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日蓮大聖人・池田大作

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母の印象  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  池田 私は八人兄弟の五男です。わが家は家業として「海苔」の製造業を営んでいたのですが、私の少年時代に父が病に臥してしまい、家庭は経済的に非常に逼迫しました。育ち盛りの子どもを抱えて、母の苦労は並大抵のものではなかったようです。
 しかし、どれほど苦しい生活の中にあっても、母は「うちは貧乏の横綱だ」と、努めて明るく振る舞っていました。その母の姿が、幼い私たちにとって、どれほど励みになったことでしょう。
 母性というものの素晴らしさを譬えたものとして、日本には「焼け野の雉 夜の鶴」という言葉があります。野を焼かれたキジがわが身を犠牲にして子どもを守り、鶴が自分の羽で子どもを包み込んで夜の冷気を防ぐ――いずれも、母の子を思う慈愛を譬えたものです。
 また、不幸なアルメニア大地震(=一九八八年十二月七日)の時、こんな報道に接しました。それは、建物の中に閉じ込められた母と小さな娘が救出されるまでの話でした。母親は、一度は「死んだほうがまし」と考えますが、食べ物をほしがるわが子の姿に、生きぬくことの尊さを知らされ、自分の手を傷つけて子どもに血を飲ませ、八日後に救出されたというものです。この捨て身の愛情の強さ、深さという点では、男性はとても女性に敵わないと、私は思っております。
 あなたもご尊父の亡くなられたあと、四人兄弟の長男としてご母堂を支えておられたとお聞きしますが、ご母堂の印象、また母性というものについてうかがいたいと思います。
2  アイトマートフ 以前そのことについて私は中編『母なる大地』の中で書きました。現在の基準からすれば、あの物語はいくらか感傷的にすぎるように見えますが、しかし、あれは母について語りたいという純粋な魂のほとばしりによるものです。母のイメージにたとえ一筆でもいいから付け加えたかったのです。
 たしかに、献身的で没我的な母の愛情の例は無数にあります。それはあらゆる時代の、あらゆる民族の文学でたたえられています。
 母の姿は偉大です。
 それだけに、現代社会の最も深刻な悲劇についても黙っていることはできません。時折、新聞で、お産をした女性がわが子を捨てたり、産院から逃げ出したり、もっと悪いことには、口にするのもはばかられるのですが、赤子を殺したりする記事を読んで戦慄をおぼえることがあります。
 例外的な出来事なのでしょうか? それとも社会的病の兆候なのでしょうか? いずれにしてもその種の事実を偶然的なものと見なすことはできません。意ならずも考えざるを得ません。「種の保存」という本能が弱まり失われていく原因はどこにあるのだろうか、と。それゆえに、生活の苦しさにもかかわらず、子どもを育み、自分の子どもたちのために、つまり、未来のために自分のすべてを捧げようとしている女性を、母親を賛美することが、いっそう重要だと私は思います。
 私にとって私の母のイメージは神聖です。母は優しい愛、誠実さ、勇気を体現していました。私の作品に登場する女性のもつ優れた特質は、すべて母がもっていたものです。

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