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日蓮大聖人・池田大作

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4 人間の善悪両面性  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
1  池田 これは、ヨーロッパの伝統精神を尊敬したうえで申し上げるのですが、ヨーロッパ人以外の人々が多分にいだいていることは、ヒューマニズムという言葉・理念をヨーロッパ人はみずからとなえ、また教えてくれたが、かならずしもその実際の行動とヒューマニズムが一致しない場合がある、ということであろうと思います。たとえばアフリカの海岸から、奴隷のあつかいで、船積みされてアメリカに連れていかれ、売買され酷使された黒人たち、父祖伝来の土地も財産も奪われ、鉱山で働かされて死んでいったアメリカ原住民などは、そのほんの一、二の例にすぎません。
 二十世紀後半の現代にいたっても、ヨーロッパ系人種の非ヨーロッパ人に対する態度は、たとえば、フランスのベトナム支配、それにかわったアメリカのベトナム人虐殺などを見ると、本質的に変わっていないのではないかとさえ思われます。
 もちろん、このような論法が、いかに乱暴なものであるかは、私も、よくわかっています。他の人種、他の国民を残虐にあつかう人間がいるのは、ヨーロッパ人の場合ばかりでなく、あらゆる人種、国民に共通していることであり、また、ヨーロッパの人々のなかでも、そうした非人道的な行為をした人間は、ごく一部分を占めるにすぎないことももちろんです。日本人もまた、日中戦争から第二次大戦にかけて、中国、朝鮮、東南アジア各地で、非人道的行為を働いたことは、悲しい事実です。
 キリスト教徒的な表現をすれば「天使と悪魔が同居している」のが人間であり、こうした残虐な行為に走る危険性は、すべての人がもっているのでしょう。仏教では、十界といって、生命の働きを十種に立て分け、そのすべてが欠けることなく、どんな人にも本来、そなわっていると説きます。その十界のなかには、あらゆる人を慈愛し、幸せにしていこうとする仏や菩薩もあれば、激しい憎悪から人を殺したり傷つけたりする地獄の生命、自分の欲望をみたすためには人を犠牲にしてもかまわないとする衝動もふくまれています。
2  デルボラフ ヒューマニズムとキリスト教は西洋人を多少なりともきびしくしつけましたし、寛大の方向にしろ、その逆の厳格な方向にしろ、いずれにしても一定の道徳規範を教えこみました。にもかかわらず、西洋人が人間的に少しも良くなっていないということはいなめません。これは、しかし、矛盾ではありません。というのは、背徳者、驕慢な者、また罪人としての人間の過失性が矯正不可能であることは、この二つの精神的支柱も、十分認識しているところだからです。
 換言すれば、最高のヒューマニズムやキリスト教的教養をもってしても、ヨーロッパのキリスト教徒が野蛮な行為に逆もどりすることを防げませんでしたし、現在でもできません。それは、この愚かな蛮行が激しい雷雨のように突発するか、反乱、戦争、大量虐殺という、人間に特有な行動のなかにあらわれるかいなかとは、無関係なのです。
 この点に関して、あなたはいくつかの説得力ある例を西洋世界からひきだしておられ、また同時に、第二次世界大戦中、日本人が敵国でおかした残虐行為も忘れずに述べられました。このことは、結局、人間の過失性というものがヨーロッパ特有の現象ではなく、すべての宗教的・文化的世界にあらわれていることを意味します。つまり、有史以来、人間は自分に向けてその悪の門を開いている暗黒面と対決しつづけているわけです。
3  池田 そこで大事なことは、このような善悪両方の生命が自分の内にあることを、一人一人が自覚し、残虐な破壊的衝動を抑制するよう努力することです。まず、第一段階として、このことを知るだけでも、抑制力は大きく増します。
 多くの場合、人間は、悪いのは相手であり、自分は善良であると思い込んでいます。そして、自分は善良であるから、自分のやっていることは正当であるとの信念から、残虐行為を醜いとも気づかずにおこなっているのです。それが、仏教でいえば地獄の、キリスト教的にいえば悪魔のような、醜い行為であると気づけば、大多数の人は回避するにちがいありません。
 もちろん、みずからの醜さに気づいてなおかつ、はげしい感情的衝動や欲望に負けて行動する場合もあります。それを止めるには、ただ生命の真相を知らせ醜さに気づかせるだけでは不十分で、そうした悪の生命を克服できるよう、善の生命(仏教で説く仏や菩薩の生命)を強くする必要があります。これを、私どもは「人間革命」と呼んでいます。仏教の教える修行を実践することは、この「人間革命」のためであるともいえます。
 それはともあれ、私は、真実のヒューマニズムとは、人間――とくに自己自身――の善の面だけを見ているのではなく、悪の面をきびしく見つめ、それを抑制できるようになってこそ、その理想に一歩近づけるのだと考えます。

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