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日蓮大聖人・池田大作

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トルストイの″顔″  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  世界で一番いい顔をしているのは、トルストイではないだろうか。それも、青年のころのものはだめだ。老境のがとくによい。
 整っているとか、優しいとかいうのではない。精悍で、鋭いというのでもない。いうなれば「風雪の顔」とでもいうべきだろうか。顔は人となりを無言に語るものであろう。人間的な奥行きのある顔に邂逅することは稀だ。トルストイはその稀な顔の持ち主である。「いい顔だ」と思う。いつしか魅かれるのである。
 風雪に挫折する人がいる。苦渋にひねくれる人もいよう。辛酸から逃避する人も多いはずだ。その顔に心労が刻み込まれることはあっても、風雪をぬけた重厚さが光ることは滅多にない。
 トルストイは、何歳になっても、自己と格闘した人である。真理探究に真正面から取り組んだ人生であった。得体の知れない人間という巨峰と、汝自身という岩壁に逢って、真正面から登頂をめざした行路者であった。私がトルストイに好感をもっ理由の一つは、強靭な精神をもって、難壁にひるむことなく、生命を賭した凛々しさにある。
 ありとあらゆる苦渋を、不平不満や虚無観で傍観したり逃げたりしないで、旺盛な生命で包みとらえ、それを浄化し昇華させようとする無言の何かが、その顔に息づいている。トルストイの老境の顔を見るたびに、このように私も老いたいと思う。
 トルストイの精神遍歴は、作品のなかにそのままあらわれている。彼の作品はすべて、いわば「自伝」だからである。自分でつかみ、自分が感じたところにしか真理はないし、それを語ることもできないと思ったからかもしれない。
 トルストイの作品群を俯瞰すると、そこには一貫した視点があらわれている。飽くことなく「人間」を見つめつづけた作業であるということに尽きる。ロシア全土を揺るがす戦争を背景に描いた『戦争と平和』においても、男女の葛藤を克明に映し出した『アンナ・カレーニナ』にしても、晩年の『復活』にしても、それぞれの舞台に、人間がどう息づき、どう歩んでいるかを凝視しつづけて書いている。
 しかも、その「眼」は、年を経るにつれて、ますます人間の内面へ、そして広大で深み極まりない精神の深淵へと、直接的に迫っていくようである。
 『戦争と平和』では、民族的視点から、あるいは歴史という山の高みから人間を見つめ、あらわにしようとしている。『アンナ・カレーニナ』における舞台は、家庭であり、また男女である。『復活』における舞台は、もはや「心」自身となっている。
2  民族、歴史から家庭、男女のなかへ、さらには人間の良心へと、人間の、なかに深く入り込んでいくトルストイの鋭い眼は、その人間のなかに「神」を見いだしている。この神は、教会のそれとは違うものである。トルストイの発見した神は、人間精神の最高峰としての神であり、良心の結晶としての神であるように、私には強く感じられる。
 彼は自身の作品のなかで、教会も含むあらゆる偽善と対決し、またその姿勢に忠実に、実社会のなかでも、すべての虚偽、偽善に抵抗しようとした行動的文学者でもあった。
 しかし、彼は、偽善をあばくことに終わったのではない。偽善の奥にある人間の善性を浮かび上がらせたかったのである。「たとえ迷信はなくなっても宗教はなくならない」との叫びは、彼の心情をよくあらわしている。
 トルストイの旺盛な真理探究の情熱は、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を書き上げた後も、彼を寸刻も安息させていない。否、この二作品のあいだにも、飢鐘に見舞われた地方への救済活動に挺身するなど、トルストイには、不幸な民衆を見ると、いても立ってもいられない衝撃が彼を襲って、行動へと押しやっているのである。人生とは何か、なぜ何かをなさねばならないのか、必ずやってくる死にうちかてる意味が人生にあるか? そうした重い問いかけが、いつも彼を襲っている。大作家の地位を不動にしたときにあっても、彼の魂は、人生の真理を飽くことはなかった。人間存在に対する根本的な不条理におののき、懐疑しつつも、それを乗り越えて「何をなすべきか」と自身を凝視しつづけた。真理への焼き焦がれるような憧憬は、やがてあのインドのガンジーの魂をも揺るがした。ガンジーがトルストイに共鳴して、自らの行動の熱源としたであろうことは、運動の拠点の一つを「トルストイ農場」と名づけていることでもわかる。
 真理への狂おしいまでの憧憬と、現実社会の偽善の渦。このあいだにはさまって、科学や哲学に解決を求めたが、ついに得られず、一時は自殺の衝動に駆られている。しかし、それを救ったのが「ロシア」であった。
 悠久な時間の流れをのみこんで、流転のなかに永遠を生きる民衆。また、人間の小さな営みを悠然と眺望し、無限の空聞に包み込んで、あらゆる生命を創造し育むロシアの母なる大地。この二つを、トルストイの作品とその精神から捨て去ることは、とてもできないであろう。
3  彼は貴族の出身である。広大な土地をもった名門の地主の子であった。そのトルストイが民衆救済に赴くことは、ある意味においては金持ちの手なぐさみと受け取られて、反発を招きやすい。事実、農民たちからは、一時猜疑の目でみられ、冷笑をもって迎えられた。
 生活に余裕があり、精神にゆとりがあって初めて他を顧みることができるのである。生きるに懸命な民衆は、自らを助けるのに精いっぱいであろう。ある場合には、他に尽くすことは自らの破滅を意味することさえある。いきおい、大衆は疑い深く、利己的となる。しかし、その大衆こそ、まどうことなき「人間」であった。
 上流社会の美しい言葉の思いやりにではなく、貧しい人びとの泥くさい逞しさのなかにこそ、人間の真実があるのではないか。その発見が『戦争と平和』であったかもしれない。世界文学史上に燦然たる二大傑作をものした後のトルストイは、ただひたすら、絶対の真理を求めて、キリスト教の神とロシアの大地との融合を図ろうとし、また、貴族の身分をなげうって、民衆に限りない愛情を注いでいくのである。
 当時のロシアには、キリスト教会に対する厳しい攻撃と批判があり、福音書の改訳などが始まっている。トルストイの明晰な理性は、死刑と戦争を公然と認める教会とは絶対に相いれないものであった。ロシア正教会と全く縁をきり、トルストイ自身の福音書改訳に至るのは、必然の道程であったろう。
 彼の信仰は「わたしはキリストの教養を信ずる。幸福はすべての人がそれを成就するときにのみ地上において可能である」との言に明らかである。宗教の本義と現実の教会との乖離を鋭く洞察した彼は、真実の信仰、絶対の信仰を求めて、激しい情熱をたたきつけたのである。
 彼は、上流社会の虚構、都会の文壇生活を嫌悪し、ひたすら農民に代表される民衆を友とする生活に入る。ときにはモスクワ市の民勢調査に参加し、都会の下層民の実情をつぶさに見たこともあった。農民の窮乏、都市の貧民層、これら民衆の不幸の実態に憤然とした彼は、この矛盾の上に安寧をむさぼる国家権力や社会制度への徹底した批判者となった。
 同時に、彼の眼には民衆の生活のなかに、教会や上流社会の虚偽にみられなかった純粋な信仰と真理の秘義が、金の輝きをもってあらわれてくる。ひとたび人生に絶望しかけた彼は、民衆の逞しい生活と信仰に、救済を得た。民衆を救おうとして、また民衆に救われもしたのである。
 彼の『われら何をなすべきか』は民衆の不幸を黙視する特権階級や科学、文明、教会などに対する宣戦布告であったのかもしれない。さらに、民衆の教育啓蒙の必要を感じて、多くの民話を作り、民衆に語りかけた。
 『イワンの馬鹿』『愛のあるところ神あり』『蝋燭』『二人の老人』などのすぐれた民話は、その所産である。また、晩年近くになって、兵役拒否の運動を起こしたコーカサス北部のドゥホール教徒を資金援助するために、大作『復活』を書いたことはあまりにも有名である。宗教の形態上の相違よりも、信仰を持った人びとの純粋性とその行為を重んじた彼の真面目しんめんもくが、ここにもみられる。
 人間の道徳的回生と暴力の否定、悪への「無抵抗」という抵抗を軸とする彼の思想は、いわゆるがトルストイ主義として、ロシア国内のみならず全世界的な信望を集めた。
 わが国にあっても「白樺派」の文学や武者小路実篤の「新しき村」運動などを通して、よく知られているところである。その声望の大きさは、彼を逮捕しようと虎視耽々と狙っていた政府や教会の魔手も、ついに手を触れることができなかったほどであった。
 彼らがトルストイを憎み逮捕を要求したとき、農民たちは「トルストイをいれるほど大きな牢獄はロシアにはない」と答え、断固として拒否した。彼の存在は、すでに全ロシアをつつんであまりある大きなものとなっていたのである。
 最晩年にいたって、民衆を愛し、ロシアの大地を愛した彼は、民衆と自然から遊離した自らの家庭の矛盾に気づき、ついに家庭を放棄するに至る。
 一九一〇年十月二十八日の早朝であった。彼は「生涯の最後の数日を孤独と静寂のなかに生きたい」という書置きを残して、家を出た。その途上の車中で、急性肺炎にかかり、リャザン・ウラル鉄道の小駅アスターポヴォの駅長官舎で病床に伏せった。そして、十一月七日の朝、この偉大な作家に、死が訪れたのである。
 彼の最後の言葉は「地上には幾百万の人びとが苦しんでいる。どうして、あなた方は、わたし一人のことにかまうのか?」というものであったという。
 強がりではなく、おそらく本音だろう。自分を特別扱いされることに耐えられないトルストイの心情が伝わってくる。臨終の極みの真実の叫びであった。私には率直な感動と、小駅で倒れざるをえなかった一個の人生の終末の悲しさが、一掬いっきくの涙とともに湧き上がってくる。
 ロシア民族の魂であり、ロシアの大地の化身ともいえるトルストイ――十九世紀末に、西欧の文化に急傾斜していったロシア文学のなかで、真に母なる民衆の大地に根ざした文豪である。あの絶対の真理を求めてやまぬ徹底性はまさにロシア民族の血に流れる伝統であった。
 極端から極端へと揺れ動く精神、そして、その奥底にあって、たづなを引き締める逞しい生命力……。
 彼の生涯は、獣性と神性との中間的存在として宿命づけられた人間の可能性を極限にまで追求したものといえよう。激しい肉欲への衝動、それに対する高い精神性、絶対なる真理への狂おしい憧憬、この両者のひき合う真っ只中にあえて自らを置いて、逃避せず、諦観せず、自己を凝視しつづけた稀有なる魂。
 彼の絶対探究の過程に生み出された、おびただしい作品群は、そのまま彼の生命の真摯な反映であった。
 それらの作品は、特殊の徹底が普遍を獲得した典型的な例であったといえよう。
 ロシアの民族の魂と風土とを凝視して、徹底して描き切ることにより「人間とは何か」という古今永遠の普遍的なテーマに答えるものとなったのである。
 今日においても、永遠の古典として多くの人びとから親しまれ、読まれるのも、彼の作品のなかに、鏡を見るごとく自らの顔を見てとることができるからに他ならない。
 まさに、トルストイの生涯は一編のドラマであった。また、その顔は、永遠に人生そのものの″顔″である。

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