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「口承文学」の遺産  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  池田 あなたの故郷であるキルギスは、一九一七年のロシア革命後に初めて文字をもったとお聞きしています。とすれば、キルギスには、幾百年におよぶ「口承文学」の歴史が、文字の歴史に先行していると思われます。
 私は一九八六年、アフリカのケニア口承文学協会(KOLA)から、初の「ケニア口承文学賞」を頂戴いたしました。これは、私の詩集、また対談集を評価していただき、与えられたものですが、アフリカでの口承文学の伝統は、各部族の歴史と文化を継承し、数千年の長きにわたって存続しているようです。
 永らく文字をもたなかったアフリカでは、民衆が語部となって独自の文学的成果を達成してきており、近年ではアフリカ人の独自性を主張するものとして、重要視されております。
 アフリカだけではなく、口承文学は古より豊かな文化の土壌として民族の歴史に息づいております。日本においても、先にふれた琵琶法師の語りによる平曲――『平家物語』や、時代をくだっての説経節など、記載文学が民衆のものとなる以前に親しまれ、口ずさまれてきた口承文学の歴史があります。
 してみますと、口承文学とは洋の東西を問わず、伝説や神話などの形をとって、私たちの祖先がいだいた願望、自然との関係性などについて口述されてきた、いわば民族の知恵の宝庫と言えましょう。
 ゲーテは、「書くということは、おそらく言葉の乱用だ。文字を黙読することも、生きた対話の、みじめな代用物でしかないだろう」(「ゲーテ格言集」大山定一訳、『ゲーテ全集11』所収、人文書院)と言っておりますが、言葉の生き生きとした発想の原型がそこに存在していることを考え合わせれば、口承文学は伝統のたんなる保存というのではなく、民衆の積極的で創造的な営為の集積と呼ぶことができるでしょう。
 あなたの作品の多くには、民族的伝承や神話的想像が織り込まれておりますが、そうした口承文学の伝統が、あなたの想像力や文体にどのような影響を与えているのでしょうか。
2  アイトマートフ 海外生活を経験した人の多くは、おそらく異国の地にあって、同郷の人に会って母国語で話したい、思いの丈を分かち合いたいとの郷愁に突然かられたことがあるのではないでしょうか。
 芸術、文学、創作にたずさわる人間も、同様の郷愁と渇きを覚えることがあるのです。忘却のかなたに押しやられてはいるものの、たしかに記憶の底に眠っている遙かな祖先たちからの言葉――キルギスのマナス語り、古代ギリシャのラプソド、ブイリーナ語り、アシュク、ウクライナのコブザリ等々の吟遊詩人たちは、かつて民族の心と世界観を美しく感動的に歌い聞かせてくれたことでしょう。自然のハーモニー、一体感を、そして人間の内なる小宇宙を高らかに謳いあげたことでしょう。人々はそのような芸術がもたらしてくれる喜びに心身ともに支えられて、厳しい自然の力、環境に屈することなく生きていったのだと思われます。
 時は流れ、現代人の私たちはいつの間にか帰るべき大地を失った、心のさまよい人になりつつあります。私たちの心は、見知らぬ空間に投げ出され、騒然とした雑音に囲まれて右往左往するばかりです。私たちは、いにしえ人の生気にあふれた語りと、疲れきった魂をいやす言葉を聞かずには、もうこれから先を生きることができないように思われます。
3  池田 歴史の大地を支えとして、未来に飛翔する力にしていくということですね。
 アイトマートフ そうかもしれません。じつは私は、時折、奇妙な思いにかられるのです。自分の遠い先祖が何を考え何を感じて生きていたかをわかることができたら、と。
 池田 それは、あなたが『チンギス・ハンの白い雲』を書かれた時の心境であり、試みだったように思われますが。
 アイトマートフ ええ。チンギス・ハンのような人物は時が経つにつれて伝説になります。しかし、彼らにしても実生活ではただの人間でした。もちろん、傑出した人物にはちがいありませんが、しかし生きた人間につきもののあらゆる特質を備えていて、欠点も病気ももっていました。私は彼が実際にどういう人間であったか、また、どういう人間でありえたかを考えてみたかったのです。そのためには、この人物のもつ伝説的な虚飾、約束事、比喩的な象徴性などをすべて取り除かねばなりませんでした。

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