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日蓮大聖人・池田大作

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穂高のこと・鉄斎のこと 井上 靖  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
1  十月の初め、三泊四日で初雪の穂高に登って参りました。本谷の出合というところから三時間ほど急坂を登りますが、その途中、ナナカマド、ダケカンバの紅葉が眼が覚めるほど美しゅうございました。ナナカマドは燃えるような赤さで、ダケカンバの方は多少黄色を帯びております。そうした紅葉の斜面に這松はいまつの緑が点綴てんていされてあって、前々から穂高の紅葉は美しいとは聞いておりましたが、なるほど美しいものだと感を深くいたしました。
 穂高には、『氷壁』という穂高を舞台にした小説を書く直前に初めて登り、それから今日までに七、八回登っておりますが、紅葉の季節に登ったのはこんどが初めてで、穂高という山のこれまで知らなかった一面を見たように思いました。山が燃えている、そんな思いを持ちました。
 私は登山家でありませんので、冬の雪に覆われた穂高は見たくても見ることはできませんが、おそらくまるで異ったきびしい穂高のかおが人を拒んでいることであろうと思います。
 穂高の紅葉を見て東京へ帰ると、それから二、三日というもの、朝の眼覚めの時、いつも紅葉の中に揺られているような思いを持ちました。徳沢というところから涸沢ヒュッテまでの七時間の行程は、私の年齢になるとかなり苦しいものでありますが、その苦しかったことがみな消えてしまって、紅葉の美しさだけが思い出されて来ますからふしぎなものであります。
 穂高には昨年も登りました。涸沢小屋から奥又自の渓谷を降りましたが、この方は紅葉には少し早い時期で、道の到るところを倒木が塞いでいて、難渋な下山になりました。しかし、奥又白本谷の右岸の樹林地帯の中に、小説『氷壁』の二人の主人公の中の一人のモデルである若山五朗君の墓所があり、そこを詣でることができたのは、私としましては、長い念願を果した思いで、気持のしずまることでありました。墓は小さい石をケルンのように積み上げたもので、墓碑にはただ″若山五朗君″とだけ記されてありました。奥又自の大岩壁と大斜面を望むことのできる若い登山家の死にふさわしい奥津城おくつきでありました。
 昨年も登り、今年も登り、おそらく来年も亦登ることであろうと思います。今は涸沢まで登り、そこの小屋に一泊して下山いたしますが、以前はそこから指呼の間にある前穂、奥穂、西穂のどれかの山頂を踏みました。しかし、昨年も、今年も、多少無理かと思われますので、その試みは棄てました。もう四、五年経ちますと、涸沢まで登ることさえ難しくなるかも知れません。そうなりましたら、麓の樹林地帯を美しい梓川に沿って歩くことで、満足するだろうと思います。
 いい年齢をして、なぜ山に行くのか、こう訊かれることがあります。その度に、山が呼んでいるから、と答えることにしています。実際に、今年もまた来ないかと、山が呼んでいるように思われます。すると、よくしたもので、苦しいことはみな忘れてしまって、よし、それでは行こうという気になります。
2  私は五十歳の時初めて穂高に登りましたので、山に魂を奪われるといったそんな山への惹かれ方はしておりません。登山家の″登山″なるものも知りません。ただ、夏の初めか、秋の初めになると、山の呼んでいる声が聞えて来て、それが聞えて来ると、ふらふらと出掛けて行きたくなるだけのことであります。先年ヒマラヤの山地にも出掛けて行き、四〇〇〇メートルの地点まで登りましたが、この場合もまたヒマラヤという山が呼んだからに他ありません。ヒマラヤは大きいので、登山家でない君だって来られるところがあるよ、やって来ないか、そんな呼び声に応じて出掛けたようなものであります。
 山になぜ登るか、山がそこにあるから。――これは登山家と山との関係を端的に言い現わした言葉として有名です。確かに登山家が生命の危険を冒して、次々に前人未到の高処に挑んで行く心の秘密は、このようにしか言い現わせぬものであるかも知れません。しかし、登山家でない私は、この言葉は余り好きではありません。
 山になぜ登るか、山がそこにあるから。――初めてこの言葉を知った時、漠然とした形で、多少の抵抗と反発を覚えましたが、現在はそうした気持の正体が一応はっきりしております。山がそこにあるから登るのだという言い方の中にある傲慢さが、気にかかるのであります。同じ意味で、″山頂征服″とかいうような新聞に大きく取り扱われる言葉も、それを眼にする度に気持にひっかかって参ります。
 単なる表現の問題であって、何もめくじら立てて言いがかりをつけるには当るまいという考え方もありましょうが、やはり大きい自然というものに対する人間の対かい方は、謙虚以外ないのではないかと思います。登山に限らず、あらゆることに於て、人間は自然を征服するなどということはできないでありましょう。
 このように書きましたが、山の大きさ、自然の崇厳すうがんさを最もよく知っているのは、登山家であるに違いありません。その登山家たちの山へ登ろうという気持を″なぜ山に登るか、山がそこにあるから″という言葉で説明するとなると、大切なところで間違ってしまうのではないかということを言いたかったのであります。
 おそらく池田さんとご関係ない登山談義を、ながながといたしましたが、池田さんとトインビー氏との対談の記録である『二十一世紀への対話』の中で、お二人が人間と自然の問題に触れておられましたので、そしてその箇処を最も興味深く読ませて頂いておりましたので、このような山のお手紙になってしまいました。
3  勝手なことを認めさせて頂いた序でに、もう一つ勝手なことを申し上げることにいたします。
 今日は朝から気温が落ち、烈しい雨が降っておりますが、書斎で机に対かって、お便りの筆を執っておりますと、妙にお喋りがしたくなって参ります。
 昨日のことですが、ある雑誌社から、電話で″今年印象深かったこと″を一つか二つ挙げてくれないかと言われました。いやに気の早い質問に思われて、″紅葉の穂高に登ったこと″、それだけ答えて、受話器を置きました。受話器を置いてから考えてみますと、次に出る雑誌は今年の最終号の十二月号で、雑誌としては、その質問がそれほど気の早いものでも、当を失したものでもないことに気付きました。今更のように一年が慌しく過ぎ去って行くことに愕然といたします。そして、それでは一体、″今年印象深かったこと″を本気で拾うとすると、いかなるものを拾うことになるであろうかと、自分だけで考えてみました。

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