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日蓮大聖人・池田大作

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「辺境」が生みだす文化の活力  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  池田 キルギス出身のあなたとともに、現在、ソ連で非常によく読まれている作家として、シベリア出身のラスプーチン氏が挙げられます。
 あなたに比べて世代は少し遅れますが、氏も中編小説で世に出ており、農村を舞台として伝承や俗諺を織り込んだ文章、また、父祖以来受け継いできた伝統への評価、素朴な人間愛などについて、あなたと共通する点を感じますし、それが、お二人が並び称される理由かとも思っております。
 興味深いことは、キルギス、シベリアと、いずれも「中央」から遠く隔たっている、いわゆる「辺境」から、こうした活力ある文学が生まれているということです。交通手段、通信機能の発達などにより、文化の全国的な均質化があるのはもちろんですが、そうであればあるほど、伝統というか、「辺境」に独特な、長く培われてきた遺産が作品を豊かにしていることは間違いないと思います。
 一事をもって普遍化することの危険性は承知しておりますが、世界的に見ても最近の文学で活況を呈しているのは、ラテン・アメリカなどの第三世界の文学のようですし、こうした傾向は、一つの時代の流れを予兆していると言えましょう。
 いずこの地にあってもそうですが、中央=都市部が、そのまま文化の指導的役割を担うものとされてきました。ところが現在、近代文明すなわち都市型文明の行き詰まりから、「地方」にスポットが当てられ、「辺境」の民族的な活力が、クローズアップされてきた、とは言えないでしょうか。
 あるいは文学の状況一つをとって、そのまま都市文化の地盤低下を意味するものと即断することはできないかもしれませんが、文化現象として大きな関心がもたれるところです。
2  アイトマートフ その点に関してフランスには「天才は地方で生まれてパリで死ぬ」という意味の諺があります。
 肝心な点は、ここで「パリ」をどのように理解するかにあります。というのは、あなたが提起なさった問題の本質は、私が理解するかぎり、文化は「中央」で生産されて「地方」へ伝わっていくという、いわゆる伝統的な考え方は、改められるべきではないか、ということだと思われるからです。これは、残念ながら、かなり以前から定着してしまった悪しき固定概念になっています。
 この点でも、文化というものを歴史という視点をもって考察することがぜひ必要です。すなわち、なぜ、どのようにして、地方出身の「文化」が、いつのまにか都市の「商品」に変貌していくのか。あなたがまったく的確に表現されましたが、なぜ「文化の均質化」が綿々として進むのか、です。「現代人」「文化人」を衒う輩が、「田舎者」と思われるのを恥じて、みずからのルーツを切り捨ててしまおうとするからでしょうか。
 思うのですが、そこには複雑な結び目ができていて、それを解きほぐすのは容易ではありません。それは科学技術革命の出現と、そしてなによりも都市への人口の「大移住」と直接に結びついていると思います。
 都市は人口増大の結果、メガロポリス(巨帯都市)に転化し、従来の伝統的な「農民的」生活様式とはまったく異なる生活形態と、その変化に相応するモラルや道徳律を生みだしています。このように、本質的に変化した状況の中での人間の共同生活のための法則が生まれ、それが、人間の社会的行動と人間の理想を均一化させ、規制していくのだと言えます。
 たしかスタインベックだったと思いますが、「二十世紀に生きる私たちの大多数がいだいている激しい精神的不安の原因は、技術至上社会にある」と鋭く洞察していました。その技術が肥大化すればするほど、人間は、自分たちに何が起こっているのかを理解し把握することが、ますますできなくなっているのです。
 この点に関してあなたのご意見をおうかがいしたいと思います。というのは、日本人はすでに二十一世紀に生きている、と言われていることには、かなり根拠があるように思えるからです。その状況は日本の伝統的文化にどのように影響しているのでしょうか?
3  池田 はっきり申し上げて、破壊的影響を与えていると思います。日本の伝統文化は、自然との調和・共存の中に育まれてきました。四季折々の変化の中で、花鳥風月に美を見いだす意識はもとより、日々の暮らしも、自然を愛し、自然を恐れ、自然のリズムにのっとって営まれてきました。
 明治以降、西洋文明が流入し、富国強兵、殖産興業をスローガンに、近代化が推進されましたが、自然と人間のかかわりに関しては、それほど大きな変化はなかったと言ってよいと思います。基本的には従来と同じく、自然と深く結びついた生活を送りつつ、その上に、西洋文明の新たな恩恵が付加されていったと言えましょう。
 それが、戦後の高度経済成長によって、開発という名の自然破壊が進行し、物質的な豊かさと引き替えに、日本人はかつての自然と一体になって営んできた生活を急速に失いました。国土の景観は変貌し、故郷に帰っても、かつて親しんだ山や川は変わり果て、味わうものは幻滅のみ、という状況が各地で起こってきました。
 また空気や水も汚染され、公害問題が多発し、痛ましい犠牲者が多く生まれました。日本列島は見かけの繁栄の陰で、腐食の度合いを強めていったのです。
 これは、すべてを経済的価値の次元でとらえる偏った思想とともに、自然のもつ浄化作用の許容限度を超えて、汚染物質をたれ流しにしてきたという“自然に対する甘え”が招いたものと言えましょう。本質的に自然征服の思想をはらむ近代合理主義が、諸外国に比べ、比較的穏やかな自然をもつ日本という特殊な環境において種々の条件が競合して、極端な形で力を発揮したとも言えるかもしれません。
 自然観の変革が必要です。自然と対立し、自然を征服する思想から、人間が自然と調和し、一体となる思想へ──。人間は所詮、自然を離れて生きていくことはできません。まして現在のように、自然を征服すべきものとしてとらえる思想が、地球的規模での環境問題を生み、人類の将来に暗い影を落としていることを考えれば、それは緊急の課題であると言えましょう。
 もちろん、それは文明以前の素朴な自然との融合に戻るのではなく、文明の成果を享受しつつ、過度な自然破壊を戒め、「人間と自然との調和」をもたらすものでなくてはなりません。そうした自然観の確立、自然への新たなる回帰が根本です。

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