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日蓮大聖人・池田大作

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卒業式のこと・女性の生き方 池田大作  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
1  東京も今年はこのまま春になってしまうようですが、私は今月も慌しい旅の途次、岡山にてこの雁書を認めることになりました。
 こちらは、もう桜が五分咲きになっているようです。特に山桜は花蕾からいがほころびるのと同時に葉も開くので、遠景の山並みが花曇りのまま、春宵のとばりもおり始めてきます。
 草花の風情にも捨て難い趣がありますが、桜や萩は言うに及ばず、四季を通して、花はやはり樹のものに私は惹かれます。
 古から桜の花の良さは、一時に咲き、散るという風情にあると言われてきました。そこから潔さや果敢な生き方というものを連想する人もいます。しかし私には、桜の本当の良さは、来る春も来る春も、生命ある限り、枝もたわむほどに爛漫の花を広げる姿そのものにあると思います。冬に、木枯しの中、生命を充実させながら、春を迎えていく姿に、言いようのない秘めた力を感ずるのです。
2  三月中旬、私が創立いたしました創価女子学園の卒業式があり、それに出席しました。実は開校して三年、今年はじめて、第一回の卒業生を送ることになりました。学園は大阪の交野にあります。土地の人たちは、この交野の地が万葉集にも詠まれ、歴史の舞台であったことを誇らしげに口にします。事実、霞たなびく生駒連山を望む風光は、往時を偲ばせてくれます。父母の方々がつくって下さった「螢乃池」や瀟洒しょうしゃ四阿あずまやをはじめキャンパス全体に、生徒たちへの豊かな愛情がさりげなく行きわたっているのです。機会があれば一度、お立ち寄り頂きたいと思っております。
 昨今は、卒業式も入学式もそれほど人生に意味のあることではなくなったという人も多い、と聞きます。そう言うには、それなりの理由もまたあることでしょうが、人生の出発や決意をする節を大切にしようという気持だけは、季節の巡り合わせを新鮮な心で迎えるのと同じように、忘れてはならないことではないかと思っています。
 卒業式の日は、前夜からの雨も上がって、素晴らしい晴天でありました。校舎を囲む樹々も、よく心が配られているためか、生きる喜びを身の丈いっぱいにふるわせているかのようで、陽春の息吹が満ち、思わず「いいなあ!」と口にもらしたものです。卒業式は創立者の私にとりましても感慨深いものでありました。
3  井上さんは、先々月のお便りのなかで、沼津中学校の同窓会に御出席になったことについて書かれていらっしゃいましたが、私は卒業式の日、母校というものの存在について、改めて考えておりました。
 母校はどこまでいっても懐かしいものでなければならないと思います。
 それは生まれ故郷に対して「精神の故郷」と言ってもいいでしょう。しかしそれもただ、懐かしの我が母校というだけなら、精神の創造的展開というより、何か後ろ向きの懐旧の情につながる対象でしかないでしょう。
 私はつい今しがたまで、第六回の卒業式を迎えた東京の創価高校の卒業生に対するメッセージを書いておりました。
 そのなかにも触れたことですが、母校に対しては「魂魄この土」にとどめて、という関係を自覚するなら、去って去らず、自己と対象との距離は全くなくて、卒業生諸君と母校――つまり、自己と対象とが、いつでも一体に同化している状態をつくることができると書き送りました。加えて、何事にせよ、ひとつひとつのことに、こうした信念で立ちむかう人生であるなら、いかに若輩であろうとも、大人にも勝る立派な見識をそなえた人物になりうることを門出のはなむけとして贈りました。

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