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日蓮大聖人・池田大作

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付・上巻 あとがき  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  旅人は、真情こもるメッセージを携えてはるか西方よりやって来た。
 彫りの深い、男性的な豪放さをたたえた面立ちに、類いまれな細緻さと、徹して道を求めゆく青年のような真摯さと、民主と魂の自由への不屈の意志とを、柔らかに包み込んで、ペレストロイカの熱気あふれるモスクワの地から、はるばると、人知れぬ運命の糸に導かれるように、旅人は、この地へとやって来た。いかなる因縁によるか、その忘れ得ぬ出会いの日から、友情という私のグローバル・ネットワークは、また一つ、強固な結び目を作り上げたと言ってよい。
 邂逅──チンギス・アイトマートフ氏との出会いは、私にとって、まさにこう表現するしかないものであった。三年前の、八八年十月、菊の花薫り樹木の彩りもあざやかな秋たけなわのころ、東京・信濃町の聖教新聞社で、初めてお会いした。出会いは、まさに劇的であったと言ってよい。初面識ながら、握手を交わしたとたん、あたかも十年の知己と再会したかのような共感がわき、互いの心と心が触発を重ねるなか、二時間が、あっという間に過ぎ去ったことを記憶している。そこには、魂のやすらぎがあった。清らかな泉がわいてきた。さわやかな充足があった。生命と生命との交響の曲が高らかに奏でられた。友情と共鳴のドラマは、その後、モスクワで、東京や軽井沢で、ルクセンブルク、パリで、家族ぐるみの交歓を重ねるごとに、月を追い、歳を重ねて、深さと彩りを加えていった。
 その機軸を成していたものは、詩心であったと思う。“ロシアの良心”と言われるリハチョフ氏は、著書に次のような言葉を引用している。「……芸術とは、もっとも深い意味で人間的なものである。それはひとから発し、ひとへと至る──それも、ひとにおけるもっとも生き生きとして善なるもの、最良のものへと至るのである。それは、人びとの魂をひとつにむすびあわせるのである」(『ロシアからの手紙 ペレストロイカを支える英知』桑野隆訳、平凡社。E・A・マイミンの『芸術はイメージで考える』の引用)と。
 この芸術・詩心こそ、現代という時代に最も欠けているものであり、それゆえに、詩心の復興こそ“人間性の危機”が憂慮されている二十世紀の世紀末における最も重要なる課題と言えるであろう。このことは、アイトマートフ氏も私も、深く首肯し合ったところである。
2  この対談集は、三年前の初の出会いのさい、発案されたものである。以来三年間、周知のようにソ連情勢は、だれびとの予測をも上回る激動に次ぐ激動を重ねた。そのテンポがあまりに急なため、当時は新鮮に思えたテーマも、今では、はるか昔の出来事のように思えるものもある。たとえば「ブレジネフ・ドクトリン」として知られる制限主権論の放棄などが、それである。しかし、若干の手を入れるだけで、あえてそのままにしておいた。時局的な話題を取り上げても、私たちの問題意識は、つねに本質論に向けられていたからである。
 しかし、本年(一九九一年)八月のクーデターとその挫折だけは、その意義の大きさからいっても、何としても、素通りしてすませるわけにはいかない。幸い、ルクセンブルクのアイトマートフ氏から所感が寄せられたので、私のそれと合わせて冒頭に配し、読者の便に供したしだいである。なお、分量などの点で、上・下分冊を余儀なくされた。下巻は、来春発刊を期していきたいと思っているので、ご寛恕を乞いたい。
   一九九一年十月   池田 大作

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