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茶室の意味・新聞記者時代の勉強 井上 …  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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1  とうに桜は散ってしまいましたが、曇りがちの寒い日が続いております。新聞は何十年めかの気候異変と報じておりますが、この分では今年は春をとび越えて初夏が来るのではないかとさえ思われます。この四季のお便りも、こんどで十二回目になり、いつか春夏秋冬を一巡してしまいました。今更のように一年の経つのが早いのに驚きます。この一年の間、休息のない、精力的なご活躍のほど、まことに驚嘆のほかありません。私の方は、作家という特殊な立場にあるとは言え、何一つまとまった仕事もできず、甚だ漸愧ざんきの念に耐えぬ次第であります。昨年秋から「千利休」の仕事にとりかかっておりますが、まだ半ばにも達しておりません。この四季のお便りで、脱稿のお報せをいたしたいと思っておりましたが、それができないのが残念であります。
2  四、五日前、京都で茶道具の展観があり、それを見に行って参りました。利休が所持したもの、利休好みと言われるもの、そうしたものをある程度纏めて見ることができて、私は利休という人物を考える上にたいへん参考になりました。
 利休がいかなる人物、いかなる茶人であったか、文献的史料はいろいろありますが、それからは甚だ漠然たるイメージしか浮かんで来ません。こんど、利休の所持した黒茶碗、赤茶碗をそれぞれ数個ずつ見まして、初めて具体的に利休という茶人の心に触れたような思いを持ちました。どの茶碗も、それからまたどの茶杓ちゃしゃくも、なつめも、花入れも、何の奇をてらったところもない普通の、平凡なもので、茶道具の標準の型が利休によって価値づけられているのを知りました。利休はごく普通の、素直なものを美しいとしていたのであります。少しもてらつたところも、はからいもなく、ただひたすら素直、平凡でありました。利休に関する道具は、これまでに機会あるごとに見て参りましたが、やはりある点数固めて見ないと判らないと思いました。利休を神格化した説話はたくさんありますが、本来の利休はそうしたものとは無関係であったのではないかと思いました。
3  一体、利休について何を書きたいのか、ひとからよく訊かれますが、利休をまん中に据えたあの戦国時代のわび茶というものがどのようなものであったか、その底を流れる水脈のようなものを考えてみたいからであります。あの明日の生命も判らぬ乱世を生きる武将たちは、ただでは茶というものに惹かれなかったと思います。どうしても茶室という特別な空間の中に、自らを坐らせる必要があったのでありましょう。
 茶室という空間は、それを取り巻く現実社会に対立する小宇宙であり、小天地であります。その小さい空間では、あらゆる価値基準が異っています。権力者は権力をはぎとられ、別個の価値体系の中に自分を置かなければなりません。世俗的なものも、いっさいはぎとられます。畳の上に置かれた一個の黒い茶碗が、この空間における王者であります。人々はその前に坐り、現実社会では考えられぬ対話を行わなければなりません。この特殊な空間の中で、利休は茶を点てて、武将たちを接待しながら、一体何を考えていたのでありましょう。
 利体は七十歳か、七十一歳で歿したとされております。当然、年齢による死は、晩年の利休の眼にちらちらしていた筈であります。そこへ自然の死でなく、人から与えられた死が眼の前に置かれたということになります。利休は助命嘆願のすすめをしりぞけて、人から与えられた死を選びます。なぜ利体はそうした態度をとったか、そしてその時の心境はいかなるものであったか。
 このようなことを、私は「千利休」という小説で書きたいのでありますが、果して読者が納得するように書けますかどうか、結局のところは戦国のわび茶というものの中を流れている宗教性を探るということになりますが、今のところは深い霧の中に居るような思いであります。書いてゆくうちに私なりの判り方をしてくるかと思います。

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