Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ドストエフスキーの宗教観  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  池田 あなたの『処刑台』を拝見して感じましたことは、ここで展開されている宗教観が、ドストエフスキーの宗教観と、深く水脈を通じているのではないか、ということでした。
 一例を挙げれば、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章で、ローマン・カソリックが「奇跡」と「神秘」と「教権」という外なる権威をもって人々に臨んだのに対し、キリストを登場させ、「自由な愛」という内面的規範を強調しております。また、地獄とは何かということについても、長老ゾシマに託して「愛し能わざる苦悶」であるとし、人間の外に地獄を見いだすのではなく、内面化してとらえています。
 これらは、キリスト教の風土の中で起こった「内面への旅」であると言えましょう。もとより世界宗教の名に値する高等宗教が生まれる場合、すべてそうであったように、イエスの教義や初期キリスト教内にも、そうした内面化への契機が存在したのですが、徐々に教勢が拡大し、とくにコンスタンティヌス大帝のときにローマ帝国において国教化され、教会の権威が確立されると、それは「外なる権威」として絶大な威力をもって君臨しました。
 私はかつて、フランスのアカデミー・フランセーズ会員のルネ・ユイグ氏との対談を『闇は暁を求めて』として上梓しましたが(本全集第5巻収録)、その中でユイグ氏は、ちょうどこの「大審問官」の個所にふれられ、キリスト教のこうした害について「キリスト教は、なんら責任を負うとは考えません。むしろ問題にされなければならないのは教会です」と言っておられました。
 あなたの『処刑台』についても、同様のことが言えるのではないでしょうか。ちなみに神学校をやめていく主人公のアヴジイに、新しい教会の在り方として「何百年来の硬直化した旧体制を克服し、教条主義から自由になり、神を自己存在の最高の本質として認識することによって人間精神に自由を与えること……」(前掲書)と語らせておられる。また「わが教会は私自身です。私は神殿を認めません」(同前)とも言わせておられますが、これは、ドストエフスキーの考えに通じています。
 たしかに、ドストエフスキーの宗教観は、多分にロシア正教への思い入れが強く、理想化されたものであって、ロシア正教の現実とは、大きなギャップがあったことは、私も十分に承知しているつもりです。
 ところで、あなたを宗教の「内面への旅」に向かわしめたものは何であったのか、また「内面への旅」のもつ意味について、どのように考えておられるかをお聞きしたいと思います。
 コンスタンティヌス大帝
 二八〇年ころ―三三七年。ローマ皇帝。ミラノの勅令によってキリスト教を公認した。
 ルネ・ユイグ
 一九〇六年―。フランスの美術史家、美術批評家。
2  アイトマートフ 尊敬する池田先生、初めに、あなたのご質問によって、あなたの問題提起の核心と性格によって、私はすっかり考え込んでしまったということを申し上げなければなりません。何について考え込んだかといえば、私はどういう資格であなたと純粋に宗教的なテーマについて話ができるだろうかということ、つまり、仏法者であるあなたと、その方面ではずぶの素人である私がどういう言語で――つまり、どういう用語で――対談を行うことができるか、ということについてです。
 とにかくあなたのおかげで、私は宗教一般についての私自身の態度について真剣に考えざるを得なくなりました。正直なところ、これはそう簡単な問題ではありません。しかし、それが重要で、かつ必要欠くべからざるものであることも承知しています。
 いいでしょう、やってみましょう。私は自分が無神論者では絶対にないと思っていますが、だとすれば、私は何者なのでしょう? いずれにしろ、私は自由な宗教的選択を支持する者です。しかも、私は、信仰がどのような宗教意識の形態をとろうと、その信仰の共通の根は、生命への尊敬、人間への尊敬にあると思っていますので、私はどの宗教にも大きな尊敬の念をもっています。
 宗教は、それぞれの民族の昔からの精神的、哲学的、道徳的経験を表現することによって、人々の生活を助け、日々の暮らしの中でみずからの場所を見いだすことの手助けをしています。もっと広く言えば、最高の倫理的信条にのっとってこの世に生きることを助けています。
 さらに言えば、私の考えでは、信仰は特別な世界観であり、特別な世界認識です。盲目的でなく、深い自覚をもつ信仰人は人間的です。それというのも、周りの世界にめくるめく神秘が存在していることを感じているからです。人間は、その神秘はそっとうかがい知ることしかできないし、もしそれがベールの中から現れるならば、そのことに対して敬虔な感謝を捧げるべきものであることを知っています。
 しかし、人は皆、信仰の道に入るか否かという点で自分を試すことになります。とはいえ、この点について二者択一にしばられない第三の人間がかならずいるものです。そういった人々は極端に走る者をほどよく調和させ、流血紛争の危険性を警告する緩衝帯になっています。それは、たとえば、過酷な宗教戦争を経験してきた西欧に例を見ることができます。
 そこで、私のほうからも一つ質問したいと思います。たとえば、イスラム教を信奉する国々に見られるような、狂信的な激しい宗教的対立はどう説明したらいいのでしょうか? イスラムはまだ若い宗教で、これからまだあらゆる病気を一通り経験しなければならないのだ、というようなことで説明し尽くされるものでしょうか?
3  池田 「宗教の狂信的な傾向」という点について指摘しておきたいことは、それがイスラム世界に限られた現象では決してなかったという事実です。
 歴史的に見ても、ヨーロッパには、たとえば約二百年にわたってつづいた「十字軍」の企てがありました。ヨーロッパ側からすれば、「聖地回復」を願う宗教的情熱の発露であったかもしれませんが、イスラム世界の人々にとってみれば、まさに狂信が生みだした災厄以外の何物でもなかったはずです。しかも当時、キリスト教的世界観の牢獄に封じ込められていた趣のあるヨーロッパに比べ、イスラム世界は、はるかに活力に満ちた文明を築いていたのですから……。
 さらに申し上げたいことは、現代に見る、いわゆるイスラム原理主義の伸長や、欧米との諸対立といった問題の底には、近代以降、西欧がイスラム世界に加えてきた武力侵略、経済支配などに対する、いかんともしがたい反発が横たわっているという点です。
 いかなる場合にも、「目には目を」的な報復の論理や、武力の行使自体が、許されるべきでないことはもちろんです。ただ、留意されるべきは、たとえば、宗教の名のもとに、人を殺すことを許容するイスラム世界と、近代化され、世俗化された世界の間には、意識や常識の上で抜きがたい断絶があるという事実です。そしてイスラム世界については、そうした状況を十分にふまえたうえで、より正確に認識し、より冷静に対処していく必要があるということです。
 事実、そうした観点から、イスラム世界像の構築をめざす試みも現れ始めました。いわゆる「文化相対主義」の思潮や、フランスのアナール学派などに見られるような、西洋偏重の歴史観組み替えへの挑戦なども、その一つと言えましょう。
 求められるべきは、過去への反省の上に立って、私たちとイスラム世界の双方が率直な対話の努力を積み重ねていくことです。平凡なようですが、それ以外に平和への「王道」はありません。イスラムの文化、社会、習慣、歴史について、私たちは、どこまで知っているというのでしょうか。にもかかわらず、互いに「話のできない相手」と、決めてかかっている面が多分にあるのではないでしょうか。
 新しき平和秩序への道を模索しつつある現代世界が求めているのは、「東と西の対話」だけではないはずです。私たちは今こそ、世界史の一方の主役でありつづけたイスラム世界の友との対話と交流にも力を尽くしていくべきでしょう。
 十字軍
 十一世紀末~十三世紀後半にかけて、ヨーロッパのキリスト教徒がイスラム教徒を敵として行った遠征。聖地エルサレム奪還をめざした。
 「目には目を」
 「目には目を、歯には歯を」。与えられた害に対しては同様の報復をすること。旧約聖書に説かれている。バビロン第一王朝の王ハムラビが制定したハムラビ法典にも同じように定められている。
 アナール学派
 一九二九年、リュシアン・フェーブル、マルク・ブロックが『社会経済史年報』を創刊。人間活動の全体をとらえることを強調し、日常的視点から民衆文化も視野に入れている。「年報」すなわち「アナール」からその名称がある。

1
1