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日蓮大聖人・池田大作

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富士のこと・殯のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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1  先月末、富士宮市で沼津中学校の同窓会が開かれ、私も出席いたしました。七十名の同級生のうちの半分ほどが集りました。中学校卒業以来初めて顔を合せる友もありました。
 中学校を卒業してから、いかなる道を歩いたか、お互いにあまりよくは知っておりません。少くとも知っていると言えるような知り方では知っておりません。いかなる職業に就いたか、いかなる家庭を作ったかも知りません。それぞれ戦争というものをまん中に挟んだ人生に於ては、得意の時もあり、失意の時もあり、悦びも、悲しみもあったわけでありますが、そうしたことは一切自分だけのこととして、それぞれの心の中に仕舞われてあります。そしてその夜の話題は、すべて同じ中学校に学んだ少年時の共通したものだけにしぼられ、その頃の親しさと遠慮なさで談笑しているところは微笑ましくもあり、感慨深くもある情景でありました。
 この同窓会に向う時、御殿場から富士宮市に通じている富士山麓の周遊路をドライブいたしました。雪に真白に覆われた富士山を右手に見たり、背後に見たりしながらのドライブはすばらしいものでした。葉一つない雑木の林の向うに赤い太陽が沈んで行く時刻で、久しぶりに日本の初冬の風景の美しさに触れた思いでした。
2  私は幼少時代を郷里伊豆で過し、毎日のように小さい形よい富士を見て育ちました。また中学時代は中学時代で、毎日のように、沼津から見る富士に付合っております。そんなわけで、現在でも富士という山には特別な親近感を懐いておりますが、こんどのように全身厚く雪に覆われた富士を眼間に仰いだことは、或いはこれまでになかったのではないかという気がしました。
 その日から翌日にかけて、堪能するほど真白くよろわれたボリュウムのある富士に付合いました。夕暮の富士を見、暁方の富士も見ました。そしてやはり富士は、ヒマラヤの山々とも異って、特別な大きさと美しさを持った山だという思いを深くしました。
 同窓会が開かれた翌日、池田さんが創立されたと伺っている富士美術館を訪ねました。ザゴルスク博物館から送られてきた作品の展観は明日からだということでしたが、トレチャコフ、プーシキンの二つの美術館の作品が展観されていることを聞いて、それを見せて頂きに行きました。特に便宜を計って頂いて、会場を案内して貫いました。プーシキン、ザゴルスク二つのミューゼアムは何年か前のロシア旅行の折に訪ねたことがありますが、殆どの作品が、こんど初めてその前に立った思いでした。多少記憶に遺っている作品もありましたが、やはり美術館というところは一度足を運んだだけではだめだということを痛感いたしました。同窓会のスケジュウルの関係で、美術館のために短い時間しかさけませんでしたが、なかなか贅沢な充実した時間を過させて頂きました。
 それから富士美術館訪問の折、私たちに作品を解説して下さった二人のロシア女性の中の一人は、私の『おろしや国酔夢謂』のロシア語訳を読んでおり、その訳者ラスキン氏とも親交ある人でありました。私たちが参観を終えて、美術館を辞去しようとする時、そのようなことを、突然相手の女性は私に伝えました。作品の解説は公の仕事、その他のことは私事、何となくその態度にそうしたところのあるのが感じられて、これはこれで、たいへん気持よいことでありました。
3  今月に入りましてから、長年計画していてなかなか手をつけることができなかった千利休を主人公にした小説の仕事に入りました。これから当分の間、利休、利体で、毎日を過すことになります。これまでに利休関係の研究書や史料には大体みな眼を通しているつもりですが、いざペンを執るとなると、やはり調べなければならぬことがたくさん出て参ります。
 利休の侘茶というものがどういうものか、利休の死というものがどういうものか、この二つのことを小説家としての私の考えで纏めるということになりますが、どちらもなかなか興味ある、しかし、厄介な問題であります。
 小説が書き終らぬ前に、小説の主題や構想についてお話するということもどうかと思いますので、利休の仕事に入ったということだけをお報せいたしておきましょう。このような御報告をした以上、もうあとへは退けない、そんな気持になります。これまでに何回もその気になって、結局はそこから手を引いた仕事ですので、このお手紙を借りて、自分を縛らせて頂くことにいたしましょう。

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