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日蓮大聖人・池田大作

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生命の探究者 ベルクソン  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  ベルクソンについては、懐かしい思い出がある。
 戦後まもない昭和二十二年八月初旬のある日、私は二人の友人男女の訪問を受けた。二人とも小学校時代の同級生で、創価学会の会員であった。幼いころの懐古談や同級生の消息など、よもやま話に興じたあと、帰路につこうとした彼らの一人が、自分の家で哲学の話があるからこないかという。それも、生命哲学の話だという。私は反射的に「ベルクソンですか?」と聞き返したのであった。
 そのとき私は、二人の口から、初めて戸田城聖という名前を聞いた。出席を快諾して数日ののち、忘れもしない八月十四日、私は友人の家で恩師と出会う。以後の人生を決定づける、自分にとっての運命的ともいうべき邂逅になるとは、知るよしもなかったのだが……。
 終戦直後であり、当時の世相は、文字通り混迷一色に塗りつぶされていた。多くの青年がそうであったように、私も読書などに、必死に生きる指針を模索していた。身体が弱く貧しくもあったが、極力、書をもとめ、有志と読書サークルを結成して、しばしば意見をたたかわせていた。生の哲学者ベルクソンも、私のささやかな書架を飾っていた思想家の一人である。生命哲学から彼の名を連想したのも、そのためであった。
2  生来、私は詩が好きであった。エマーソンやホイットマン等の、荒々しくも奔放な生命力のほとばしりにも親しんできた。同時に、一方ではベルクソン流の、精緻な論証を積み上げた果てに姿を現す、創造的生命の領域にも、不思議な魅力を覚えたといってよい。翻訳の壁もあって、正直いって読み通すには難渋した。しかしその難しさは、普通、哲学の難解さと呼ばれるものとは、やや感触を異にしていたような気がする。実証科学の成果こそふんだんに取り入れられていたが、なによりありがたかったのは、哲学の専門知識なしで読めたことである。
 そして綿密かつ流麗な筆致の裏には、直観によって把握され、論証によって純化されたあふれんばかりの生命感覚の高揚をたたえていた。彼の所説が、哲学のみならず、文学や芸術の世界にも広く影響をおよぼしている所以も、この辺にあるのではなかろうか。
 私は最近の哲学界で、ベルクソン哲学が、どのように位置づけられているかは、よく知らない。だが、押し寄せる実証科学の荒波に蚕食され、瀕死の状態さえ余儀なくされつつあった人間の精神世界の孤塁を守り抜くために費やした、彼の知的営為は、哲学というものの存在するかぎり、永遠に輝きつづけるであろうと信じている。
3  十九世紀中葉、西洋科学文明の華々しい進展の季節。それは同時に、普仏戦争から、第一次、第二次世界大戦へとうちつづく、未曾有の動乱の幕開けでもあった。アンリ・ベルクソンは、一八五九年十月、パリに生まれる。ポーランド出身の音楽家の父と、優美なイギリス婦人を母としていた。ともにユダヤ系である。幼児には、ユダヤ教の教育を受けたとある。
 父からは、芸術家に特有の直観力の鋭さと知的厳密さを譲り受けた。母によっては、実際的でしかも理想主義の精神と宗教的な魂を植えつけられたようである。しかし、宗教心の発動をみるのは、人生の後半に入ってからである。
 学生時代の彼は、もつばら、数学、物理学、古典に親しんでいる。フランス哲学は、デカルトやパスカル以来、科学と対立することなく、友としてきたが、ベルクソンも、この伝統の例外ではなかった。科学好きのこの青年は、当時の哲学界の主流であるカント主義を信奉せず、スペンサー流の進化論哲学に魅了されていた。全宇宙の機械論的説明を夢みていたという。
 哲学者としての基盤が打ち込まれるのは、クレルモン・フェラン時代である。原体験ともいうべき純粋持続の発見がなされたからである。厳しい自己集中、それによる機械論の再検討、スペンサーの「第一原理」の時間への疑問、エレア派のゼノンが提示する″飛んでいる矢は止まっている″等のアポリアの解明。思索が思索を呼び起こす。長く苦しい、自己自身との対決である。その極限で「ある日」「突然に」直観の徴光がともる。純粋持続、内的自由の発見であり、存在との劇的な接触であった。
 この純粋持続の発見は、ベルクソンの、以後の思索活動を決定づける一石であった。後年、彼は「わたしは、以前から、徹底的な経験主義者だ」と語っているが、言葉によって固定化されたのは、偽装経験にすぎない。たとえば「『物自体』に好きな名前を附け、それをスピノザの実体、フィヒテの我、シェリングの絶対、へーゲルの『イデー』、もしくはショーぺンハウエルの意志」(『哲学の方法』河野興一訳、岩波文庫)としたところで、言葉そのものは純粋経験にはならない。そうした装いの外被をはぎとって、″意識の直接与件″にどう迫るか――これが、第一の主著『時間と自由』を著すさいの、ベルクソンの苦渋に満ちた内的作業であった。その結果、純粋経験としての純粋持続のイメージが、あたかも天啓のように、彼の精神に宿ったのであった。そして、その純粋持続の把握は、知性では不可能であり、とぎすまされた哲学的直観によるしかないとしたのである。

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