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日蓮大聖人・池田大作

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最も難しい勝利、それは自分に勝つこと!…  

「大いなる魂の詩」チンギス・アイトマートフ(池田大作全集第15巻)

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1  親愛なる友、池田先生
 先日、私たちの共著について考えたのです。この本は、世界が再創造されつつあるとも言うべき時代状況の中で、世に出ようとしているのではないかと。
 というのも、この対談原稿を書き、それが一つの言語から別の言語に訳されている間に、つまり、出版への準備が進められている間に、世界では一大事が、地政学的変化が起きたからです。それ以降に出る現代に関する書物なら、このことにふれないわけにはいきません。まして、人生のさまざまな側面について幅広い考察を読者に提示する書であるならば、なおさらです。
 私たちの本もやはり、最近の世界の動向について時代に即した言葉を残すべきではないでしょうか。
 私は最初、あとがきという形でそれを記してはどうかと、あなたに提案するつもりでしたが、よく考えてみると、なにもわざわざ特別な「PS(追伸)」のページを新たに作る必要はない、モスクワで党の陰謀グループによる八月クーデターが起きた時にあなたからいただいた電報があるのだから、その個人的な出来事からこの一文を始めようという考えにいたりました。
 不意をつかれたこの日々を私は決して忘れないでしょう。おそらく、私はペレストロイカを神から定められたもののように信じすぎていたのでしょう。もう時代の後戻りなどないと信じ、我々の苦渋に満ちた歴史に対して暴力のナタを振り上げようとする者がいるなどと考えもおよびませんでした。私は当惑しました。どうしたら良いのかわかりませんでした。
 私の国の動向を心配するたくさんの友が世界各地から電話をくれました。トルコ、ドイツ、アメリカ、そして日本からは創価学会のスタッフの方々から電話をいただきました。おかげで私の気持ちは軽くなったのです。
2  親愛なる池田先生、八月十九日、クーデターの初日に、あなたから心配してくださっている旨の言葉と、「はかりがたい悲しみ」と書かれた電報を頂戴いたしました。私は本来あまりセンチメンタルな人間ではないと自分では思っていますが、あなたからファクシミリでいただいた真心のメッセージは、私の心を救うために、世界的空間に発せられた「SOS」として、私の机の上に置かれていました。それは私の心を揺さぶらずにはおきませんでした。
 そして突然思いいたったのは、同時代人であり、共著を編んだ者同士のあなたと私は、時代への心の告白ということで結びついており、歴史の解説者であるのみならず、生きた歴史の客体である、ということです。あなたから二つ目のメッセージをファクシミリでいただいたのは八月二十三日、民主主義が武器を持たずに暴徒たちの戦車に対して決定的な勝利を収めた時でした。この時あなたのお言葉は、正義と歴史の進歩の世界的な勝利を祝う声に唱和されるものでした。
 以上が事実としての側面です。しかし、この一つの人生のエピソードにどれほど、奥行きがあり、どれほどの個人的、社会的な現象が含まれていることでしょう。
3  今この文章を書きながら、今年の夏のことを思い出しています。すでに木の葉が落ち始め夏の終わりを告げていますが、ヨーロッパでの私たちの再会を思い出しているのです。あなたのルクセンブルク近隣諸国訪問は、私たち家族、ソビエト大使館にとって記念すべき出来事でした。ルクセンブルクの後、お会いしたのはパリ郊外であなたの発案によるヴィクトル・ユゴー文学記念館が開館された時でした。私たち夫婦は、この新たな統合段階における現代の東西文化の融合を物語る希有な行事に参加する機会に恵まれました。そして、その素晴らしい由緒ある屋敷でオープニングセレモニーが終わった後、長い懇談をいたしました。そこでの会話は、私たちの経験に照らして「日常」というものを、あらためて考える機会となりました。
 こんなことを思い起こしているのは、その後にペレストロイカの国で突発したことが、いかに私たちの会話、感覚から懸け離れていたかということを強調するためなのです。
 ソ連がとりあえずクーデターの危機から脱した今、何がネオスターリニストたちのあからさまな行動の原因となったのかを、ここで考えてみる必要があります。この事件を表面的に追ってみるのはたやすいことです。どの新聞も大々的に取り上げ、どこのテレビでも解説者が話をしています。本質的には、百年の年月をさかのぼってマルクス・レーニン主義が階級イデオロギーとして生まれた時点に発する原因と結果の絡まりがここにはあります。これは歴史家と政治学者の範疇になりますが、私は個人的な観点から八月のクーデターに対する自分の生の反応を書いてみたいと思います。

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