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ある獄中体験に思う 池田大作  

「四季の雁書」井上靖(池田大作全集第17巻)

前後
1  お手紙、ありがたく拝見致しました。
 梅雨時とあって、今日も朝から雨雲が垂れ込め、何がなし鬱陶しい気分です。井上さんの中国御訪問と相前後した、今回の私のヨーロッパ、ソ連の旅は、これまでの海外訪問の時に比較して、多少、強行日程を重ねましたので、さすがに暫くは、旅の疲れがおりのように身体の隅に残っているような感じでした。それでも根が性急な質だからでしようか、帰国後もあまり落ち着いていることができず、相変わらず繁多な日々を過ごしております。
 そのような折、御書面に接し、周囲に籠っている重い空気が払われるような、晴れやかな気分を覚えております。特に、西安郊外の武帝とその部下の霍去病の墓について述べられた個所には、心に滲み入るような感銘を受けました。残念ながら私はまだ、その地を訪れたことがありません。しかし御書面によって、井上さんがそこにたれた時の、その場の情景を、彷彿と思い浮かべることができるようです。
 黙して語らぬ史跡は、それを視る人によって、いわば新しい発見がなされ、深い意味を附与されるものであると思います。井上さんの透徹した史眼によって、武帝と霍去病との間に交された人間愛が、今、一つのドラマとして蘇ってきたもののように感じられます。人はその生涯に、様々な機縁に触れて多くの友を持ちますが、やはり何と言っても、その人における最大の苦闘の時に、苦難を共にし、喜びをわかちあった友への想いが、生涯を通じて最も貴重なものとされるのではないでしょうか。
 晩年、老齢の身の武帝が、早世した武将へ寄せる烈しい愛情、と言われましたが、私もその真実を直感せずにはいられませんでした。
 また御親友の野村尚吾氏の訃報に接せられた時の御感懐には、とりわけ胸打たれるものがあり、感銘深く読ませて戴きました。未見の方ではございますが、このような心奥の御真情を伺うにつけ、私への隔意のない親しいお心がありがたく思われ、直ちに御返事を認めずにはいられなくなった次第です。
2  前回の御書面のなかで、井上さんは五月という月が好きであると書いておられました。私は一月生まれで一月という月に人懐かしさをもっておりますが、五月も好きな季節です。パリ、ロンドン、モスクワと旅をしてきましたが、萌え出づるような新緑が鮮やかでした。
 特にパリの五月は、いつも素晴らしいと思います。どういうわけか、私がヨーロッパを訪れるのは、五月という季節が多いのです。前回も、その前の時も五月でした。
 マロニエの街路樹は、枝々に白い花をたわわにつけ、舗道に白い花弁を散らしていました。セーヌの水はぬるみ、さぎめくような川面が、柔らかい日差しのなかで光っていました。歴史を刻む街と調和した光景は、何度見ても心魅かれるものでした。
 しかしそれにもまして、多くの人との交流、接触の機会の得られることが、私にとっては旅の魅力となっています。
 パリでは四つの対談を致しました。アンドレ・マルロー、ルネ・ユイグ、ジル・マルチネの各氏とは、いずれも再会でしたが、ローマ・クラブの代表世話人であるアウレリオ・ペッチェイ氏とは初めての対談でした。御存知のこととは思いますが、ペッチェイ氏は二年前、ローマ・クラブ東京総会で来日されております。
 ローマ・クラブは、反響を呼んだ「成長の限界」という報告に見るように、人類の未来の危機を警告し、その解決策を探って活動している団体です。その創設者であるペッチェイ氏は、物質的成長の限界を説き、人間性革命を提唱しています。
 人類は遠からず資源、食糧、人口問題などで文明の岐路に立たされるにちがいない。いやその時はすでに目睫もくしょうに迫っている。しかしそれでもなお、人間のもつ可能性を信じ、新たな選択、適応への英智を信じ、期待もする。――その信念が、氏の提唱する人間性革命の礎石となっているようです。
3  氏の語るところによれば、これまで人類が経験した三つの革命――産業、科学、テクノロジー革命は、いずれも人間の外側における革命であった。その革命の帰結としてもたらされた今日の混乱と危機は、人間の内側からの革命でなければ回避できないであろう――というのです。
 そしてペッチェイ氏は、人間はそれを達成するにちがいないと信じ、行動しているわけです。「私は楽天家かも知れません」と氏は笑っていましたが、私はそこに、どんな困難な課題に直面してもたじろがず、次の局面を開くために挑戦しゆく一人の、真実の理想主義者の姿を見る思いがしたものです。それにしても、その果敢な姿勢はどこで、いかにして培われたものだろうか、と対話の途中から私は考えていました。
 二時間にわたる対談のなかで、私はたまたま氏の獄中体験について触れました。私事にわたって恐縮ですが、私にも短期間ながら拘置された苦い経験があります。更に、さかのぼって言えば、私の恩師である戸田城聖先生は、その師・牧口常三郎先生と共に、戦時中、治安維持法違反の名目で投獄されておられます。
 それらは横暴な権力との闘いという私どもの、いわば原体験の核になっているものです。恐らく、ペッチェイ氏の現在の立場、そして活動にも、そうした獄中体験が反映されているのではないだろうかと、私はひそかに考えました。
 獄中体験を語る時、がっしりした体躯と精力的な言動を柔らかな物腰のうちに包んだペッチェイ氏の眼には、精悍な気迫を感じさせる光が閃くように思われました。けれども、それはほんの一瞬間のことで、すぐ元の静かな表情に戻っていたのです。むしろ、そこには、私の思いすごしかもしれませんが、ある種の追憶の情さえ湛えられているように見受けられました。
 ドイツにヒトラー、イタリアにムッソリーニが登場し、ファシズムの嵐がヨーロッパを席捲していた第二次大戦中の一九四三年、ペッチェイ氏はフィアット社に勤めながら、イタリア最大の地下抵抗組織に加わりました。そしてその年、氏はローマでの秘密任務を終えてトリノに戻りました。

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