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日蓮大聖人・池田大作

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第七章 生命の法理「蓮華」  

「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)

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1  古代インドの蓮華観
 ── この章では、ぜひとも「蓮華」について論じていただきたいと思います。
 そこで「蓮華の法」、すなわち「因果倶時の法」が仏法の根本課題となるようですが、そのまえに、蓮華の“花”について、まず、お話をつづけていただければと思いますが。
 池田 わかりました。
 仏法では経釈に、「易解の蓮華を以て難解の蓮華に喩う」とあるごとく、「難解」の「法蓮華」に対し、その譬えとしての一般的な草花の蓮華を、「譬喩蓮華」ともとらえております。
 屋嘉比 最初にうかがいたいのは、何年ぐらい前から蓮華があったか……。
 池田 発見されている最も古い化石は、白亜紀で、ま、一億数千万年ぐらい前のもののようです。
 屋嘉比 古いもんですね。どのへんから出土したのですか。
 池田 よくわかりませんが、欧州かカナダあたりのようです。
 日本においては、北海道で白亜紀後期のものがあったと、読んだことがある。
 さらに京都方面でも、一万年ないし二万年前のものが見つかったということも、記されているようです。しかもこれは、現在のハスと同種類ということなんですがね。
 屋嘉比 はあ、仏教発祥の地・インドではどうですか。
 池田 私は専門家ではないので、多少違ってもご了承願いたいのですが。(笑い)
 インダス文明(紀元前三〇〇〇年から一五〇〇年)の有名なモヘンジョダロ遺跡のなかに大浴場があって、これがプシュカラ、日本語では「蓮池」と呼ばれていたようです。そこで発掘された母神像が、頭にハスの花飾りをつけていたということは、よく知られております。
 ── それは、アメリカのボストン美術館に展示されているようですよ。
 池田 そう聞いています。
 当時は、大浴場といっても、人々の斎戒沐浴の神聖な場であったんでしょう。
 ── さきごろ、名誉会長は、インドの著名な思想家であるカラン・シン博士と会談されたようですが……。
 池田 三度目の会談をしました。ご夫妻とも、よく存じあげています。今回の来日の目的は、京都の国際会議に出席するためだったようで、お互いに忙しくて神戸で会いました。
 ── 蓮華の花についても、いろいろ、語り合われたようですが。
 池田 私は、インド全域にハスの花があると思っていたんですが、博士は、「そうではない」と答えていた。釈尊が活動したひとつの領域である、ネパールを含むヒマラヤ山脈のあたりにしかない、という話で、たいへん驚いたんです。
 屋嘉比 仏教国であった古代インドには、どこの地方にも、ハスの花が咲いていたと思ってましたが、そうではなかったのですね。
 池田 それで博士は、インドにおけるハスについての意義を、六種類に分けて言われていた。いろいろの角度から見たハスの見方とも思えるが、ある一つの見方として紹介したい。若干、理解しがたい点もありましたが……。
 一つには、「生産」「繁栄」「長生き」という意義がある。
 二つには、蓮華から「梵」、宇宙の創造者が生まれる。
 三つには、哲学、思想的な意味となるが、蓮華の花は泥のなかから生じる。美しくないものでも、美しいものを生むことができる。
 四つには、蓮華は水のなかにあって、常に乾いている。これは人生のさまざまな輪廻に、影響されないことをあらわす。
 五つには、サンスクリット語の誉め言葉として、女性の美しい眼を、蓮華のような目という。
 六つには、蓮華の花は夜にはしぼむ、朝、太陽を迎えて咲く。
 これは神聖にして崇高な思想に、人の心は開くということをあらわす、と言っていました。
 屋嘉比 日本人からみた蓮華観と、インドという国土に根ざした考え方とは、とらえ方に相違があったとしても、なんら不思議はないと思います。
 池田 私もそう思います。インド最古の宗教文献といわれる『リグ・ヴェーダ』には、すでに蓮華のことが出ておりますし、博士の言う蓮華の広範にわたるとらえ方も、古代インドの蓮華観にもとづいたものといってよいでしょう。
2  世界的にも尊ばれた蓮華の花
 屋嘉比 中国はどうでしょうか。
 池田 昔から、黄河の流域には、数多く蓮華が繁茂していたようです。
 宋の周茂叔の名文「愛蓮の説」のなかにもみられるように、古来、その高貴にして崇高な花の姿から、「君子の花」といわれてきたのはご存じのとおりです。
 ── それは有名です。
 池田 ですから、ハスの実を人にあたえるのは、「君子の交わり」を意味しています。
 さらに中国では長く、ハスはめでたい花として慶事に用いられたり、尊貴な子供たちが誕生する象徴とされた、ということですね。
 ── 素晴らしい女性を「芙蓉の人」と言いますが、中国では芙蓉とは、これまた蓮華の花のことを言っていたようですね。
 屋嘉比 インド、中国以外ではどうですか。
 池田 詳しく調べたわけではありませんが、歴史的にみても、世界の文明発祥の地では、昔から、人々が蓮華を尊重したという記録が残っているようです。
 屋嘉比 やはり、なにか素朴な、宗教的なものがあったのでしょうか。
 池田 そのようです。そのひとつの例として、エジプトでは、ピラミッドのなかから、壁画やパピルスに記された、蓮華の象形文字が、数多く発見されている。
 そのなかには、蓮華を、無量の寿命をあたえる神の象徴としているくだりもあると、なにかで読んだ記憶がありますが。
 屋嘉比 ほかにも、なにかありますか。
 池田 いろいろあるようですが、エジプト文明では、「蓮花柱頭」という蓮華をのせた柱が、神殿遺跡から発見されているのは有名ですね。
 また、建築、美術などにも、ロータス(睡蓮)が描かれている。
 朝日とともに、母なるナイルに群れなすロータスが、いっせいに花開く。
 古代エジプト人には、その神秘的な姿を、生命の“再生の象徴”とみる思考性が、深く根づいていたんではないでしょうか。
 屋嘉比 昔の人々は、電気やコンピューターはなかったが(笑い)、草花などの自然に対する鋭く豊かな情感が、私には伝わってくるようです。
 ── この古代エジプト文明は、つまりギリシャ文明へと受け継がれてくる。
 池田 そうですね。その影響でしょうか、古代ギリシャのオリュンポスの神殿などでも、唐草模様に蓮華を配した文様が飾られていますね。
 ── アレキサンダー大王のインド遠征を端緒として、仏教文化とギリシャ文明が融合し、有名なガンダーラ美術が成立したことは、歴史的事実です。
 池田 そのとおりです。このガンダーラ美術が、シルクロードを通り、中国大陸、朝鮮半島を経由して、日本の飛鳥、白鳳、天平文化の開花となったわけです。
 ガンダーラの美術にも、中国にも、当時の日本の美術にも、「蓮華文」が数多く見られるのはよく知られている。
 二、三年前でしたか、中国の敦煌研究所から莫高窟の天井の模写絵をいただいた。
 そこにも「蓮華模様」が出ていて、私はたいへん興味ぶかく見ました。
 ── アレキサンダーのインド遠征から少したった時代の、ギリシャの「王」と「仏教者」の対話である有名な「ミリンダ王の問い」にも、蓮華が登場していますが。
 池田 この対話では、「蓮華」が「法」の偉大さを譬えるものとして論じられている。
 この仏僧ナーガ・セーナとの対話をとおし、ギリシャのミリンダ王が仏教に帰依したのは、歴史上よく知られておりますね。
 屋嘉比 日本では、なにか文献はありますか。
 池田 よくわからないのですが、蓮華の花が開いた模様を上から見たのを、「蓮華文」といいます。これが非常に似ていることから、「菊花紋」に影響をあたえたのではないか、とハスの研究で有名な大賀博士は推測されている。
 文献的には『万葉集』などにも、蓮華を称えたものが数多くみられます。
 また清少納言の『枕草子』のなかで、「蓮はよろずの草よりもすぐれてめでたし」とあるのは、よく知られた言葉です。
 ── 奈良時代の『風土記』などにも出てくるようですが。
 池田 そうそう。江戸時代の、漢詩や庶民の俳句にも、多く見られますね。
 屋嘉比 たしかにわれわれ日本人にも、桜や梅などとはひと味違って、蓮華は清浄なる花、法の花というイメージがあります。
 同じように蓮華は、各国共通に、なにかしら尊び、慈しまれてきた花であったわけですね。
 池田 そう思います。
 ── すると、世界の国々のなかで、ハスの花が多いところは、どの辺ですか。
 いや、そのまえに、どういう種類の花があるんですか。
 池田 ハスには、東洋産種とアメリカ産種の二種類がある、といわれてきているようです。
 そこで、東洋産種は、白と赤(淡紅色)の花の色をもっています。また、まれに青の花色をもったものもあるようです。
 その分布は、事典などによると、オーストラリア北部、インドネシア、インド、パキスタン、イラン(カスピ海南岸)、トルキスタン、中国、台湾、日本のようです。
 屋嘉比 アメリカ産種は……。
 池田 黄色い花をしていて、アメリカ大陸のミシシッピ川の流域とか、赤道付近などに分布している、と出ています。
 屋嘉比 すると、世界全体というわけではないのですね。
 池田 どうもそのようです。ただ、テレビで、ソ連の大きい沼にハスが絢爛と咲いているのを見たことがあります。定かではありませんが、私は、今日ではまだ広がっている気がします。
 また、化石はヨーロッパ、カナダ方面などから出土した記録もありますから、世界的な広がりが、一時はあったような気がするんです。
 私は専門家でないので、これはなんとも言えません。
3  少年時代のハスの思い出
 ── ハスの研究で有名なのは、やはり大賀一郎博士ですが、博士は、明治十六年の生まれで、八十一歳という長寿の方でした。
 屋嘉比 大賀博士が、ハスの研究に夢中になったのは、なにが動機だったのでしょうか。
 池田 よくわかりませんが、ただ一般的にいわれるのは、東京帝大の学生だったころ、担当教授からハスについて研究してみてはどうか、と言われたのがキッカケだったと、読んだことがあります。そのときは、アサガオについての卒業論文に取り組んでいたようです。
 屋嘉比 どこの出身の方ですか。以前から、ハスに興味があったんでしょうかね。
 池田 そう思います。郷里は岡山で、なにか、小学校に通っているころ、城の大きな外堀一面に、白蓮華が咲いていた。そこにまじって、紅蓮華が咲いているのを見て、心を魅かれた、というくだりを読んだことがあります。
 ── そういえば、フランス印象派のモネは、十九世紀を代表する画家として、あまりにも有名ですが、彼の晩年の傑作に、「睡蓮」の絵がありますね。
 池田 有名な絵です。
 その中の一点は、もう十数年前でしたか、倉敷の大原美術館で見て感動しました。
 屋嘉比 たしか、先生がその絵について、フランス・アカデミーの会員のルネ・ユイグ氏と意見を交わされた本を読んだことがありますが……。
 ── 対談集『闇は暁を求めて』のなかに載っていたと思います。
 池田 ユイグ氏とは、日本でもフランスでも何回となくお会いしています。現代フランス屈指の美術史家です。
 氏の話では、モネの家には、セーヌ川の支流が流れていたそうです。その川を利用し、モネは小さな池をつくり、そこにいっぱい睡蓮を植えた。また、池には橋がかかっていて、それがひと目で、日本の庭園をモデルにしたとわかるものだったようです。
 ── 美しい話ですね。
 池田 ユイグ氏の表現をお借りすれば(笑い)、晩年のモネは、その水辺にかがみこみ、睡蓮が一面に浮かぶ水の表面が空であるかのように見えるまで、すべてが一つになる瞬間まで、鏡のような水面をじっと凝視しつづけた、ということです。
 ── すぐれた芸術家の、とぎすまされた感性が、睡蓮をとおし、見事な「美」の結晶を描きあげたともいえますね。
 池田 そうなんでしょう。ユイグ氏は、このモネの一枚の絵が、東洋の最も伝統的な絵画にみられる世界観と、見事に一つに結びつく、とも言っておりました。
 つまり、「文化や文明によってつくられた相違点の背後に、一つの基体が見いだされ、その深層部のなかに同一性が認められるのは当然のことなのです」と、ユイグ氏は力説している。
 この話は、私は仏法者として、ことさら印象的であった……。
 屋嘉比 先生とハスの花との出合いはありますか。(笑い)
 池田 いや、私のは平凡なもんで、あまり素晴らしい出合いなんかありませんが(笑い)、ただ、少年時代に、強烈に印象に残っていることがあります。
 屋嘉比 おいくつぐらいのときですか。
 池田 小学校五年のときです。当時は日中戦争が勃発し、昔流でいえば、蒲田区糀谷三丁目に長く住んでいた私の一家は、その家を軍需工場に売却し、糀谷二丁目に移りました。
 その家も、やがて強制疎開させられましたが……その家の隣に、ハスの池があったのです。その池に数百本は優にあったでしょう。ハスの花が見事に開いたときの光景は、一生涯、私の脳裏から消えないでしょう。それからというもの、毎年咲くのが待ち遠しかった。
 その土地も、やがて、時代の流れでしょう。新しい家屋が建って、そのときは本当に寂しかった。
 ── 蒲田という名称は、昔は多摩川の下流で、「蒲の穂」が繁茂していた湿地帯であったことに、由来していたようですが。
 池田 そのとおりです。いまの信濃町に越してくるまえ、十数年間住んでいた、大田区小林町の家の近くに、池上線の蓮沼という駅があります。
 ここらへんも、太古に多摩川の水路が通り、ハスが浮かぶ沼地であったようです。
 昭和十年ごろまで、その面影が残っていたと、近くに長く住んでいる義母が言っていたことがありますが、私が住んだころは、もう池も沼もありませんでしたね。
 ── ハスの花は咲くときに、「ポン」という音がすると、よくいいますが。
 池田 私も子供心に、音がするかどうか、朝早く起きて聞こうとしたが、聞くことはできなかった。ですから「ポン」というかどうか、私はわからない。
 ただ想像するに、あの見事な花ビラをもつ蓮華の花が、瞬間、開くときに「ポン」という音がする感じは、ないとはいえませんからね。
 大賀博士の、ある実験の記録に、ハスが開花するとき、「カッカッ」「トットッ」「コッコッ」という、花弁のかすかな摩擦音を断続的に捕捉したと書いてあった。俗にいう「ポン」という音ではなかったようですね。
 ── 一本の茎で、いくつぐらいの花と実がなるのですか。
 池田 これは、いわゆる一茎に一花となるわけです。
 屋嘉比 どんな、どれくらいの大きさですか。
 池田 直径十センチから二十五センチぐらいの花といわれていますが。また双頭蓮、多頭蓮といった、一つの茎から二つの花をつけたり、多くの花をつけるのもあります。
 これらは妙蓮ともいわれ、古来からとくに尊重されてきているようです。
 屋嘉比 実の数はどうですか。
 池田 文献には、花托の穴は多数あって、一花について二十個から三十五個ぐらいの果実がとれるといわれてます。私も、ハスの実をとった思い出がありますが、そう記憶しています。
 ── いつごろ、花がいちばん開くのですか。
 池田 多少の違いはあると思いますが、大賀博士の研究によれば、わが国では、六月下旬から九月上旬ごろのようです。また開花期間は、だいたい四日間ではないかといわれています。
 屋嘉比 すると、朝方、何時ごろ咲くのですか。
 池田 定説的にいわれるのは、朝日をうけて開き、午後には閉じる。三日目まで花の生長があるが、四日目の午後には散ってしまう、というふうに記憶しています。

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