美しさを見せていました」「宇宙から一度でも地球を見た人は、自分たちの揺監の地である地球を、尊く懐かしく思うにちがいありません」と。
 地上の平和への願望を語っていたように思えた。「私ばかり喋ると、なんとお喋りな、と思われますし……」と質問の受け答えを同席の婦人委員会のメンバーに自然につなげていく心遣いも、忘れない人であった。彼女は、宇宙飛行のヒロインではなく、多くの婦人のなかの平凡な一婦人としての接る舞いであった。
 この年は「国際婦人年」に当たっていたので、話題は婦人運動や平和の問題にまで発展していった。私は、本然的に平和主義者である婦人が全世界の男性政治家、指導者に代わってはどうか、非現実的な考えではあるが、と質問を投げかけてみた。すると彼女は「大変さびしくなります」と楽しげに言ったものだ。「私たちは大きな運動のなかでも、小さな運動のなかでも、男女が助け合って初めて生きられることを知っています」と。
 また、妻が「男性の操縦法でいちばん大事なことは何だと思いますか」と、この宇宙飛行士に向かって、家庭内での″操縦術″をユーモアをまじえながら聞いたところ、カモメさんからすかさず「男は家を統制しているつもりでも、実際は、われわれが操縦するのです」と笑みを含んだ軽やかな言葉がかえってきた。
 一時間の懇談が終わった。その名もチャイカ(カモメ)というソ連製乗用車の座席に身を委ねながら、帰った。
 宿舎のロシアホテルに帰ると、フロントの太ったおばさんが、一枚のワッペンをくれた。米ソの共同宇宙飛行が予定されていて、ワッペンには米ソ宇宙船ドッキングの予想図が描かれていた。市民の関心は高まっていたのである。
 日本に帰ってまもなく、大西洋上空で米アポロ宇宙船とソ連のソユーズ四号とのドッキンがグが″宇宙での握手″として好感をもって報道された。
 ふと、私の心を矢のように射る思いが走った――地上での本当の握手は、いつの日であろうか。
 モスクワのカモメさん。今も妻、母、それに社会的な活動等、公私ともに多忙であることだろう。地上での彼女の平凡のなかに光る幸福への飛朔を私は祈りたい。

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