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日蓮大聖人・池田大作

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教育の慈父 ペスタロッチ  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  おおかた三十年も前になるが、私はペスタロッチについて書いたことがある。『少年日本』の編集に携わっていた二十歳そこそこのときであった。私を信仰の道に導いてくれた戸田城聖先生のもとで働いていたが、先生は、元来教育者であった。お会いはできなかったが先生の師の牧口初代会長も、小学校校長であられた。牧口先生は、ペスタロッチの新しい教育法を高く評価しておられた。
 お二人に比べ門外の私ではあったが、常ならぬ縁を感じて、思わず筆に力が入り一気に書き上げたことを憶えている。時移って両会長の跡を歩く私となり、学園、大学を創設した。青年のときの拙い小文も、その業因の一つとなっていたのかもしれない。
2  今、教育界の父祖ともいうべきペスタロッチの伝記を読み返してみると、戦後の紙も満足にない荒廃の時代に、少年へ希望を贈る喜びだけに支えられて、ひたすらに働き、書いたときのことが浮かび上がってくる。そしてなによりも、ペスタロッチの人となりに、恩師の面影が重なって、熱い呼吸とともに語りかけてやまないのである。
 「逆立っている髪の毛、あばた面の赤い痣で掩われた顔、手入れをしない刺すような髭をもち、ネクタイがなく、靴下は靴下で靴の上に落ちていて、その靴下の上に垂れ下っているボタンのはずれたズボン、よろよろちょこちょこ歩く歩きぶり(中略)美しい調を響かせるかと思うと、或いは雷のように轟く言葉を発するひどく醜い人を想像して見よ。そうすればお前たちには私たちが父ペスタロッチと呼んだ人の姿が浮ぶであろう」(ドゥ・ガン著『ペスタロッチ伝』新堀通也訳、学芸図書)
 八歳のとき、ペスタロッチの学校に入学した歴史家、ヴュイlマンの表現は、決して偏見によるものではない。作家フェルノウの「顔は醜くて痘瘡のあとがついて居り」という印象や、妻アンナ・シュルテスの「黒い大きな眼を自然が貴方に与えていなかったとすれば、貴方は自然に恵まれていないとお思いになってもいいでしょう」(前出)という慰めの言葉を引くまでもないであろう。
3  彼の「不細工」は、容貌のみではない。世故にも、不細工そのものであったという。悪筆、発音の不明瞭、分析的知識への無関心、数学の極端な無知、不得手な図画、音楽、皆無の読書等々、およそ不細工という言葉が想像されるほとんどの要素を彼は具えていた。もちろん、経営や政治的手腕など徴塵も持ち合わせず、学校を瓦解させるなどは不思議なことでもなんでもなかった。
 彼の教育に関する著作においても、形式にとらわれず、文字や言語の既成の概念に束縛されない表現は、非専門的で非学術的だと非難された。事実「教育を心理化する」という内容を長いあいだ「教育を機械化する」と表現して気にもとめなかったようなことが屡々であった。
 この、一見も二見も不細工な、教育にだけは旺んな情熱の持ち主であった人が、いかにして教育界から慈父と崇められるまでに至ったか、そこに私は人間の教育の真髄をみる思いがするのである。

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