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日蓮大聖人・池田大作

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老人問題・龍のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

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1  今日は朝から時雨しぐれております。庭の雑木もすっかり冬の姿になってしまい、葉を落すものは葉を落し、散り残りの僅かなものが黄ばんだり、褐色になったりしております。銀杏、もみじ、楢、欅なども、狭い庭のこととて、一、二本ずつしかありませんが、それぞれまだ葉を落しきらず、細雨に濡れております。みつばつつじ、こでまり、ゆすらうめ、れんぎょう、などの小さい葉も、それぞれ黄ばんで、妙に儚い着き方で、ぱらぱらと枝に配されております。庭の隅の方に眼を遣って、色のついたのを探すと、どうだん、赤城つつじ、木蓮、錦木、そんなものがあります。どれも、ここ十日ほどのうちに、すっかり葉を落してしまうことでありましょう。
 時雨の時季は非常に短いですが、いつ頃からか、この短い時雨の時季を格別なものとして思うようになっております。そうした一日である今日、時雨れている庭の見える書斎の窓際で、お手紙を読ませて頂きました。そして拝読したあと、いろいろなことを、それこそたくさん私たちの周囲に置かれてある容易ならぬ問題を、改めて考えさせられました。お手紙の中にありました二人の被爆二世の青年、Y君、Uさんのお話は、襟を正すような思いで、感深く読みました。廃墟の中から植物が芽吹くように、絶望と恐怖の中から、それを克服した一つのすばらしい精神が生れたわけであります。未だ曾てこの地球上になかった厳しい人類の平和への志向であると考えます。
 また、個人、家庭、社会、それぞれの幸福も、平和も、″健康と青春″の息吹のみなぎったものでなければならぬという御講演の要旨も、全く同感であります。健康、青春――この最も平凡で単純な言葉が、人間が生きて行く上での一番美しいものを意味しているに違いありません。そして、そうしたことを、この地球上のすべての人たちが素直に受取る時代にならなければならぬと思います。″生涯青春″という言葉をお使いになっておりましたが、人間の一生が青春の姿勢で貫かれていたら、本当にどんなにすばらしいことであろうかと思います。そして、そういう生き方でなかったら、いかなる仕事もできないということを、私自身、この年齢になって痛感しております。
2  それにつけましても、老人問題が気になって参ります。孤独な老人が、誰も知らないうちに、一人住まいの家で亡くなっていたというような事件は、このところ屡々新聞に報じられております。人間にとって、老いというものがやって来ることは免れ得ぬ運命であります。誰もみながやがては老いを迎えなければなりません。肉体も老い、精神もまた老いてまいります。しかし、老いは免れ得ぬ人間の運命ではありますが、あらゆる老人が、死の瞬間まで、それなりに青春の姿勢を持ち続けることができたら、言い換えれば、生きる張りを失わずに老いの時期を過すことができたら、どんなにいいことでありましょう。
 パリでも、ニューヨークでも、公園のベンチで、一人でパンをかじっている孤独な老人の姿を見掛けます。一生働いて、生き、子供を育てた人間の晩年が、あのような孤独な姿であっていい筈はありません。日本はまだ家族制度の名残りが遺っていて、公園にぼつんと一人で居る老人の姿は見掛けませんが、多かれ少かれ、世界中の老人が、生きる張りを失った孤独な姿に置かれているのが実情のようであります。
 老人に対する社会保障制度が最も発達しているのはスエーデンであるとされています。実際にストックホルムの町など歩きますと、老人が出歩いているのを多く見掛けます。老人たちは喫茶店でお茶を飲み、レストランで食事をとっています。誰の厄介にもならないで食べて行けるので、そうした気持が彼等の表情から卑屈と老醜を奪り上げていると言っていいかと思います。しかし、老人が所在なさそうに、ふらふらと町を出歩いている姿は、やはり淋しいものです。夕方になると、市の中央にある王宮ローヤル・パレスの裏手の石畳の広場に、老人たちはどこからともなく集って来ます。夜というのに帽子を持ったり、ステッキを持ったり、なかには酒を飲んで赤い顔をしたりしているのも居ます。しかし、白夜の淡い光の中に浮かび上がっているこうした老人の姿は、やはり何とも言えず淋しそうであります。スエーデンは、国で老人たちに宿舎と、食べる金を与えています。ですから働かなくても食べることができ、子供たちの世話になる必要はありません。その替り、よくしたもので、子供たちも親たちの世話をしなくてもいいという気になります。
 社会保障制度が最も完備している国ではありますが、老人の自殺はこの国が一番多いと言われております。生きている限り、一様にみな食べることができ、特別な苦労もない替りに、特に楽しむこともないといった生活を与えられた場合、ただそれだけでは、人間というものは、生きて行く上に大切な何かを失うのでありましょうか。老人問題の解決に、社会保障制度が大きい力を持っていることは言うまでもありませんが、しかし、それだけで総てが終るものでないということは、スエーデンに老人の自殺者が一番多いという一事が、これを明らかに物語っているかと思います。
3  池田さんのおっしゃる″生涯青春″であらねばならぬという考え方は、老いも、若きも持たなければならぬと思います。老耄ろうぼうに冒された場合は別ですが、そうでない限りは、青春の姿勢を、死の瞬間まで崩すべきではないでありましょう。しかし、こうしたことは、一朝一夕にできることではなく、青壮年期をそうした姿勢で貫いて来て初めて、老いてもなお、それを望み得ることであるに違いないと思います。
 私もまた″生涯青春″を心掛けようと思いますし、実際にまた心掛けて来ております。二、三日前、ある親しい人から原稿用紙に短い文章を綴るように求められました。
 ――幼い者たちが凧を持って馬事公苑に出掛けて行って静かになると、思いは自分のところに戻って来る。今自分はもう凧を揚げるために、凍てついた広場にも、田圃にも出掛けて行くことはない。揚げるべき凧も持っていない。しかし、何かを揚げなければならない、そんな思いがやって来る。凧に似たものを、高く揚がるものを、烈風の中に舞い、奔り、狂うものを、高く揚げなければならぬと思う。

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