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日蓮大聖人・池田大作

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文化が息づく「場」の継承  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  池田 ソ連の良き伝統として、多くの同好の士が詩の朗読を楽しむ集いが今も盛んであると聞きおよんでおります。かつて革命の初期、書物の出版がままならなかった時代にあっても、詩人たちがカフェーや集会で自作の詩を朗読することが盛んに行われていたといいますし、現在でも、経験豊かな役者たちによる詩の朗読が、テレビ、舞台を問わず、権威ある一つのジャンルとして確立していることは有名です。
 日本では、こうしたことは、近年、歌会や句会といった、ごく小さな集まりに限られており、たいへんうらやましい現象です。そこでは、たんに文学が机上で書かれ、机上で読まれるのではなく、生きた文化として人々に息づくための、確かな「場」の設定がなされているように思われます。
 私は、芸術というものは、本来ある一定の「場」において優れてその効用を発揮するもの――換言すれば、作者や俳優の一方的な営為によるのではなく、読者や観客・聴衆の積極的な参加があってこそ、魂の解放感というか、本来の生き生きとした働きをなすことができると思っております。
 観劇の盛んであった古代ギリシャの半円劇場や、シェークスピアの時代の劇場の舞台が、観客の前面にのみ設けられていたのではなく、観客席の中へ突き出していたという事実は、劇の進行そのものが、観客の参加ということに大きくゆだねられていたことの証左と言えましょう。
 そうした「場」にあって、作者と読者というよりも俳優と観客は、同じ世界に住み、喜びも悲しみもともにしながら、同じ人生を共有することができたのであり、言葉は何の心の隔壁もなく、共鳴音を奏で、魂を揺さぶってやまぬ生き生きとした伝達機能を発揮しえたことでしょう。
 残念ながら、近代社会の進展につれ、そうした「場」は、しだいに少なくなりつつあるようです。しかし、芸術本来の働きを衰滅させるようなことがあってはならず、その点、ソ連における詩の朗読会などは、最も尊重さるべき継承の型ではないかと思うのですが、どうお考えですか。
2  アイトマートフ 生きた芸術との直接的交流、芸術の「場」での観客の参加は、民主性あふれる文化として独特な部門を形成してきました。口承物語、エポス(口承叙事詩)、移動演劇、ムシャイラ(吟遊詩人たちの競演)などは、その民衆文化の最たるものです。
 それらは、色濃く民族的内容をもちながらも、人類共通の精神価値をもっていたのですが、残念ながら、つい最近までわが国の公的な階級イデオロギーによって、封建的・家父長的意識の産物のレッテルを貼られ、それゆえに新しい社会主義文化に敵対するものと見なされ、排斥され、根絶されるべく運命づけられていました。
 そして、もしも民衆文化が根の浅いものであったなら、とっくに根絶やしにされていたにちがいありません。ところが、口承叙事詩等は民衆の魂の最も奥深くに根付いていたがゆえに、イデオロギーなどがそこに手を届かせて抜きとることは、所詮かなわないことだったのです。まさに芸術の驚くべき力とも言えましょう。
 言葉の大海――口承叙事詩は、口から口へ、世代から世代へ、そして時代から時代へと語り伝えられていきました。このような「言葉の大海」を一人の人間の記憶にそっくり注ぎ込むことはできないだろうと普通の人は考えるのですが、じつはこれが可能なのです。
 私が長年懇意にしていただいていたサヤクバイ・カララーエフ氏は偉大な語部でありました。もうあのような語りは二度と聞けなくなってしまいましたが。彼は、大海原のように果てがないと思える長文の『マナス』をすべて知っており、自在に語る方でした。
 私はキルギスの叙事詩『マナス』の最後の偉大な語り手たちに存命中に会うことができました。それは、詩と民衆の英知とをあわせもった、本当に立派な人たちでした。
 たまたま私が目撃者となった一つの出来事をお話ししましょう。
 ある時、私はカララーエフと一緒にチュイ盆地のあるコルホーズヘ行くことになりました。有名な「マナス語り」がやって来るという知らせはたちまち村全体のみならず、周辺の集落にまで伝わりました。カララーエフの語りを聞こうとする人の数はあまりに多くて、コルホーズの集会所には収容しきれませんでした。すると、カララーエフはそのまま野外で語り始めました。
 彼のために小山の上に椅子が出され、聴衆は思い思いに取り巻いて座りました。すると突然雷雲が空を覆って、激しい雨が降り始めました。カララーエフは独演をやめません。聴衆も一人として立ち去ろうとはしませんでした。人々はどしゃぶりの雨の中で『マナス』を聞いていました。皆が吟遊詩人の歌に夢中になっていました。私にはその光景が忘れられません。
 この信じられないような、ありえないような出来事は何を意味しているのでしょうか? 人々は、民族の歴史と世界観と詩情が具象化されている古い語りを聞きながら、過去の自分を思い出していただけでなく、現在の自分をより良く認識していたのです。
3  池田 まことに感動的なお話です。私は、わが国の琵琶法師の例を思い浮かべます。それは、盲目の法師の姿をした語り手で、琵琶という中国伝来の弦楽器をみずから奏でながら、叙事詩を語ったのです。
 その活躍は、十世紀ごろまでさかのぼれますが、最も盛んであったのは、十三、四世紀ごろのことで、とくに『平家物語』という一大叙事詩を語り継いだことがよく知られています。
 『平家物語』は、そのころに急速に勃興してきた武士階級の一方の頭領である平家の興亡を主題とした、たいへんに長大な歴史物語で、時代とともにさまざまな説話が付け加えられて、六巻から数十巻にもおよぶにいたりました。琵琶法師は、盲目ゆえに、これを諳じて語りながら、文字どおり日本全国津々浦々まで旅して歩き、『平家物語』を普及させた吟遊詩人でありました。
 それ以前の日本文学の担い手は、おおむね作者も鑑賞者も平安朝の貴族たちでありました。これに対して、『平家物語』は琵琶法師たちの語りの台本をまとめたものであり、文学の作者は貴族の枠を超えることになりました。
 また琵琶法師を囲んだ聞き手たちは、武士階級や大衆にもおよんだとされており、この盲目の吟遊詩人たちが、民衆文化の担い手として、文学を一歩大衆に近づける上で大きな役割を果たしました。
 『平家物語』は、古来日本民族の心情に最も訴えるとされている七五調の韻を踏んでおり、法師の語るその独特のリズムは、琵琶の響きとともに、人々の心に深く刻み込まれたのです。
 琵琶法師を取り囲む座は、あなたの言われる広場での直接の芸術交流に通じるものがあるとも、私は思います。

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