Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

民衆の大地に根差して  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

前後
1  池田 ペレストロイカは、ソ連のすべてを包含する全体的な革命であると聞いていますが、その成功のためには、民衆との信頼関係が不可欠であるように思われます。ゴルバチョフ大統領は最近、ペレストロイカの遅滞の原因として、保守的官僚層の抵抗と同時に、民衆自身の意識の立ち遅れを指摘しておられます。
 しかし、ソ連の民衆にとって、長い間、政治へのかかわりや参加意識の芽を摘みとられつづけた結果、「公」に背を向け「私」的空間に閉じこもりがちとなったことは、やむをえない面もあるのではないでしょうか。
 S・ツヴァイクは『人類の星の時間』(『ツヴァイク全集5』片山敏彦訳、みすず書房)の中で、レーニンが封印列車でペトログラードのフィンランド駅に着いた時の群衆の歓呼を鮮やかに描き出していますが、ロシア革命初期の沸き立つような民衆のエネルギーの真っただ中に立っていたレーニンでさえ、「大衆―前衛」理論をうち立て、前衛党のリーダーシップを全面に押し出さざるをえなかったところに、私は、真に民衆の友でありつづけることの困難さが集約されていると思うのです。
2  かつてレーニンは、民衆を基盤とした革命を推進していくにあたって、おそらく巨大なジレンマに直面していたことと思います。そのことを日本の優れた文人・芥川龍之介は、レーニンを詠んだ詩の中で、
  「誰よりも民衆を愛した君は
   誰よりも民衆を軽蔑した君だ
   (中略)
   君は僕等の東洋が生んだ
   草花の匀のする電気機関車だ」(『芥川龍之介全集6』筑摩書房)
 と述べています。
 優れた革命家であり、リアリストであったレーニンは、革命前のややアナルコ・サンディカリズム的色彩を帯びていた組織論、国家論を、革命後、少し変化させ、大衆の自然発生的エネルギーにゆだねているのではなく「大衆―前衛」論による前衛党の強力なリーダーシップなくして、革命の持続的発展はありえないとしたわけであります。大衆を思い、愛するがゆえの統制、後見的指導……このジレンマを芥川は「誰よりも民衆を愛した君は/誰よりも民衆を軽蔑した君だ」と述べたのです。
3  ただ注意すべきは、そうした「大衆―前衛」理論は、レーニンのような優れた個性――最近は、その点にも、いくつかの疑義がさしはさまれているようですが――の存在によって、かろうじて民衆の大地に生彩を保ちえたということであります。ジレンマを双肩に担いつづけたレーニンのような人が去ったらどうなるかは、遺憾ながらスターリンが無残な形で証明しています。
 わが国の大衆文学の第一人者である吉川英治は「大衆は大智識である」との名言を残しております。「智識」とは教え導いてくれる人の意味です。私も、つねにそのことを座右の銘にしてきましたし、創価学会が「民衆の側に立つ」を永遠の指針の一つに掲げているゆえんも、そこにあります。
 ロシアには十九世紀のヴ・ナロードの運動以来、民衆とインテリゲンチアの在り方を本源的に問うてきた歴史がありますが、ペレストロイカ推進にあたっての民衆の役割について、あなたはどのようにお考えでしょうか。
 アイトマートフ 「そもそも革命は必要であったのか? それは行うだけの意味があったのか?」という論争のにぶい反響は今なお聞こえてきます。その類の発言はしんらつであればあるほどナイーブだと言わざるをえません。
 なぜなら、第一に歴史は「もしも……だとしたら、どうなっていたろうか……」という仮定法で検討すべきではないからです。
 第二に、罪人捜しをすること、つまり、「人類を幸福にする」と空想にふけって人々を革命へとあおりたてた者を捜しだそうとする愚かな行為につながるからです。
 池田 しかしそのスローガンは、平等、正義、友愛についての人類の昔からの夢を表現していたのではありませんか。そして、私の知るかぎり、それはソビエト政権のために一丸となって死のうとする多くの人々を鼓舞していました。

1
1