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日蓮大聖人・池田大作

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時代の終わりと始まり―― あとがきに代…  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  アメリカの政治学者Z・ブレジンスキーは、著書『大いなる失敗――二〇世紀における共産主義の誕生と終焉』の末尾で、次のように述べている。
 「二〇一七年、ボリシェビキ革命から一〇〇年後、自由の広場と名を変えた、旧『赤の広場』のレーニン廟には足場が掛けられている。廟を地下駐車場への入口に改造する工事が進んでいるのだ。最近、クレムリン内で始まった展覧会に訪れる、大量の観光客用に建設しているのである。展覧会の題は『いたずらに費やした一〇〇年の歳月――失った五〇〇〇万の人命』」(伊藤憲一訳、飛鳥新社)――と。
 揺れ動く旧ソ連の近未来を予測した、一種のブラック・ユーモアと言ってよい。しかし、ソ連邦崩壊後、数カ月を経た今日の時点で目にすると、生々しいまでに真に迫ってくる。彼は、それを受けて「これはまるきり夢物語だとはいいきれない」としているが、夢物語どころか、二〇一七年を待たず今世紀中にも、予測が現実のものとなりかねないだろう。
 今にして、すでにクレムリンの尖塔には赤旗に代わってロシア共和国の三色旗が翻り、CISのいたる所でレーニン像が取り払われ、レニングラードはサンクト・ペテルブルグと帝政時代の名前に戻り、同市のサプチャク市長の口から、公然とレーニン廟の撤去が口にされる時世である。赤の広場の名前もレーニン廟も、はたして今世紀いっぱい存続するかどうか、保証のかぎりではあるまい。ユーラシア大陸の中枢部を巻き込んでいる世界史の地殻変動のテンポは、それほどに激しく、速い。本対談集も、上巻を上梓した時は、愚かなクーデターの失敗とそれにともなうソ連共産党の解体の感慨さめやらぬ中であったし、下巻の完成時には、ソ連邦そのものの消滅のみならず、CISの存続すら予断を許さないという目まぐるしさである。まことに「時は万物を運び去る」(ヴェルギリウス)の感を深くするばかりである。
2  赤の広場――いうまでもなく、ロシア革命のシンボルである。クレムリンに面したこの広大な広場で、かつてレーニンやトロツキーなどの革命指導者が大衆に訴えかけ、第二次世界大戦の時は、ドイツ軍から捕獲した武器が山積みされたこともある。五月一日のメーデーには、幾万、幾十万の市民が小旗やプラカード、風船を手に手に行進し、十一月七日の革命記念日にはミサイルや戦車などの巨大な武器がごうごうと音を立てて、武威のデモンストレーションを行う。
 中心部に設けられたレーニン廟には“革命の父”を一目見ようと、いつも見学者の列が絶えず、主だったイベントのさい、廟上は、党幹部がずらりと顔をそろえるひな壇と化す。式を終えたばかりの、初々しい新婚のカップルの姿を目にすることもしばしばだ。
 一九七四年以来、五度にわたる訪ソのつど、この年旧りた石畳の上に、何度足を運んだことであろうか。私にとっては、あのレーニン丘にそびえ立つ、ゴシック様式もいかめしいモスクワ大学と並んで、最も心に刻まれている場所である。それだけに、この由緒ある広場の運命が、どのような帰趨をたどっていくのかには、いささか感無量の思いを禁じえない。もっとも、「赤い」を意味するロシア語の「クラースナヤ」には、古くは「美しい、立派な」という意味もあったので、無理に変える必要もない、と言う人もいるそうではあるが……。
 ともあれ、ソ連邦の誕生から消滅にいたる七十四年間の意味するものは、一つの「理論」の破綻であり、「理念」の崩壊であり、「理想」の挫折である。ブレジンスキーは、その間の犠牲者を五千万人としているが、人によって三千万人と言う人もあれば、本対談の相手アイトマートフ氏のように四千万人と言う人もある。じつに途方もない悲劇というしかないが、しかもだれも正確な数字がわからないというところに、その悲劇性が倍増する。コミュニズムはナチズムと並んで、「イデオロギーの世紀」と言われた二十世紀を思うがまま蹂躙した怪物として、消し去ることのできない傷痕を刻んでしまったのである。
3  マルクス・レーニン主義は、美しい、ある意味では完結した、人類史を一望のもとに収める壮大きわまる「理論」であった。その革命的理論に導かれた革命的実践は、私有財産の廃止といい、農業の集団化といい、あるいは計画経済といい、当初の意図したとおりの革命的成果を生むはずであった。歴史の必然的法則にのっとったプロレタリアートの勝利は、人類史を「前史」から真の「歴史」へと進歩させ、民衆のパラダイス、黄金時代を迎えるはずであった。その推進役である人間もまた、「理論」の間尺に合わせて作り直せるはずであるとして、猛烈な“学習”運動が繰り広げられた。間尺に合わない、また合わせようとしない人間に対しては容赦なく“鉄の手”が襲いかかり、ソ連全土を“収容所群島”と化さしめた。美しい、壮大な「理論」と、醜悪きわまる「現実」との間には、そら恐ろしくなるほどの落差と深淵が横たわっている。「理論」は、その完結性のゆえに欲望の限りなき肥大化を助長し、その手段と化し、R・アロンの言うように「プロメテウス的野望は、全体主義の知的源泉の一つ」(『レイモン・アロン選集3 知識人とマルキシズム』小谷秀二郎訳、荒地出版社)を、文字どおり、地でいってしまったのである。
 マルクス・レーニン主義はまた、たしかに魅惑的な「理念」であり「理想」であった。どんな人間でも、何らかの夢や希望がなくては、生きていくことはできない。とくに、青年はそうである。今世紀とくに“赤い三〇年代”と呼ばれる一九三〇年代を中心に、社会主義のイデオロギーは、文字どおり、人々の夢であり希望であった。
 起て、飢えたる者よ
 ………………………
 ああ インターナショナル
 我らがもの(佐々木孝丸・佐野碩作詞)

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