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日蓮大聖人・池田大作

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敬愛する友、アイトマートフ大兄  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1          池田 大作
 やむにやまれぬ心情を吐露された書簡、拝見しました。ご指摘の「歴史の終わり」と題するフクヤマ論文は、私も以前、その抜粋に目をとおしました。たしかに、それは、ある意味では真実を含んでおります。共産主義の挫折、なかんずくその先駆的栄光を担っていたソ連共産党の崩壊は、近代の西洋が生みだした歴史の進歩発展のモデル――コント流のものであれ、ヘーゲルやマルクス流のものであれ――を、ことごとく葬り去り、その結果、きわめて常識的かつ散文的で、さして面白味のない理念なき時代がやってくるかのようです。
 しかし、それはあくまで一面的な見方であり、歴史総体のわずかな部分を切り取ったものでしかありません。具体的に言えば、フランス革命=ジャコビニズムの発展上に、あるいはその完成としてロシア革命=ボルシェビズムを位置づけようとしてきた歴史観が、ボルシェビズムの体現者としてのソ連共産党の崩壊によって息の根を止められたということにすぎないのです。この歴史観自体、フランス革命二百年にあたる一九八九年を前後して、さまざまな批判の嵐の中にあったので崩壊もそれほど大きなショックではありませんでした。我々を驚かしたのは、崩壊のスピードと、あまりのあっけなさでした。まさに“破壊は一瞬、建設は死闘”の思いを深くしました。
 とはいえ、人間が人間であるかぎり、ということは動物と違って人間が記憶や思索、希望といったものをまとって生きつづけるかぎり、歴史が終わるはずはありません。その証拠に、世紀末のカオスのなかで、現在、来るべき世紀への模索と位置づけの試みが、盛んに行われているではありませんか。私自身、三十年ほど前から、二十一世紀を“生命の世紀”とする遠望をいだいて、世に問うてもきましたが、その内容については多岐にわたりますので、割愛させていただきます。
2  さて、あなたの最も重要なお尋ねは、国際社会における非暴力というものの実効性でした。これは、じつに大きな、いってみれば人類史的とも言うべき課題であります。じつは私は、このテーマに関して、ソ連の非暴力研究所の求めに応じて、所感をまとめたものがありますので、それを付記させていただきます。同論文は、どちらかといえば、非暴力の原理・原則面へのアプローチを機軸にしたものです。現実面での対応については、原理・原則をふまえながら、当面、国連を基盤にしたルール作りを急ぐ必要があるでしょう。軍事力を必要としない社会が、近未来的には考えられない以上、ルール作りこそ急務です。もとより、現行の国連をそのまま是認するのではなく、公平を旨として、とくに第三世界を軽視した欧米主導型にならぬよう、十分に留意されなければなりません。そうでないと、国連の名のもとに、かえって地域紛争が泥沼化してしまうケースが出てくることは目に見えています。
 インドの平和研究者、S・ダスグプタに代表される第三世界における平和研究の多くはこうした点を鋭くついていますし、私もよく知る平和研究の泰斗であるノルウェーのJ・ガルトゥング博士の「構造的暴力論」は、あなたの提起された質問と問題意識を共有したものと思われます。
 ご存じのようにガルトゥング博士の「構造的暴力論」は、現在の世界状況の中で、すでに平和ならざる状態におかれた地域、すなわち国際社会の周辺部における貧困、差別、人権喪失、飢餓といった、“制度としての戦争でない状態のもとで戦争状態と等しい状況”の存続している問題を取り上げたものです。
3  国際環境に内在した拘束条件を「構造的暴力」として位置づけ、その程度を分類し、構造的暴力の存在するところ平和はありえないとするガルトゥング博士の見解は、従来の戦争のない状態を平和と定義する平和観と対比して「積極的平和観」として広く知られています。今日、自由主義社会では、「平和」の対語として「戦争」ではなく「暴力」が配される流れになっているのも、そうした背景によります。
 構造的暴力は、その存在自体が紛争を生む要因となり、また、いわば、その正当性をも裏付けています。あなたが「現在の世界秩序の維持をたとえいささかなりとも主張するものではありません。その秩序の不公平さ、不合理さは明々白々です」と言われるように、高度の構造的暴力の存在が、国際システムの中で戦争の確率を高めているわけです。
 こうした構造的暴力を除くための平和的な変化、構造変動をいかにして創出するかという課題、世界全体の構造をいかにして変えるかという問題について、一つの手がかりを与えるものに、国連大学の「人間社会開発計画」に属する「開発の目標、過程、指標(Goals,Processes and Indicators of Development)」があります。
 これは、一九七七年、ガルトゥング博士によって組織されたもので、その基本的な考え方は、これまでの開発の目標がすべて主権国家中心で経済成長を機軸とするものであった点を根本的に反省し、地球的規模で人間中心の目標を作り直し、しかも共同体レベルの地域の自立をもめざしたものです。国益よりも人類益を志向した総合的なビジョンの例示であり、私たちの共通の関心を引く内容となっています。
 国連の強化について付け加えれば、私はかねてより新たな世界秩序への統合化のシステム作りのために、国連を中心とし、その権限を強化すべきことを主張してきました。ポスト冷戦の国際的な多極化の流れの中で、新しい政治的、経済的秩序を作り上げるために、国連を中心にしていくことは、最も現実に即した行き方であると考えるからです。

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