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日蓮大聖人・池田大作

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母性へのイメージ  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  池田 『処刑台』に登場する母狼アクバラは、母性像としても鮮烈に表現されています。あなたは『母なる大地』などでも母性像について描かれていますが、とりわけアクバラの、強さと逞しさ、家族への計り知れない慈しみと、またそれゆえの悲哀をたたえた姿には、じつに存在感があります。
 『戦争と平和』ではかつて可憐で社交界の華のようであった伯爵令嬢ナターシャが、大きく巡る運命の中で妻となり、母となり、人間的にも変化したありさま、髪をふり乱しながら子どもを育て、家事に従事しつつ、家族の絆を守り、大きく包容していく母としての彼女の姿が、美しく描写されております。私は彼女の変貌ぶりもさることながら、母とは何と麗しくも尊い存在なのかと、感銘したことを今も覚えております。
 ゴーリキーの『母』もそうです。愛する息子が革命運動家となったことから、その主張に共鳴しつつ自己の自立を成し遂げていく平凡な女性を描いたこの作品にも、決して代償を求めることなく、ただ虚心に愛する者たちへ手を差し伸べつづけるたおやかな母の心根が伝わってきます。
 こうした作品から見て、母性の特質とは、いわば「無償の愛」と限りない「赦し」を可能とする、豊饒なる大地のごとき性分、そして、理屈ではない、みずからの心に映った像をどこまでも大切にしつつ、時として不当な権力にも敢然と挑む気丈さ、気高さを兼ね備えたところに求められるのではないでしょうか。母なる存在にいだく、あなたのイメージを聞かせてください。
 アイトマートフ あなたは『戦争と平和』のナターシャ・ロストワを挙げられました。これこそつねに身近にいるように感じられる女性です。あなたはこの女性を母性の象徴と見ています。たしかに、ナターシャはトルストイの才能が創り出した永遠に伝統的な女性像の一つです。しかし、トルストイは、当時流行っていた女性解放の思想にその女性を意図的に対置させたということも強調しておかねばなりません。
 池田 その女性解放の思想は、現在もその意義を失ってはいません。むしろ、より現代的な形態に発展しています。そうでしょう?
2  アイトマートフ そのとおりです。しかし強調したいことは次のことです。つまり、真のリアリズム作家として、あくまで人生の真実を追究していたトルストイは、人間個人の運命のみならず、社会や国民全体の運命を支配するものは何かという、その選択の異常なむずかしさと、にもかかわらずその選択は不可避であることを理解していたということです。
 そのために、トルストイの場合はつねにそうであるように、主人公は感情の嵐を、感情の天国や地獄を経験し、多くの誘惑を乗り越え、精神的、肉体的破局におちいり、援助はどこからも期待できず、何をも当てにできないような状態に落ち込むのです。
 そこで、たとえば、ナターシャを生活の真実へと導いたものは何だったのでしょうか? 彼女の曇りのない心です。その心がつねに感受性の強い熱しやすい若い娘を守り、より高くより深いもののために、すなわち彼女の真の願望や使命を実現するために、彼女を守っていたのです。彼女は真の願望や使命を自分自身の苦悩をとおして達成しなければなりませんでした。
 私が言いたいのは次のことです。トルストイの教訓は、彼がみずからの主人公に自己認識と自己完成の困難な道を歩ませながらも、彼自身は、社会の全体としての道徳的雰囲気がいかに重要であるかということ、個性の萌芽期に家庭で始まる教育が、人間のその後の人生および運命においてどれほど大きな役割を演ずるかということを確信していて、それを私たちに悟らせようとしたことにあります。その教育とは、人間の心に知性の意味と、相互の感謝の念の中で種の存在を維持することの意味を、明確に理解させるという永遠の目的をもったものです。
3  トルストイの小説のヒロインが最後に母性の中に幸福を――しかも最高の幸福を――見いだすということは、たんに女としての、いわば、「正常な」生活と使命の図解であるだけではありません。母性の本能、生まれながらの欲求が精神性の極致にまで高められ、そこにおいて女性はみずからの内に秘めた本質を、あえて言えば、母という名の最高の称号を得るのです。
 母は自然界と融合します。なぜならば、母性こそ自然以外の何物でもないからです。その子どもたちのおかげによって、母親は何にも例えられない不死の感情を味わうことができるのです。
 しかし、近代は母性の地位をゆがめ、踏みにじっていると言わざるをえないと思います。残念なことに、母親がそれも普通、初産の若い母親が新生児を棄てることが、社会的不幸となって増大しつつあります。
 どの都市にも、棄てられた幼児の収容施設、いわゆる「幼児の家」が開かれています。破壊的な社会的諸原因が生んだ主要な結果だということはわかります。しかし、にもかかわらず、これは時代の兆候であり、より正確に言えば、時代の呪いです。
 以前は、私の子ども時代には、母親が自分の子どもを見棄てるなどということは、聞いたこともなく、また、考えられないことでした。母親が子どもを守りきれなかったこと、育て上げきれなかったこと、また飢饉や困窮の時に子どもとともに死んだことはありえましたが、幼児を棄てたこと、神によって決められた絶対的な義務を放棄したことは、決してありませんでした。
 そのことに関して次のようなことが思い出されます。幼年時代と少年時代に、私は夏になるといつも叔母、つまり父の妹のいるキルギスの農村へ行って、夏休みが終わるまで過ごしていました。そこで私はほかの男の子ども同様に、子連れの羊を放牧地へ追っていく仕事をしていました。
 カラクィズ叔母さんの家には子連れの母羊が十頭ほどいました。時折、どうしたわけか、理由はまったくわかりませんが、お産をした母羊が自分の子どもを受け付けず、拒否するようなことがありました。そのような母羊は不幸な子羊を絶対に近づけず、打ち、角で突つき、子羊に乳を飲ませまいとして逃げ回るのでした。
 叔母にとってそれは本当に大悲劇でした。叔母はそこにこの世の終わりを、神の罰と怒りを見ていました。
 叔母は目に涙を浮かべて、まじないの言葉で子を捨てた羊を「諭そう」としました。何かつぶやきながら、羊の首にお守りをぶら下げたりもしました。
 そして、夜には、叔母は、かまどの前で自分の悲しみや物思いに沈みながら、天に向かって、この世に何が起こったのでしょうか、だれかが神を汚したのでしょうか、正義を踏みにじったのでしょうか、どこかで山が崩れたのでしょうか、川が逆流したのでしょうか、天の星が消えたのでしょうか、お日さまが暗くなったのでしょうか、月が病気にかかったのでしょうか、風が息絶えたのでしょうか、等々と本気になって問いつづけていました。さもなければ、羊といえども母が自分の産んだ子を拒むなどということは信じられなかったからです。

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