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日蓮大聖人・池田大作

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不滅の巨峰 ゲーテ  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  まことに難解であるが――なんとなく身から離せなかった若き日からの一書『ファウスト』を想うとき、ともにダンテの『神曲』が浮かんでくる。
 歳月を隔てること五百年。ヨーロッパの精神史に、ひときわ高く聳える、この二大巨峰の示すものは、すべての面で対照的な世界像であるといってよい。
 『神曲』が敬慶な神への讃歌であるとすれば、『ファウスト』は苦渋に満ちた人間への模索と讃歌の書でもある。、ダンテの世界が、信仰の軌道という確かなる至福への道を進むコスモスであるとするならば、『ファウスト』を書く基調音は、錯綜を極める懐疑のカオスといってよい。
 なるほど、そこには浄福への思いが謳い上げられてはいる。しかし、それは新たな生命の充溢を予感しながらも、カオスの彼方にほの見える曙光の空間にも似たものであった。ゲーテが予感した「夜明け」とは何であったか。かつての「神」中心の時代から人間が主役の時代へ――。彼の巨大な足跡は、万有流転の中枢の座を神から人間へ移し替える架橋作業であったのだ。
  ただしい道からそれぬかぎり、
  人間は限りなくうつくしく、
  人間は永遠に偉大だ。
  (『世界詩人全集1 ゲーテ詩集』所収「ドルンブルクにて」大山定一訳、新潮社)
2  ゲーテは人間を語い、人間を描き、そして人間を創造した。彼にとって神とは、人間の内に、否、万物の内にある何かである。
  一体外部から世界をうどかす神とは何だろう。
  ただ指の先で全宇宙をめぐらせる神とは何だろう。
  神は真実世界を内部からうごかすのだ。
  神は自己のなかに自然をいれ、
  また自然のなかに自己をいれる。
  されば、神のなかに生きるもの、
  神のなかに存在し作用するもの、
  一切が神の秘密な力と神の精神をやどさねばならぬ。
  
  人間の内部にもまた全宇宙がある。それゆえ、
  おのれが知るかぎりの最善至高のものを、
  「神」と名づけ「彼」と呼び
  おそらく神を愛するものは
  古代の国々の民の褒むべき習しだ(前出「エピグラム」)
 ゲーテの青春の一時期を彩ったシュトルム・ウント・ドランク(嵐と怒清)の運動はヨーロッパ、なかんずくドイツ民族の精神を覆ってきた中世的神の観念を吹き払う、人間の叫びであった。
 その運動は、六十余年の創造につぐ創造の人生にあっては一つの波浪にすぎない。だが先輩へルダーの影響下にゲーテが繰り広げた戦いは、ドイツ文学全体に一つの新しい時代をもたらすに十分であった。
 シユトルム怒濤ドランク――それはまさに、深い霧に佇むゲルマンの森に吹き荒れる嵐であり、キリス
 ト教修道院の足元を突き崩す怒濤であった。しかしそれは、霧が晴れ牢固たる石壁が崩壊したあとに、燦たる太陽を浴びて生を謡歌する人間群像が乱舞する序曲でもあった。
 この時期の代表作は『若きヴェルテルの悩み』である。自身のシャルロッテ・ブフへの激しい恋の体験と、友人イェルーザレムの自殺を素材に一気に書かれたこの小説は、全ヨーロッパに熱狂的陶酔を呼んだ。一七七四年、ゲーテ二十五歳のときであった。
3  その翌年、彼は、気鋭の公子カール・アウグストの招請でワイマール公国に移り政治生活に入る。公国の財源のため鉱山を開発、また造林事業にも功績を残した。
 この間も『冬のハールツ紀行』『タウリスのイフィゲーニエ』などの作品をものしているが、さすがに多忙な政務のため、創作は停滞ぎみである。
 十年後の一七八六年九月、湯治先のカールスバートを密かに出発して一路イタリアをめざして南下したのは、詩人としてのゲーテの、やむにやまれぬ衝動からであったろう。アウグスト公に無期限の休暇を請う一通の手紙を残したのみで、行く先すら誰にも告げなかったという。ベネチア、フィレンツェを経て永遠の都ローマに着いたゲーテは、四か月間、存分に創造と美術品の見学に遊行している。さらにシチリア島からイタリア各地を巡り、再びローマに戻って十か月を過ごし、故国ドイツのワイマールに着いたのは丸二年後であった。
 帰国後、ゲーテのおかれた境遇は必ずしも快適ではなかったようだ。ワイマール公国での政務は鉱山監督と学芸関係以外は一切自分から断わったが、人間関係の面で周囲は冷たかった。宮廷人たちとのあいだは冷え、ワイマール生活十年の愛人、シュタイン夫人ともこじれた。だが一方でフリードリッヒ・シラーとの交友、またそれを通しての文学的精神の昂揚は、ゲーテの詩人、文豪としての名声を不抜のものとした、実り多い時代を開く。
 シラーは、ゲーテより十歳若く、知り合ったときは二十九歳であったが、『群盗』『たくみと恋』などで、劇作家として不動の名声を勝ち得ていた。ゲーテが直観的であるのに対し、シラーは思弁的という正反対の気質でありながら、否、それゆえにこそ、この二人の協力はドイツ文学の黄金時代ともいうべき、豊かな実りを生み出しえたのである。
 一八〇五年、ゲーテ五十六歳のとき、シラーはわずか四十六歳で逝った。この親友の死に、ゲーテが「私は自分の存在の半分を失った」と嘆いたことは、あまりにも有名である。

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