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日蓮大聖人・池田大作

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国益から人類益へ  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  池田 私は従来、現代世界は、ゴルバチョフ大統領も言われるように、一国のみの思考ではどうにもならない状況にきていると考えてきました。その意味では、国家の在り方もグローバルな視野からとらえなおす時期にきていると思います。
 平和、環境、資源、経済……どの問題一つをとってみても、超国家的なレベルで手を結んで取り組まなければ、根本的な解決はむずかしいものばかりです。しかも、これらの問題は人類の未来、人類の存続に深くかかわる、なおざりにできない重要性をはらんでおります。
 世界が緊密に結びつき、互いに影響し合っている現代世界においては、世界的な問題がただちに一つの国の国内の問題にも反映し、また逆に一つの国の問題が世界に波及していく場合が決して少なくありません。
 社会生活をしていく上で、自分さえ良ければそれで良しとする利己主義が許されないように、国際社会にあっても、自分の国さえ良ければそれで良しとする国家エゴは、孤立化という結果を招くだけです。のみならず、長い目で見ればその国にとっても損失をこうむることになるでしょう。
 これはたんに理想主義的な視点だけで言っているのではなく、先に述べた平和、環境、資源、経済などの問題を考えればわかるように、現実的な要請でもあるのです。
 そこにおいてネックになるのが「国家主権」「国益」という考え方です。もちろん、国家主権も長い歴史の中から生まれてきた概念であり、尊重しなければなりません。また、独立した一つの国家として、国益をはかることは当然のことでもあります。
 しかし偏狭なナショナリズムから国家主権に固執したり、一局面的な国益にとらわれるようなことになれば、かえって有害でさえあります。端的な話、今日のような核状況のもとでは、国権の発動がそのまま人類の滅亡へとつながらないともかぎらないのです。N・カズンズ氏が「現代の最も重大な事実は、主権国家が狂暴性を帯びるに至り、人間の生活に対する恐ろしい侵害を招くような政策を追求していることである」(前掲『人間の選択 自伝的覚え書き』)と述べているとおりであります。
 私がかねてから、国益をふまえつつも、より大きな人類益というフレームの中で国益をとらえなければならないと主張し、「国家主権」から「人類主権」へ、「国益」から「人類益」へと発想を転換しなければならないと提唱してきたのも、まさにこのゆえなのです。人類的視座に立った上での国家の在り方が、今ほど問われなければならない時はないのではないでしょうか。
 その意味で、私はペレストロイカを貫く「新思考」に、大いなる期待を寄せている一人なのです。とくに一九八六年十月、ゴルバチョフ大統領が、あれこれの階級的利益に対する「全人類的価値」の優位をレーニンが主張した、と述べられたことには注目いたしました。私の提唱している「人類主権」「人類益」という考え方は、大統領の発言にあった“「全人類的価値」の優位”ということに通ずるものだと思います。
 私が「人類益」を提唱し、ゴルバチョフ大統領が“「全人類的価値」の優位”を強調された背景には、核兵器を運命的・黙示録的な兵器ととらえる共通の認識があるように思われます。一挙に人類を殲滅しかねない核兵器は、いわば「負の重力」で、いやおうなく人類を一つに結びつけたと言えましょう。
 まことに残念なことではありますが、人類が自分たちの世界を一つの運命共同体として自覚するのは、きまって世界的な危機に直面する時であります。“宇宙船地球号”ということが言われたのも、エネルギー・資源問題をめぐって地球の有限性が自覚された時でありました。
2  しかし、このような「負の重力」による結びつきは、それなりの意義はありますが、決して健全なものではありません。もっと未来を志向した前向きな建設的なものにとってかわられなければなりません。「負の重力」に対する「正の重力」による普遍的な人類意識をどのように育てていくか、ここに人類の未来を平和と繁栄に満ちたものとしていけるか否かの分かれ道があります。
 私はそのためにも「世界市民」の育成が急務であると訴えたいのであります。国家、民族、地域という狭い思考の枠を超えて、地球全体を“祖国”とするような、人類愛を根幹とした意識に立つ人間を数多く育てていかなければ、いかに人類は一つと言ってみても、せいぜい危機意識の反映か、さもなくばたんなる空言でしかないでしょう。
 そのために私は「国連世界市民教育の十年」の設定を提案してまいりました。人類の議会とも言うべき国連のリーダーシップにおいて、たとえば「国連開発の十年」をとおして発展途上国への開発援助協力が活発になされてきたように、また「国連婦人の十年」が女性の権利と地位を高める上で大きな力があったように、「国連世界市民教育の十年」をとおして、上述したような世界市民を育成していこうというものであります。そこにおいては、とくに平和教育に力を入れていきたいとも考えております。
 その構想から見るならば、私どもがこれまで国連や広島・長崎両市と協力して行ってまいりました「核兵器―現代世界の脅威」展は、その前駆的な意味をもつものと言えるのではないかと、ひそかに自負しております。また、世界百十五カ国にわたり、人種や国境を超えた民衆レベルにおいて、それぞれの国に貢献しつつ世界平和をめざす人間の連帯を、仏法の普遍的な理念をもって広げてきた私どもSGIの運動は、それ自体、少なからぬ意義をもっていると言えましょう。
 いずれにせよ、今後の課題は、世界を運命共同体とした核による人類絶滅の脅威、その「負の重力」を、どのように「正の重力」に転じていくかにありますが、その場合の転轍機は何であるとあなたは思われますか、ご意見をお聞かせください。
3  アイトマートフ 「人はみな死ぬときは一人」というのは正しいですが、しかし生きるためにはみな一緒でなければなりません。そこで私たちは、一緒に生きることを学ぶ必要があります。それは現代人にとって最も有益な学問となるでしょう。それはまた、いちばんむずかしい学問になるでしょう。なぜかと言えば、人類はまだそれを学んだことがないのですから。
 ところで、私の記憶に間違いがなければ、日本は十九世紀の中期まで“閉ざされた”国であって、みずからの独立性を、現代風に言えば、みずからの主権を厳しく守っていました。そしてそのことがすべてに優先していました。その鎖国状態が現在までもちこたえて存続することはありえたでしょうか? また、当時の日本には、さし迫った必要性があったようには思えないのですが、なぜ急に鎖国をといて、世界に向けてみずから門戸を開いたのでしょうか?
 池田 日本が江戸時代にとってきたような鎖国政策が、現在までつづいているなどということは、いかに空想をたくましくしてみても、とうてい考えられません。
 たしかに、十九世紀の半ばの日本に、すぐ開国しなければならない、さしあたっての要請はなかったかもしれません。とはいえ、当時の日本は、産業、とくに商業の発達はかなりの程度進んでおり、幕府権力の衰微とあわせて、開国は時間の問題であったと思います。
 それにもまして第一の要因は、日本を取り巻く外的状況にありました。アメリカのペリー提督とロシアのプチャーチン提督は、一カ月ほどの期間をはさみ、相前後して江戸と長崎を訪れ、日本に開国を迫りました。
 強引に江戸湾に侵入し、“黒船”の威力を背景に恫喝的に開国を要求したペリーのやり方に比べ、日本の慣例を尊重して、江戸ではなく長崎にやってきた点に象徴されるように、プチャーチンのほうは、はるかに紳士的でした。皮肉なことに、日本の開国を決断させた直接のきっかけになったのが、ペリーの“砲艦外交”であったことは、周知の事実です。
 江戸時代の日本は、日本という民族意識よりも、それぞれが所属する藩意識のほうが強かったのですが、開国によって、民族意識の漸進的な高揚がうながされました。
 黙示録
 新約聖書の巻末の書。地上の王国の滅亡と新しい天と地の到来が預言されている。
 宇宙船地球号
 地球の限られた資源を自覚し、人類共存を強調してアメリカのボールディングが用いた言葉。
 ペリー
 一七九四年―一八五八年。東インド艦隊司令官。一八五三年七月に江戸湾の浦賀沖に来航、翌年に日米和親条約を締結。
 プチャーチン
 一八〇三年―八三年。一八五四年に日露和親条約、五八年に日露修好通商条約を締結。
 黒船
 欧米諸国から来航した船。船体の黒色からいう。

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