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日蓮大聖人・池田大作

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魯迅の懊悩と勇気  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  もう三年も前のことになった。
 初めての訪中のさい、私は魯迅の故居を見る機会を得た。初夏の上海は、深い夕闇のなかに没しようとしていた。
 古く光った木造の記念館であった。記念に残される誰の住居もそうであるように、生前使ったままの机、椅子、時計、電灯などが、年輪を深めて配置されていた。
 この魯迅故居は、そのまま魯迅と毛沢東の精神の紐帯を思わせる。死後、記念めいたことはしてはならないと厳命した魯迅だったが、その遺志を知ったうえで、なおかつ「故居」が保存されている。そこに魯迅を尊敬する毛沢東の意志が息づいているようであった。
 徹底した抗日運動を呼びかけ、そのさなかに没した魯迅だが、中国共産党に入ったわけではない。しかし、彼を利用しようと握手を求めた国民政府には応ぜず、逆に、彼を尊敬しはしたがおもねることのなかった毛沢東の勢力と、深い次元で結びついていた。
 私は、民族を思う二人の戦士の対話が、無言で交わされているような感をうけつつ、記念館を辞去したのである。
 一般に魯迅は、二つのイメージでとらえられているようだ。一つは革命の戦士、ペンの勇士である。彼の夥しい評論にもそれはあらわれている。もう一つは精神の内面を孤独にみつめた哲学者の顔である。短編の多い、暗示的な彼の小説のなかに、それは見え隠れしている。そのどちらも正しいし、そのどちらかに偏するのも誤りであろう。矛盾のない人間はいない。単一の色に染まるほど人間は単純ではない。むしろ、魯迅がその二面性をあらわにし、その往復のなかに自らの人生を歩んだところに、その懊悩と昇華を感じるのである。
2  魯迅の生涯は、色でいえば暗鬱な灰色に包まれている。一八八一年に生まれた彼は、没落する中産階級の悲哀を、幼少時代に身に滲みて体験する。絶望的な重病に喘ぐ父のために、質屋と薬屋に通いつづけた日々。貧困を極めた一家は、彼に官吏の試験を受けさせることすらできない。手の平を返したような世間の眼――のちに留学した日本でも、魯迅はそれを意識させられる。
 日露戦争が留学の途中で起こる。ある日、幻灯で、ロシア軍のスパイを働いたと裁定された中国人が日本軍に手を切られる場面を見てしまう。画面では、多くの中国人が表情もなくその光景を見つめていた。そしてその幻灯に、喝采をもって見入る日本人学生。そのとき魯迅は、将来進もうと考えていた医学への道を自ら断念し、愚弱な中国国民の精神の改造を志して、文芸の道に入るのである。
 その行路でも、彼の意は報われないことが多かった。辛亥革命が起こり、彼なりに挺身したが、そこで展開された妥協、欺備は魯迅を底知れぬ絶望に追いやった。国民の精神を改造するに足るだけの真実の革命は行われない。しかも、そう痛憤する彼自身のなかにも、否、人間そのもののなかに、払い落とそうとしてかなわぬ愚弱さが潜んでいることを、自ら悟らずにはいられなかったようである。
 彼の最初の小説とされる『狂人日記』は、その意味で示唆的な作品である。文体においても画期的であっただけでなく、人間をみつめることにおいても、青年を瞠目させるものがあった。
 自分の周りの人たち、家族でさえもが自分を食べようとしていると妄想する狂人が主人公である。強迫観念に駆られた異常さのなかに、じつは、はたして主人公の妄想が単に妄想なのかという疑問が表面に押し出されてくる。古い「家族制度と礼教」が、そこでは痛烈に打ち破られているのであるが、同時に、人間が人間を食うという人間のなかにある魔性が、狂人の目を通して告発されてもいるのである。
 「食人」とは、単なる戦争や殺人のみを意味しはしない。好んで悪をなし、ときには善を欲しつつも悪をなし、ついにはエゴイズムの自縄自縛を断ち切れぬ、人間誰しものなかにある悪の深淵である。
3  中国の歴史、悠久四千年の大地に染め抜かれた人間の業を、魯迅の透徹した眼は見逃さない。というよりも、目をそらすことができないのである。なによりも彼自身、そこに生きているからだ。彼は大地に足を踏ん張り、アトラスのごとく四千年の重みを支える。重荷を投げ出そうともしないし、踏ん張ることをやめようともしない。ひたすらに耐え、痛苦に満ちた模索をつづける。
 それは人間としてなしうる、ほとんどぎりぎりの所業であったと、私の胸には響いてくる。彼が狂人に託して叫ぶ、あまりにも有名な結語「人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしらん。子どもを救え……」(竹内好訳、岩波文庫)――私はここに、彼の眼が子供という純粋無垢な心に向かいつつ、最後の限界に至ってもなお人間の善なるものへの信をおこうとする姿勢をみる。
 彼の人間性への洞察は、それほどに深かった。その深さゆえに、社会の積年の病巣を抉る筆致は余人を越えて鋭く、のちに、民衆の大地を離れたプロレタリア文学の観念性をも、厳しく撃つのである。

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