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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄のこと・ダ・ヴインチのこと 井上 …  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
1  お手紙拝読いたしました。ご機嫌よろしく新春をお迎えのご様子、大慶に存じ上げます。池田さんは一月早々、八日から関西へお出掛けになられましたが、私は同じ八日に東京を発って、三泊四日の沖縄の旅をして参りました。幾つかの古い城跡を訪ね、海洋博の会場を廻り、明るい海を見、戦争の悲劇の舞台になった場所、場所では言い知れぬ悲しい思いで心を塞がれて参りました。いろいろなことを考えさせられる旅でありました。この前、沖縄を訪ねたのは三十四年の春で、それからいつか十六年の歳月が経過しております。沖縄の旅については、あとで申し上げることに致しましょう。
2  お手紙で、今日の池田さんの基礎をお作りになった二十代の、当然苦しくも、暗くも、それだけにくろぐろとした情熱が渦巻いていたに違いない時期を、大阪と関係深くお過しになったと承り、たいへん興味深く、懐かしく思いました。
 三十一年一月の日記の一部をご披露頂きましたが、短い記述の中に、池田さんの青春の欠片が詰め込まれてあって、青春だけの持つひたむきなものが、眩しく、美しく感じられました。
 私も亦、三十代から四十代にかけての十二、三年を、大阪で新聞記者として過しました。大部分が戦時下の暗い時代であります。
 戦後東京に移り、四十代半ばから小説を書き出しました。従って、作家としては、私も自分の基礎となるものはみな大阪時代に作っております。大阪ではいろいろなことを体験しておりますが、何と言っても、一番大きい体験は終戦前後を大阪で過したことであります。大阪の街が焼けるのも見ておりますし、敗戦の日も大阪で迎えております。終戦の日の社会面のトップ記事も書き、それを書いたあと新聞社の建物を出て、見渡す限りの焼野原となった焼土地帯を、放心の思いで歩いたことも、ついこの間のような気が致します。が、それから早くも三十年が経過しております。
 その三十年の間に数えるほどしか大阪に行っておりません。京都や奈良には年に何回か出掛けますが、特別の用事でもない限り、大阪には足が遠のいてしまいます。
 若い時代を過した街でありますから、大阪の街が懐かしからぬ筈はありませんし、大阪だけの持つ街の雰囲気も、大阪弁も、大阪人の人情も、嫌いであろう筈はありません。
3  大阪の街にごぶさたしていることを、仕事に結びつけて説明することは、多少気恥かしさを覚えますが、私の瞼に強烈に焼きついている終戦前後の大阪の街のイメージを、なるべくならそのまま持ちこたえておきたいといった気持は、確かに私の心の一方にあります。と申しますのは、昭和十七、八年頃から、終戦後の二十三年までの五、六年間のことを、新聞記者としての自分の体験をもとにして、小説の形で綴りたいといった気持は、作家として立った当初から持っているものであります。さいわい当時のことを、かなり詳しく日記の形で綴っておりますので、それをもとにすれば、日本の最も暗かった一時期を、私なりに小説として取り扱えるかと思います。
 私としましては、一番大切にしている材料でもあり、終戦を壮年期に迎えた作家として、どうしても書かなければならぬ材料でもあり、そしてたいへん書きにくい材料でもあります。自分のすべてを投げ込まない限り、この特殊な時代は書けませんので、そういう意味では書きにくい材料でもあり、それだけに発表する時期というものへの考慮も要る材料でもあります。
 いずれにしましても、こうした仕事を終えるまで、なるべく私の瞼に焼きついている大阪を、あの戦前の大阪を、焼野原の大阪を、闇市の拡っていた大阪を、なるべくはそのままにしておきたい気持があります。

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