Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

カントの言葉・若い人たちのこと 井上 …  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
1  お手紙頂戴いたしました。新聞で最近の御消息の一端に触れ、相変らずお忙しい毎日であると、他人事でない思いに打たれておりましたところへ、お心のこもった御書面をいただきました。お忙しさはどこにも感じられず、爽やかな御近況を承ることができ、たいへん嬉しいことでありました。池田さんの精力的な御動静に刺戟されたわけではありませんが、私も例年になく気の張った夏を東京で迎えております。いつもなら七月上旬から軽井沢の小さい仕事場に移りますが、今年は書庫から離れることのできない仕事に取りかかっていることもあって、仕事が一段落着くまで、久しぶりで東京の夏に付合おうと、そんな気持になっております。
 滝山祭がどのような催しであるか、詳しくは存じませんが、寮生諸君と御一緒に何日かを過され、若い心と触れ合われた悦びは、お手紙の、それを報じた短い何行かからもはっきりと感じられました。私は自分の子供たちと接していて、いつも感じることは、若い者たちは泉だということであります。汚れなく、尽きることのない、あらゆる可能性を持った泉であります。将来どの方向に流れ出し、いかなる流れになるか判りませんが、今のところは汚れなくこんこんと湧き出しております。眩しくもあり、またそら怖ろしくも感じられます。
 そうした若い人たちと絶えず接触し、心を触れ合わされる機会をお持ちになっていることは、池田さんにとっても、若い人たちにとっても、たいへんすばらしいことだと思います。池田さん御自身の非凡という他ない行動のエネルギーもそこからお汲みになっているに違いなく、思索の根源的命題も、理想への情熱も、ごく自然にそこからお求めになっているに違いないと思います。
2  お手紙の中に、大学の近くに萩の庭を開園なさったこと、そして萩の小さい赤い花、白い花がお好きだと書かれてありましたが、私も萩の花を、あの咲きこばれた時の可憐さ、清楚さを格別なものに思っております。軽井沢の仕事場の周囲にも、自然に生えた萩の株が何本かあり、夏の終りになると、いつ花を着けたともなく、庭の片隅で、ひそやかに自分の小さい生命をかざしております。軽井沢に人が少くなり、夏の騒がしさが収まった頃を見計って咲くこの花の咲き方には、心にくいものを感じます。
 白楽天の詩「琵琶行」に、「楓葉荻花ふうようてきか秋索々あきさくさく(或いは瑟々しつしつ)」という一句がありますが、荻花は、日本の萩花であるようであります。長安(現在の西安)附近では多少萩の咲く時期が遅く、秋の気が索々と更けて行く頃になるのでありましょうか。
 日本でも、万葉時代の人は萩の花などを挿頭かざしにする習慣があったと、お手紙にありましたが、私も先年日本の古歌の中から萩の花を取り扱ったものを拾い上げてみようと思ったことがあります。しかし、未だにそれを果しておりません。京都御所の清涼殿の西側に萩壺があります。一度、萩の咲く頃拝観したいと思いながら、これもまだ果しておりません。四方を建物で囲まれた小さい長方形の壺庭に白砂を敷き、そこに萩の株だけを置こうとした美的構想は、何と言っても日本独自のものであり、そこに日本の古い心を感じないわけにはゆかないと思います。変な言い方になりますが、萩がお好きだということを承って、わが意を得たような思いになりました。
3  お手紙によって、宇宙開発の人工衛星や、月面車、液体ロケットエンジンといつたものが、ソ連御訪問の友好の記念として、ソ連から贈られ、それが滝山祭の催しに展示されたことを知りました。そしてそうした現代の科学技術の最先端の成果というべきものに対して、いろいろな感慨をお洩らしになっておられましたが、私もまたそうしたものに対して、それからまたお手紙をお認めになったあとに行われたソユーズ宇宙船とアポロ宇宙船のドッキング計画の成功といったことに対して、池田さんと同じように、いろいろな複雑な思いを持たずにはおられません。
 どのような形のどのような器機か、写真で見ただけではよくは判りませんが、どうか人類の大きな幸福のために役立つ神の席だけが設けられてあることを、祈るような気持で願わずにはおられません。
 私は高等学校の学生の頃、カントの『実践理性批判』の中の言葉を、友達の一人から教えられました。
 ――ああ、いかに感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律。
 友達がこれと全く同じ言葉を日から出したかどうか、その友達が故人となっている今、それを確かめる術はありませんが、私がその時から今日まで、時折その友達の顔といっしょに憶い出す言葉は、このようなものであります。
 昨年、長く私の心の中で生き続けていたこの言葉を、岩波文庫の『実践理性批判』(波多野精一、宮本和吉、篠田英雄訳)によって、正しく補わせて貫いました。
 ――それを考えること屡々にしてかつ長ければ長いほど益々新たにしてかつ増大してくる感歎と崇敬とをもって心に充たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳的法則とである。
 二つを較べてみると、四十余年前の友達の言葉は、原文の重々しく長い文章を、短く、簡単に縮めてありますが、それほど大幅に訂正する必要はなさそうであります。あるいは大切なところで、カントの言葉は、私の友達によって歪められ、間違ってしまっているかも知れませんが、受け取る側の私にしてみると、二つの言葉から与えられるものは、大体同じようなものであります。ああ、いかにして感歎しても感歎しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律。――私の場合は、これで充分であります。
 この友達によって示されたカントの短い言葉は、当時、カントが何か、哲学が何か、知識と言えるような知識は持ち合わせていなかった理科の学生であった私の心を捉えました。捉えて放さないといった、そんな捉え方でありました。
 もちろん、当時の私はこれによって、カントの哲学書を読んでみようという気持も起しませんでしたし、一層深くこの言葉の持つ意味を知ろうという思いも持ちませんでした。謂ってみれば、これだけで充分だったのであります。
 夜毎、空には神秘な星が輝き、地上には正しく生きることを考え、悩みながら人間が生きている。甚だ自己流の文学的解釈であり、受け取り方でありますが、私が若い時知ったたくさんの言葉の中でこれが一番荘重で、そしてその後も長く私を支配し続けたものではなかったかと思います。この言葉によって私は夜空の神秘を美しいものとして感じ、人間が生きるということが充分価値あるものであるということを、自分を納得させるような納得のさせ方で心に刻んだのであります。少くとも、この言葉は、私という一人の青年にとっては、生きることに勇気を感じさせるような魅力があったのであります。

1
1