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日蓮大聖人・池田大作

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まえがき  

「敦煌の光彩」常書鴻(池田大作全集第17巻)

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1  〔対談者略歴〕
 常 書鴻(じょう・しょこう)
 一九〇四年、浙江省杭州市に生まれ、浙江省立甲種工業学校(現・浙江大学)染織科を卒業。西湖画会会員となり、一九二七年からフランスへ留学。リヨン中仏大学、パリ高等美術学校に学び、パリで個展も開いた。一九三六年、中国に帰国後、国立芸術専門学校教授。その後、敦煌石窟の研究に赴き、敦煌芸術研究所所長となった。新中国成立後は敦煌文物研究所所長として活躍、一九八五年から敦煌研究院名誉院長を務めた。一九九四年、没。
2  序文  常 書鴻  
 私が池田大作先生と初めて会ったのは、一九八〇年四月二十三日である。そのとき、池田先生の中国に対する理解の深さ、また哲学、文化、芸術などの分野での学識の広博さは、私に深い印象を残した。
 なかでも中国文化および敦煌学に対する熱情は、私たちの初対面のときから長年の友のように感じさせ、たちまちに打ち解けて歓談した。
 池田先生は、日本人民の友好の使者として、たびたび中国を訪問された。そして先生が社会、宗教、文化、国際平和活動に尽力されていることは、中国において広く知られている。とくに早くも一九六八年に、中日国交正常化と中国の国連の議席の回復を提言されたことは、われわれ中国人民が永遠に心に銘記することである。
 私と池田先生との多年にわたる友情を回想することは、私の一生のなかで最も楽しいことである。私が知った日本の多くの友人のなかで、先生はすでに六十歳を超えておられるが、その熱情、率直さ、生活と人類の未来に対する確信に満ちた感情は、私には一人の青年のように感じられる。
 私たちが知り合ってからのこの約十年間、池田先生が中国に来られた折、また私が日本を訪問したさいに、私たちが話し合ったテーマは、人類文化、シルクロード、そして世界最大で最も良く保存された仏教芸術の宝庫――敦煌であった。私たちの対話が、いつも敦煌に及ぶのは、敦煌が仏教遺跡であるばかりでなく、敦煌芸術が人類の理想郷の追求を体現しているからであると思う。
 荒廃と戦乱の時代においても、シルクロードは東西の文化、経済交流の道であり、仏教東漸の道であった。シルクロードが、人類文明の発展と平和に果たした役割は、きわめて大きい。
 そして今日、私たちがシルクロードを重視して研究し、また私たちの精神の新しいシルクロードを喚起することは、現在、経済と科学技術の高度な発展とともに、地球の自然生態環境の破壊があり、国際政治の不安定な時代に、人類の平等、戦乱の除去、恒久平和へ向かう新しい積極的な意義がある。
 私と池田先生は国籍も違い、それぞれの経歴など、多くの面で異なったところがある。しかし、私たちの少年時代、青年時代には類似した困苦の生活と努力奮闘の過程があり、私は先生が熱心に指導されている青年平和友好事業を十分に理解できる。
 一九八五年秋、私は日本の埼玉県での創価学会の青年平和文化祭に出席した。そこで、池田先生が全力で育成されている青年たちの団結、友愛、元気溌剌として前進する精神、そして青年たちの慈父のような先生の親しみにあふれた感情に触れた。その情景は今も鮮明であり、私を感動させてやまない。
 人類の未来の希望を青年に寄せられ、池田先生は創価大学、創価高校、中学校、小学校、幼稚園また美術館等々を創立され、また、各地に文化会館等を建設し多くの優秀な人材を育てられている。さらに中国の青年、また日本に留学している中国青年に配慮、助力され、私は中日両国人民の世々代々の友好の輝かしい未来を見る思いがする。美しい新しいシルクロードの虹は、世界各国人民の心を結んでいくだろう。
 私たちは東方文化に同じ情熱をもち、多くの面で一致している。たがいに祖国の伝統文化を尊重し、とくに文化芸術に対する深い関心、貢献の精神を共有している。一九八五年、東京富士美術館で「中国敦煌展」が開催された。これが今までの敦煌展と違う点は、日本の各界の人々に、敦煌で発見された貴重な経巻文物等を初めて展示したことであった。この展覧の成功は池田先生および創価学会の諸先生の努力の結果であった。ここに重ねて池田先生に衷心から感謝したい。
 私たちはたいへん楽しく愉快に対話してきたが、いつも、まだまだ多くのことを話し尽くしていないことを感じてきた。それゆえに、またお会いして懇談できる機会を、心待ちにしている。
 最後に、私は私たちの対談を出版することを提案された池田大作先生、また編集にあたってくださった方々、そして私の四十余年の苦難をともにした、生活、事業の伴侶であり、助手である妻の李承仙、敦煌の事業に学び継承している息子の嘉煌、ならびにこの仕事にたずさわられた諸先生方に感謝するものである。
3  まえがき  池田 大作  
 私が中国を初めて訪問したのは、一九七四年(昭和四十九年)である。緑が萌えている五月末から六月半ばにかけての二週間余の旅であった。
 悠揚と蛇行する長江も目に収めた。黄河の雄大な流れも見た。万里の長城にも登った。新しい中国の工場、農村、幼稚園から大学までの教育施設などの参観、李先念副総理をはじめ各界の指導者や青年、庶民との語らいをとおして、多くのことを学んだ。それとともに私の心を豊かに満たしてくれたのは、若い時代から親しんできた中国の史書や詩集などによって頭のなかに描いていたものと、現実に目にしたものとの、重なりと隔たりからもたらされる精神の躍動だった。
 写真などで、ある程度の知識をもち合わせている対象に遭ったとき、予想との大きな違いに驚いたり、新しい発見をすることは、たいへん楽しいことである。また、自分の想像力によってのみイメージが形成されていた対象の前に立ったときの心のはずみも大きかった。
 たとえば『三国志』や、司馬遷の『史記』の時代を生きた人々の歴史の舞台を歩きながら、遙かな歳月を逆戻りさせて、当時の英雄たちや庶民の姿を思い浮かべてみると、彼らはより明確な輪郭と彩りで迫ってくる。
 こうしたことはだれもが旅での楽しみとすることだろうが、とりわけ中国への初めての旅では、この楽しみは大きかった。それは私の読書体験のなかで、中国の古典や詩集に親しんだ度合いが、とくに深かったせいかもしれない。
 なかでも、かつて長安の都であった古都・西安の旅では、その思いを強くした。ここに遙かインドや西域からの文化が流入してきた。長安の都から大陸を西へ遠くローマの都まで結んだ壮大なシルクロードをとおしてである。
 この西安の旅の十三年前、私はインドへ行った。ガンジスの流れを目にし、仏教の発祥の地であるブッダガヤーに足を運んだ。そのときブッダガヤーから西域、敦煌、長安、朝鮮半島(韓半島)、そして日本にいたった「精神のシルクロード」の遙かなる広がりが実感として伝わってきた。それからさらに歳月が流れ、西安に来て西方を遠望すると、西域をうたった名詩の一節一節が断片的に浮かんできた。
 「西のかた陽関を出づれば故人無からん」(吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』岩波新書)――敦煌の西、陽関を出ると果てしない砂漠の海が広がり、知る人はいないという王維の別離の詩。「玉門西望すれば腸断つに堪えたり」(目加田誠著・渡部英喜編『唐詩選』明治書院)――長安を去って万里余、玉門関からの悲痛な思いを伝える岑参の絶唱。それらが現実感をもって迫ってきて、私の西域、敦煌への心理的な距離は、ぐっと近いものになった。
 この距離をさらに大きく縮めたのは、当時、敦煌文物研究所所長をされていた常書鴻先生との出会いであった。初めての訪中から六年後、私の第五次の訪中(一九八〇年四月)の折である。北京滞在中に、わざわざ私の宿舎まで夫人の李承仙女史とご一緒に訪問してくださった。
 常先生との出会いは、まったく予期していなかったことである。訪中のたびにお世話になっていた孫平化先生(中日友好協会会長)が紹介してくださり、私たちは幸せな、心満ち足りた語らいを、麗らかな春の日差しのなかでつづけることができた。
 常書鴻先生の人柄には詩があり、芸術がある。歴史があり、ロマンが薫る。私たちのシルクロード、敦煌をめぐる談議は、二時間半に及んだが、私としてはもっともっと話をうかがいたいほどであった。常先生とのこの出会いから、私の敦煌への関心はさらに大きく深まった。その後、東京でもお会いし、私が創立した東京富士美術館で「中国敦煌展」を開催することになったさいには、ひとかたならぬお世話もいただいた。
 常先生への感謝の思いをこめて作った詩を差し上げ、先生からも詩をいただくなど思い出は歳月とともに深まり光彩を強めている。
 こうした交流のなかで、敦煌をテーマにした対話集の刊行が具体化していった。私はこれまで、世界の各国、各界の方々と対話集を発刊してきた。対話者は、いつしかアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、インドなどの国々の人に広がっているが、中国で活躍されている方との対話集はこれが最初の試みとなる。
 複雑な国際政治の世界から、個人の日常生活の次元、さらには一人一人の意識のなかにいたるまで、さまざまな「人間の分断」が、平和を脅かし、悲劇を続発している現代にあって、私たちがいかに調和と安定の道を選択するかの責務は、あまりにも重い。
 敦煌の文書や芸術は、遠い歳月を超え、現代に生きる人々にとって貴重な文化遺産となっている。それと同じように、私たちの平和への努力が、未来にこの地球の住人となって生きていく人々のために、二十世紀からの一つのメッセージとなってほしい、との思いを私は常先生と共有する。
 新しい世紀へつづく「精神のシルクロード」には、美しい芸術を花咲かせた「大きく(敦)輝く(煌)」敦煌のような平和の砦が、各地に数限りなく誕生していくことを祈りたい。

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