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日蓮大聖人・池田大作

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3 自然の保護  

「21世紀への人間と哲学」デルボラフ(池田大作全集第13巻)

前後
1  池田 「近代化」の時代の波は、物質面においては人間の生活の向上をもたらしましたが、精神面においては、空白化や低下とさえいえる現象をもたらしています。
 概括的にいって、「近代化」は物資の生産を豊かにし、その配分を能率化することに重点がおかれてきたため、物質的には生活は向上したものの、この物質的豊かさの追求のために精神的なものが犠牲にされ、貧弱化したということができます。
 たとえば、資源の開発のために、ふるさとの山河は削られ破壊され、森林は伐採されて、見るかげもなくなっています。日本でも、日本列島の南端にある屋久島で、樹齢何千年という杉の古木が伐られ、わずかに残った原生林も伐採されそうだというので問題になりましたが、人々から注目されないままに、いつのまにか原生林が消滅してしまっている例は枚挙にいとまがありません。
 大気中の酸素の供給源である森林の伐採がおよぼす物質的次元での影響はここではおくとしても、山河や森林は、人間に精神的次元で深い安らぎをあたえ、思考・感情のエネルギーの源となってきました。また自然を愛し自然を守ろうとする心自体、精神的な豊かさのあらわれといってよいでしょう。人間の文明以前の自然からの“伝統”こそ、もっとも深く尊い“伝統”であり、なによりも大事にしていかなければならない「宝」であると私は思っています。
 ドイツの「黒い森」(シュヴァルツ・ヴァルト)やオーストリアの「ウィーンの森」は、自然保護の努力の結果であると聞いていますが、それに関連して、日本や開発途上の国々にとって教訓になるような話がありましたら、お聞かせいただきたいと思います。
2  デルボラフ すでに指摘しましたように、いわゆる近代化というものは、結局のところ、功罪両面の影響をもつ工業文明を抜きにしては考えられません。こうした発展の悪影響の一つとして、あなたの言われる「自然の伝統」の喪失があげられます。つまり、純粋に経済的な観点を優先する分野では、「自然」は、生産と最大利益をあげるという所期の目的を達成するための手段にすぎないとみなされます。
 あなたが嘆かれている屋久島の樹齢何千年という杉の仮借ない伐採、森や湖や河川の破壊――こうした森林や湖沼・河川は、かつては人間の自然環境であり、その美しさによって人生がより豊かなものとなっただけでなく、自然が自然そのままであることによって人の健康もよりよく維持できたのです。
 森林の伐採ということについては、ヨーロッパではすでに前工業期に、とくに南ヨーロッパのロマンス語圏の国々で進行していました。建材および燃料としての樹木の価値はかなり早い時期に認められており、また、許される所では使用されておりました。ギリシャ人は神々の彫像をたいてい林苑に建てましたが、その森林は、崇拝の対象に対する恐れから、侵害されませんでした。
 このような心理的抑制やタブーが存在しない場合には、むきだしの経済的利害が優先されました。そして、こうした自然への搾取に対して法的規制をもうけることができるのは、政治的理性しかありません。したがって、私は、自然保護というものは国家の合法的措置であると思いますし、オーストリアの「ウィーンの森」やドイツの「黒い森」が、南ヨーロッパの森林をおそった運命からまぬかれ、よく保存されていることを、個人的にうれしく思っています。
 ロマンス語圏 ラテン語を母体に中世以降に発展した言語の総称。おもにイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語など。
3  池田 美しい山野は精神の飛翔をもたらし、人生の憂苦から心を解放し、勇気と希望をあたえてくれます。悠久に流れる河は、硬化した思考に流動性を蘇らせ、固定化した枠に広がりをあたえてくれるでしょう。またうっそうと茂る森林は、万象の根源に息づく生の神秘へと心をいざない、生命への尊敬心を呼びさましてくれます。
 「近代化」は、人間から、こうした精神的な安らぎや深い思索の源泉を奪いさりました。現代社会においては、精神的な不安定が瀰漫しており、そこから、犯罪や麻薬中毒などが激発しています。もとより、人間精神の不安定やこうした犯罪が、自然の回復によってすべて解消されるわけではないでしょうが、かなりの部分が、自然の喪失に負っていることは否定できない事実であろうと私は思います。
 「近代化」は、これまでたもたれてきた伝統の多くを破壊しています。もとより人間がつくってきた伝統の破壊も憂うべきではありますが、まずなによりも早急に目を向け、その存在の意義を正しく確認するとともに、保護の手が打たれなければならないのは、自然環境であると私は考えています。なぜなら、人間のつくった伝統は回復することができますが、自然環境は自然界のいとなみがつくりあげてきたものであり、いったん破壊されたならば、回復することは不可能であるからです。

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