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日蓮大聖人・池田大作

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「内なる神」の意味するもの  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  池田 神の内面化は、ドストエフスキーにかぎらず、前にも少し述べましたが(=第五章、「宗教における『不変』と『可変』」の項)、レフ・トルストイにも顕著です。彼は晩年、「神の王国は汝らのうちにあり」と訴え、「人間はただ自己の中にのみ神を認識することができる。自分の中に神を見つけない限り、神はどこにも見つからないであろう」(小沼文彦訳編『人生の知恵 トルストイの言葉』彌生書房)と語り、教会など外なる権威を否定し、どこまでも自己に沈潜していきます。
 こうした内面化の軌跡は、時代や社会と真正面から取り組み、誠実な生き方を貫いた人に共通に見られることのようです。私は一九八一年にブルガリアを訪れましたが、当地の革命詩人フリスト・ボテフは、こう歌っています。
 おお わたしの神よ 正しき神よ!
 それは 天の上に在す神ではなく
 わたしの中に在す神なのです
 わたしの心と魂の中の神なのです……
 (『フリスト・ボテフ詩集』真木三三子訳、恒文社)
 トルストイやボテフの神は、超越神という人間と隔絶した天上の高みから、人間の内奥に降り、神と人間の距離はきわめて近づき、ほぼ等しいまでになっています。
 もとより「悪への無抵抗」を説き、愛の哲学に生きたトルストイと、革命に立ち上がり、敵の銃弾に倒れたボテフとは立場が異なりますが、二人の説くところはいずれも教会などあらゆる権威の呪縛から人々を解き放とうとする人間愛の叫びであったと思います。
 そして、自身の心の内に神を見いだすことによって、人間の尊厳と自由と平等への契機が示されたと言えましょう。また、「内なる神」が存在すると考えることは、その考えが一人一人の胸中に内的規範、すなわち宗教的信念として宿ることであり、それは、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」へと転じゆく回転軸になると私は考えています。
 しかし、一方で「内なる神」とは、プロテスタントの万人司祭主義ではありませんが、個々人に神の解釈がゆだねられることを意味しており、百人百様の解釈が生まれます。
 それだけに神というものの概念があいまいであれば、神は社会の普遍的な精神基盤とはなりえず、かえって混乱を招くことにもなります。その意味から、あなたの言われる神の骨格となる概念についてお聞かせください。
 神の王国は汝らのうちにあり
 『宗教論 下』中村白葉訳、『トルストイ全集15』河出書房新社。
 フリスト・ボテフ
 一八四八年―七六年。
 万人司祭主義
 十六世紀の宗教改革で新教徒すなわちプロテスタントは、カトリックの教会中心に対し、聖書を重視し、信仰をもつ者すべてが“司祭”であるとした。
2  アイトマートフ 提起された問題について次のような視点を紹介したいと思います。よく知られている格言に、「神はいたるところにいてどこにもいない」というのがあります。私たちがトルストイの思想に連続させて「わが内なる神の王国」と言っていることとそのことを、どのように結びつけたらいいのでしょうか?
 後者は前者を否定してはいないでしょうか? それとも、後者には、自分を神と同等なものと見なしたいというひそかな誘惑が隠されていて、だれかがうぬぼれの酒に酔いしれて陶然となり、突然「神が自分の内部に宿っている」と本心から思い込むようなことにならないでしょうか?
 しかし、そのように思い込むのは病的現象です。わが国の現代史でそのような行動の顕著な例は、グリゴーリイ・エフィーモヴィチ・ラスプーチンです。彼は自分に対する崇拝の念を上流階級の間に、それもロシア最後の皇帝の側近たちの間に吹き込み、その結果、多くの人が、皇后も、それに彼自身も、神がこの「聖なる修道士」の言葉を借りて語っている、と無条件に信じていました。
 ラスプーチンを精神異常者と見なすことはできないでしょう。しかし欲得ずくのいかさま師と言うなら話は別です。しかしそう言ったところでこの不気味な人物の特性を説明し尽くしたことにはなりません。それではあまりに単純すぎます。
3  考えてみますと、それはある一定の歴史的状況の中だけで可能な特異な出来事です。社会的雰囲気には世界的規模の悲劇が発生しそうな予感がみなぎり、「この世の終わり」という神秘主義的な宿命観がただよい、それを防ぐことができるとすれば、奇跡のような超自然力しかないと感じられていた世の中です。そこへ、待っていましたとばかり、その表現者となって突然現れた「奇跡者」がラスプーチンでした。
 にもかかわらず、彼が奇跡を渇望している人々に与えた衝撃的な印象は、やはり彼自身の個性と結びついていたと思います。
 彼は意識的に聖人を装っていましたが、結局は自分でもそれを信ずるようになったにちがいありません。崇拝者たちの熱狂的な賛美がそれを促進したにちがいありません。
 私がどうしてこのような驚くべき歴史的事例を持ち出したかと言えば、それは、善良な意図が時にはどういうことに転化するかを、時にはそれが営利のために利用されうることを示したかったからです。
 こんなことを言うのも、自分は神にかかわっているとうぬぼれる人間が何らかの超人間的な野心をもち、特権をもつということがどんなに危険なことであるかを忘れてもらいたくないからです。神へのかかわり! そこには明らかなごまかしがあります。それは思想上の制度となった教会に対して異を唱え、それどころか教会と対決しようという人間を弾圧するために、教会の権威を利用しているだけなのです。
 「教会」はいったん国家制度になると、社会生活の掟、しかもたいてい保守的な掟をふりかざします。そしてそれのみならず、精神的自由の発露や科学的・哲学的世界観が宗教の決めた宇宙観によって是認された「世界の構図」を揺るがしかねない場合には、とたんに抑圧しようとします。
 まさにその時に聖なる異端審問が始まり、火あぶりの火が燃えだします。その火は中世の陰惨な残虐的行為を照らしだしていますが、しかし、そのような残虐行為は、エジャ・スタニスラフ・レッツの言葉によれば、いつの時代にも存在します。
 異端審問は時代が変われば、当然ながら形式も変わり、指導者のシンボリックな名も、トルケマダ、ヒトラー、スターリン……と変わります。
 これに関連して、以前の異端審問はその後の異端審問より「まし」だったという声を、ことに最近よく耳にします。
 その場合、「有力な」論拠として引用されるのは、異端思想の祭壇に捧げられた犠牲者の数です。罰当たりな論理だと言わねばなりません。もちろん、規模はそれぞれ違いますが、人間の人格に対する残酷な弾圧であるという本質においては変わりません。
 グリゴーリイ・エフィーモヴィチ・ラスプーチン
 一八七一、二年ころ―一九一六年。ロマノフ王朝の末期、皇室に取り入った怪僧。
 トルケマダ
 一四二〇年―九八年。残虐をもって知られるスペイン宗教裁判所の異端審問官。

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