Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六章 恒久平和の提言  

「生命の世紀への探求」ライナス・ポーリング(池田大作全集第14巻)

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1  軍縮の時代
 池田 一九八七年十二月、ホヮイトハウスでレーガン大統領とゴルバチョフ書記長がINF(中距離核戦力)全廃条約に調印しました。その直後、私はソ連のアダミシン外務次官の来訪を受け、INF全廃条約等をめぐる米ソ首脳会談について、説明を聞きました。
 そのさいにも申し上げたのですが、INF全廃は、核兵器を初めて実質的に削減するという、軍縮史上、画期的な意義をはらんだものです。実際には、INFの数は全体の核兵器の量からすればわずかだとはいえ、一つの核兵器体系を全廃することに核超大国同士が合意した意義を、私は高く評価したわけです。
 先に、ケネディ大統領の言葉を引いておきましたが、核軍縮がどんなにむずかしいものにみえても、核兵器が人間のつくったものである以上、人間の手で廃棄できないわけがないというのが、私のかねてからの主張です。はからずもINF全廃は、事実としてこれを証明するものでした。それを、私は強調したかったのです。
 ポーリング 米ソ超大国間でINF全廃条約が調印されたことは、核兵器の管理と核戦争廃絶の目標に向かって、小さいが、有効な一歩を踏みだしたものと思います。この条約に関して、二つの核超大国に対して私が第一に言いたいことは、この条約によって米ソ両国の軍事予算がいちじるしく削減されたということではない、ということです。平和な世界ヘの真の前進は、現在の途方もない軍事予算が半減され、それがさらに半減され、ついに合理的に納得がいくところまで削減されたときに、初めて可能になります。
 池田 INF全廃が決定した背景の一つには、米ソ両国の経済的な要請があったといわれます。とくにソ連はペレストロイカを進めるうえで、経済的効果が、当面なかなか期待できないため、軍事費を削減してそれを民需にまわすことが不可欠になったという事情があるようです。
 しかし、私がもっと大事だと思うのは、先に「軍事費は最大の浪費」と申し上げたように、もはや軍備に野放図に金をそそぐことは割にあわないとの認識が、広がりつつある事実です。イラン・イラク戦争をはじめ地域紛争が和平に向かったのも、戦争がまったくの浪費であり、国民生活を圧迫し、破局に追い込むだけだという認識がようやく浸透したからではないでしょうか。
 その意味では軍縮は時代の大きな流れだといえます。
 ポーリング 軍事支出を減らすための条約を結ぶことが、アメリカとソ連の関係を良好にする最良の方法だと思います。経済面での交流は、かなり順調に進展しているようです。現在、両国間にはかなりの通商がおこなわれているのではないでしょうか。
 私が米ソ両国に望みたいのは、世界の発展途上国における戦争を支持しないという協定を結ぶことです。そうした協定が結ばれるまでには、かなりの時間がかかるかもしれません。アメリカを牛耳っているのは資本主義者であり、資本主義者は社会主義が世界中に広まるのを極度に憂慮しているからです。
 池田 アメリカにブッシュ政権が誕生し、一九九〇年にワシントンで米ソ首脳会談がおこなわれました。この会談で、戦略核兵器の大幅削減のメドが立ちました。米ソ間に最終合意が成立したのは、大きな成果といえましょう。
 ただし、戦略核が半減しても、核の脅威は依然として残りますし、次のステップを早急に進める必要があります。
 ポーリング 米ソ両国がとるべき次の措置は、現在の核兵器の量を半分に削減し、核兵器の開発、研究を中止し、核兵器の実験をすべて禁止する協定を結ぶことです。
 核拡散防止の協定もふくめて、同様の協定が他のすべての国とも結ばれなければなりません。
2  平和のために走る
 池田 これまでの米ソ首脳会談で、戦略核兵器の削減についてなかなか最終合意を得られなかった最大の理由は、SDI(戦略防衛構想)にアメリカが固執したためといわれます。
 これは、私がヘンリー・キッシンジャー博士との対談のさい強調した点ですが、核の脅威という軍事・安全保障上の不安を、SDIという新しいハイテク技術による兵器体系の開発で解決しようとする、いわば″ハードな発想″そのものに誤りがあり、限界があるということです。
 新しい兵器体系の開発にしのぎを削るのではなく、米ソが話しあいによって信頼を回復し、共存共栄の外交努力をする、それを国際世論がバックアップするという″ソフトな側面″での働きが重要だと思えてなりません。
 ポーリング 宇宙を軍事目的に利用すれば、偶発的核戦争の危険は増大します。SDIは、私の見解では、確固たる科学的原理にもとづくものではありません。それは、世界平和に対する重大な脅威であり、本来ならば人類の福祉のために使うべき多額の金の浪費をともないます。
 私が、富を浪費すべきではないと主張する理由の一つは、人類の大部分が貧しい暮らしをしており、あまり幸福であるとはいえないからです。多くの人々が飢餓や栄養失調に苦しんでおり、住居や衣服もみすばらしく、楽しい思いをする機会もありません。そうした状況があるのに、私たちが世界の富を現在のように膨大な軍事支出に浪費するのは、道義にもとることです。
 池田 おっしゃるとおりです。重大なポイントです。その意味でも、科学者の意見はたいへんに重要です。
 そこで創価学会インタナショナル(SGI)は、これまで世界各国と、民衆次元での、教育、文化の交流を進めてきました。
 また私も、私の立場なりに四十三カ国を訪問し、さまざまな分野の方々と意見の交換もしてまいりました。
 それは良質の文化、教育交流こそ、現代にあって最良の安全保障になると考えているからです。たしかに平和のために政治家同士が話しあうことは重要です。しかし、民衆同士の相互理解と心の絆を欠いた平和の取り決めがいかに脆いものであったかも、私どもは経験しています。
 ポーリング 私も妻も、数多くの講演をしました。講演をおこなったところは、米国内のすべての州、そして海外四十力国におよんでいます。これらの講演は、世界各国の平和運動に影響をおよぼす意義があったと思います。私が科学者だということが、私ども夫婦の平和運動において重要な役割を果たしたといっていいでしょう。
 というのは、私が核物理学や化学のみならず、生物学や医学に関してまで、十分な知識を入手しうる立場にいたからです。ですから、正直なところテラー博士やその他の人々に「ポーリングは問題を理解していない。彼の言うことには事実の裏づけがない」などと言えるはずはありません。世間は、科学者の考え方を尊重します。したがって、科学者が「自分の意見はこうなんだ」と強く主張すれば、多くの人々が、その科学者の言うことに注意をはらうようになるのです。
 池田 最近はとくにどんな点を、ポイントとして強調されていますか。
 ポーリング そうですね――世界平和に関する講演をざっと五百回はしています。あるいはもっと多いかもしれません。
 いちばん最近のはユーゴスラビアでのものです。まず「ビタミンと健康」という講演をし、次に世界平和について短い話をしました。また、「世界平和その他の諸問題に関する科学者の宣言」の作成にも参加しました。
 最近の講演では「なんらかの偶発事故でも起こらないかぎり、アメリカとソ連が交戦することはありえない」ということを指摘し、強調しています。両国の首脳が理性をたもち、さまざまなシステムが正常に働いているかぎり、戦争が起こることはないでしょう。
 それなのに、なぜ多くの金を軍備に費やさなければならないのか。両国が国際協定に合意するか否かは、軍事面に使われる金の額が減るかどうかで決まるでしょう。ですから私たちの努力は、軍事予算を削減させることに向けられなければなりません。そうした経済的な側面からの矛盾を、最近の講演では強調しております。
3  国連への期待
 池田 軍事費の増大は、浪費以外のなにものでもないという世論づくりが大切でしょうね。
 とともに、世界の平和確保の中心的機構としての国連の役割が、ますます重要なものになってきていると思います。東西の冷戦構造が崩壊し、国際的な多極化の流れのなかで、新しい政治的、経済的秩序をつくりあげるために、さまざまな課題はあるにせよ、国連を中心にしていくことが最も現実に即しているというのが、私の主張です。
 とくに最近、「平和」「軍縮」という課題とともに、「環境」や「人権」、「開発」や「教育」というテーマが大きな焦点になっております。こうした問題意識に立って、創価学会インタナショナルは、国連本部で「核兵器――現代世界の脅威」展につづいて「戦争と平和」展を開催しました。今後も国連の世界軍縮キャンペーン、世界人権キャンペーンに対しては、さらに強く支援をしていきたいと考えております。
 ポーリング 池田会長に同感です。私たちはュネスコや、国連平和維持軍を支援する必要があります。一九八八年度のノーベル平和賞が、国連平和維持軍に授与されたのはすばらしいことです。私はノーベル平和賞が機関に授与されることに、原則的には反対です。個人に授与するほうがよいと思います。しかし、今回の場合は良い例だと思います。
 国連の価値は、国際問題を広く討議する場を与えるところにあります。その機能をぞんぶんに発揮するよう、努力すべきです。その意味からも、五大国に拒否権が与えられ、大国の都合で討議が進まなくなることは残念なことです。同様なことが国際司法裁判所にもいえます。たとえばニカラグア問題で、裁判所の審議に参加を拒否する国が出てくることによって、平和への重要な機能が発揮できなくなるからです。
 私は、国連を支持します。国連は世界平和を達成し維持しようとする人類の戦いのなかで、重要な国際的活動を担っています。
 池田 博士はかつて、国連のなかに「世界平和研究機構」というような、大規模な研究機関を設置することを提案されていますね(前掲『ノー・モア・ウォー』参照)。この構想が示されて以来、三十年が経過しました。
 現在、こうした構想は、どのように生かしていくのがよいと考えられますか。
 ポーリング 私が大規模な世界平和研究センターの設立を提案したのは、一九五八年のことですが、そのときからこれまでに、平和への大いなる前進がなされました。この間、私が期待したような大規模な国際平和研究機関は設置されませんでしたが、現在では多くの国々ならびに民間の世界平和研究所があり、重要な貢献をしております。
 池田 世界の安全に対し、国連ははば広い問題解決の対応を迫られています。ソ連のチェルノブイリ原発事故以来、核エネルギーの管理について種々論議されておりますが、私はこれまで、核兵器の全面的廃棄と通常兵器削減に向かう前段階として、国連がイニシアチブ(主導権)をとり、まず、当面、核エネルギーの安全な管理が可能となる道を模索すべきいう提案をしてきました。
 第一段階として、核エネルギーを国連の監視下におき、その安全な管理にゆだねるということです。
 ポーリング 私は、原子力発電所には反対です。理由はいくつかあります。その一つは、これはあまり強調されていませんが、原発においてはウラン元素が破壊されるということです。
 現代の人間にいくらかの余分なエネルギーを提供するために、一つの元素を破壊するのは間違っていると思います。千年後あるいは一万年後の世界で、今はうかがい知ることもできない何かの目的のために、このウランという元素が必要になるかもしれないからです。
 原発に反対する理由はほかにもあります。たとえば、チェルノブイリ原発事故に類するものが他にも発生する危険性がありますし、核廃棄物をどのように処理するかという問題もあります。
 池田会長が提案されるように、核エネルギーを国際的に管理するのはいいことだと思います。核兵器および原発という二つの分野で、そうした管理が必要です。
 池田 問題は、原発に代わるエネルギー源をどこに求めるか、そしてそれが、長期的にみて十分納得できる手段であるというものでなければならないということです。これは、各国がおかれている条件の違いもあって、むずかしい側面があります。しかし、二十一世紀へ向けて、現在のエネルギー多消費型の文明のあり方の是非もふくめて、挑戦すべき課題だと思います。
 ポーリング 核エネルギーに代わりうるものとしては、たとえば太陽エネルギーがあります。この太陽エネルギーの研究に、もっとお金をかけるべきでしょう。
 太陽エネルギーは、エネルギー源としては最も望ましいものです。それをいくら使っても、地球表面の温度は変わらないからです。地球を暖める太陽光線を電気に変換して使うわけですが、やがてこの電気エネルギーは散逸して、熱エネルギーになります。このように、地表の温度には影響がありませんから、太陽エネルギーはエネルギー源として、まことに申し分のないものです。
 この技術的な問題の研究に、十分な資金をかけていません。太陽エネルギーは再生可能ですから、永久に使うことができます。これに対して石炭、石油、原子力の場合は、地球の有限な資源を使い果たしていることになるのです。
 現在、各国の対応は、それぞれ異なっております。多くの国々が原発に依存するようになっており、原発に多額の投資がおこなわれています。一方、アメリカでは、いくつかの建設し終わった、あるいは建設中の原発が、操業しないことになりました。猛烈な反対があるからです。
 私は声を大にして、次のように訴えたい。経済的に可能な範囲で、なるべく早く、現存の原発の操業を中止し、それ以外のエネルギー源に依存すべきです。たとえば熱エネルギーですが、地熱エネルギー──これは日本でとくにうまくいくと思います。今カリフォルニアでは、地熱から電気エネルギーを得ているのです――と、とくに太陽エネルギーが有望です。風力でもいいし、潮力や波エネルギーでもいいでしょう。

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