Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

1 西洋ヒューマニズムの背景…  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
1  池田 ヨーロッパは、中世から近代への転換期としてのルネサンス以来、近代化の歴史を歩んできましたが、そこに一貫して流れている理念の一つが、ヒューマニズムの思想であったといえましょう。そして、そのヒューマニズムが、ギリシャ・ローマの古典研究を触発源として発展したことは、広く認められているとおりです。そこで、問題は、キリスト教以前のギリシャ・ローマの古典研究が、なぜヒューマニズムを呼びおこしたのかということです。
 このテーマが、さまざまな学者によって論じられてきたということは、もちろん私も承知していますが、私の意見はひょっとすると、一般の見解と異なるかもしれません。つまり、古典古代の著述へのこの復帰は、自己認識と自己吟味への欲求を反映しているし、近寄りがたく離れた超人間的な神からの離脱を表明しているのではないかと思うのです。
2  デルボラフ ギリシャ・ローマの古典研究や古典文化の伝統の継承において、人間に対する関心を前面に出したのが、いわゆる「教養的・学識者的ヒューマニズム」です。そして、ヒューマニズムの根本理念がこのような形態のなかにもあらわれていることは、この理念の多様性を示してもいるわけです。教養的ヒューマニズムは、けっして一度かぎりの現象ではなく、さまざまなかたちであらわれています。
 最初は、ギリシャの中心思想をラテン語文化に受容して成立した“ローマ時代のヒューマニズム”でした。ローマ時代の詩文は、ギリシャ的特色を明確にたもっています。ギリシャ人の哲学者は、ローマで、とくにスキピオ家の人々に歓迎されました。ローマ青少年の教育にあたった教師たちは「グレクリ」と呼ばれたギリシャの教養人で、征服されたギリシャ本土から奴隷として連れてこられたのでした。
 つぎに“カロリング王朝時代(七五一年―九八七年)のヒューマニズム”、また“オットー王朝時代のヒューマニズム”、そして、あなたが指摘された、中世から近代の啓蒙期への転換として位置づけることができる“ルネサンス期のヒューマニズム”があげられます。
 最後に、十九世紀初頭の“古典主義的ヒューマニズム”、あるいは“新ヒューマニズム”、また、一九二〇年代には“児童教育学的ヒューマニズム”があらわれます。
3  池田 それだけギリシャ・ローマの古典は、一貫してヨーロッパ人の思考の源流としての役割を果たしつづけてきたといえるわけですね。とくにギリシャの哲人たちは、人生・世界の万象について、あらゆる角度から思索・探究し、汲めどもつきない思考の泉となったといえます。

1
1