Nichiren・Ikeda
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第三章 仏法は「生老病死」をどう超える…
「生命と仏法を語る」(池田大作全集第11)
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1 一生を価値あるものに
屋嘉比 「生」から「老」の問題に入っておりますが、もう少し深く、池田先生にうかがいたいと思います。
池田 人間は、この世に「生」をうけた瞬間から、絶対に避けることのできない「老」の相、「病」の相、そして「死」という厳粛なる相を、現じていかねばならない宿命がある。これだけは厳然として平等です。
屋嘉比 まったくそのとおりです。
池田 ですから、仏法は、広くみて、衆生、つまり「生」あるものはすべて、この現実から、消え去っていく。
その実相のうえから、どう生きていくべきか、また生きていかねばならないか、ということを説き明かしたものといえるでしょう。
屋嘉比 それこそが、一切の根本問題と思います。
池田 私は、この「生命と仏法を語る」も、じつは、この生、老、病、死という「四相」を軸にしながら論じていこうと、密かに思っているのですが……。
── 屋嘉比さん、第二章で、「生」の意義、「老」のナゾも、医学ではこれからである、という話でしたね。
屋嘉比 現段階では、一歩一歩と、解明に近づいてはいますが、まだまだ時間がかかるでしょう。
池田 いわば、「生命」の実相というものを、東洋の英知が、演繹的にとらえようとしたのが、仏教である。帰納的に近づこうとするのが、西洋の医学である。その両者の方向性に、一致点が見いだされたとき、人類の偉大なる蘇生の開幕となるでしょうね。
なかんずく大乗仏教が、最もその解答を明確にしていると、私は思っております。
屋嘉比 科学の分野においては、今世紀最大の科学者といわれるハイゼンベルク、ボーア、アインシュタインといった世界的物理学者が、東洋の仏教という存在に、光をあててきております。こうした傾向性が、医学の底流にも湧きおこってきていると思います。
池田 ともかく私どもは、いちおう、有限であるこの一生を、最高に有意義に、かつ価値あるものとしていきたいものです。
屋嘉比 私も、何人もの患者の臨終に立ち会っておりますが、周囲の人々に厳粛なる「生」と「死」の姿を教えて亡くなる人もいる。
また、やるせない悲しみと苦しみの姿で亡くなっていく人も多くいる。
その亡くなっていく人と、それをとりまく人々の姿を見たときに、心深く、信仰というか、宗教というか、その心が呼び起こされてくる気がします。これは私の原体験です。
池田 まことに尊い体験と思います。
屋嘉比 日本の分子生物学の権威といわれる渡辺格博士は、「他人の死は、客観的にとらえられるが、(中略)自分が死ぬこと、この世からいなくなるということが自分でよくわからない」と言っております。
これは、医学を志向するうえで、忘れてはならない点と思います。
池田 たいへんに率直、かつ的を射た言葉と思います。
人間には、さまざまな人生があり、さまざまな死がある。病気がちの人もいる。短命の人もいる。また火事や交通事故のような、不慮の死に出合う人もいる。また殺されるような場合もまれにある。
老衰で亡くなる人も多くいる。そして、いわゆる寿命で亡くなる人もいる。それこそ千差万別である。
しかし、長命であったから即幸せである、と言いきれない場合もある。もちろん、それも幸福のひとつには違いないかもしれないが……。
だが、ここでいちばん大切なことは、心の奥底から幸福を感じとれる一生であるか、悩み、煩悶に明け暮れながらの一生であるかということは、当事者である本人が、いちばんよく知っていることだと思う。そのへんの人生の深い在り方を、人はもっともっと考えなくてはならない時代ではないでしょうか。
2 仏典に登場する名医たち
── いつかうかがおうと思っていたのですが、仏法では手術を認めるのですか。
池田 それは、場合によるでしょう。決して手術をしてはいけない、という御文はない。
歴史的にも、二千数百年以上も前、インドに仏教を持った大外科医がいた、という事実があります。
屋嘉比 それはだれでしょうか。
池田 ご存じでしょうが「耆婆」です。
屋嘉比 仏典に出てくる著名な医学者は、ほかにもおりますか。
池田 います。日蓮大聖人の「治病大小権実違目」という御文にも出ております。
「所謂治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬・此れを治するにゆいて愈えずという事なし」と、耆婆という名医の他にも、治水とか流水とか扁鵲といった、高名な名医の名前が出てきます。みんな、屋嘉比さんたちの先輩ですよ。(大笑い)
屋嘉比 それでは、日蓮大聖人の時代には、どういう方がおられたのでしょうか。
池田 有名な四条金吾という方がおります。大聖人の在家の信徒の一人です。
屋嘉比 治水とか流水とかいう人は、どういう経文に出ているのですか。
【池田】 金光明経という経文に出ております。治水が親で、流水が子供です。
屋嘉比 耆婆はどんな人ですか。
池田 釈尊の弟子です。また釈尊の侍医であったという説もあります。
── 扁鵲は、どうでしょうか。
池田 有名な司馬遷が書いた『史記』のなかに登場してきます。
屋嘉比 まだ、ほかにおりますか。
池田 中国の「華陀」も御文に出ています。これはたいへんな名医であった、という歴史的資料(『後漢書』『魏志』)が残っております。
屋嘉比 ところで、耆婆が活躍した二千数百年前といえば、西洋においては、ギリシャ医学が華を咲かせてくるころです。
池田 そのようですね。古代インド医学、仏教医学とギリシャ医学は、古代人類の東西における、医学の双璧といっていいでしょう。
屋嘉比 私も、古代インドの医学について、最近調べてみましたが、たしかに、驚くべき医学的事実があったことを知りました。
池田 もっと調べてください(笑い)。耆婆なんかは「耆婆大臣」といって、政治家でもあったわけです。この耆婆は、「医王」とまでいわれ、仏典にも記されております。
たとえば、彼は脳腫瘍とみられる病気を治療するために、開頭手術まで行ったようです。それだけでなく、腸閉塞とみられる子供の開腹手術まで行っている。そして完治させているようです。
── 現代人として、たいへんな驚きですが、仏典なり、史実なりの証拠があるのでしょうか。
池田 四分律という仏典にもある。また有名な羅什三蔵が漢訳した、大品般若経にも、詳しく述べられております。
屋嘉比さん、インドでは、それ以前においても、痔の手術をしたり、膀胱結石の手術を行ったようですね。
屋嘉比 そうなんです。私もそうした史実を、『ススルタ大医典』(日本医史学会版)のなかに見つけたときには、信じられませんでしたね。
池田 現代医学に比較して、どこまで技術が進歩していたかは、いまでは知る由もありませんが、いちおう、歴史の事実です。
── それにしても、そんな昔に、脳とか腸の手術をして、痛くなかったのですかね。(笑い)
池田 いや、自分はそこにいなかったので、よくわからないけれども(大笑い)、ただいえることは、当時、すでに全身麻酔のようなことがなされていたようです。
── たとえばどんなふうにしたのでしょうかね。
池田 いま申しあげた四分律には、「醎食を与へて渇せしめ、酒を飲んで酔はしめ」と出ております。
ですから、醎食つまり、なにか相当塩辛いものをあたえて、のどが渇いたところで、多量の強い酒を飲ませる方法でもあったのでしょうか。
屋嘉比 あっ、それはアルコールによる麻酔の一種の方法でしょうかね。
池田 専門的なことは、私はよくわかりませんが、アメリカの研究者が、耆婆は手術をしたときに、「サンモヒニー」というもので麻酔をかけ、また「サンジーヴァニー」というもので覚醒させた、という記録があると、なにかに書いていたと思います。
屋嘉比さん、専門家なんですから、一度この本を読んで、私に教えてください。(笑い)
屋嘉比 はい、わかりました(大笑い)。英文ですか。
池田 英文です。
日本語訳の本はありません。ただ、部分的に日本語に翻訳した人もいるようです。
屋嘉比 「サンモヒニー」とか、「サンジーヴァニー」というのは、聞きなれない言葉ですが、英語ですか。
池田 サンスクリット語なんです。それがいったい何なのか、まだ確認されていません。
この研究者は、朝顔の種からつくった麻酔薬ではないか、と推測していたと思います。記憶なので、多少間違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。
屋嘉比 よくわかりました。調べてみます。
── それはそれとして、屋嘉比さん、近代医学では、いつごろから脳外科の手術が行われるようになったのでしょうか。
屋嘉比 十九世紀の末だったと思います。
ともかく、アルコール麻酔による脳の手術は、耆婆が世界で初めてだと思われます。
3 関心を集める「インド医学」「仏教医学」
── 手術したあと、傷口に塗る消毒薬もあったのでしょうか。
池田 何を使ったか、わからないのですが、それと思われるフシがあるんです。四分律では手術の最後に「好薬を以て塗る、即時に病除き……」というくだりがあるんです。
屋嘉比 なにかの消毒薬が使われていたことは、十分に推測できますね。
── それにしても二千数百年もの前に、どうしてこんな高度な医術が発達したのでしょうか。
池田 当時の記録の詳細がすべて残っているわけではありませんので、個々の技術については断定はできないのです。
ただ、古代インドには、それらの技術の基盤となる「インド医学」、ならびに釈尊や耆婆によって、そのうえに創設された「仏教医学」というものがあったようです。
ところが、長い間、西欧の医学研究者は、こうした仏教医学の先見性を、なかなか信じることができなかったようですね。
── 最近は、学問的にも取り上げられてきてるんでしょうかね。
屋嘉比 第二章でも、ちょっと話題になった「ニューサイエンス」を提唱する科学者たちの研究にも、そうした傾向がみられてきましたね。
池田 私たちの知っているところでは、イギリスのジョセフ・ニーダム博士も、東洋医学の研究をしてきていますね。彼は、たいへんに地道に東洋の科学史の研究をすすめてきている。
屋嘉比 博士は東洋科学史の第一人者として、異存のないところです。
それにしても「仏教医学」とはよくいったもので、その先見性は注目に値するものがありますね。
池田 釈尊当時のインドにあっては「医方明」、つまり医学も、帝王学のひとつにされておりましたからね。
釈尊自身も、この医方明という当時の医学の知識については、相当なものがあったようです。
これは、仏典のなかにも、さまざまな病気やその病因、また薬学や具体的な治療法、さらには病気の予防、看病にいたるまで、折にふれ、時に応じての広範囲にわたる説法が、随所に見られることでわかります。
屋嘉比 具体的には、どのようなことが説かれておりますか。
池田 ひとつの例をあげますと、ある仏典で、病気は治すことも大事であるが、かからないようにすることがより大事である。それにはどうしたらよいか、というようなことまで、こまごまと説かれております。
屋嘉比 医学の基本です。最近とみに「予防医学」というものが重視されるようになっております。たいへんに先駆的な見方ですね。
池田 たとえば、卑近な例で「睡眠」がいかに重要であるか、というくだりもあります。とくに「熟睡の心がけ」ということが説かれております。
屋嘉比 医者自身にも、切実なる問題です。(笑い)
池田 また、「リズム正しい生活」「規則正しい食事」の励行などがなぜ大事か、ことこまかに説かれたものもあります。
屋嘉比 たいへんな気くばりだったわけですね。
── 素晴らしき「健康維持法」ともいえますね。
池田 ともかく、現実生活に密着した健康法、長寿法を考えたと思われますね。
ですから釈尊は、弟子たちが病気にならないように、健康で修行が達成されるように、常に配慮していたことがわかります。
── 大指導者たるもの、いちいち細かいことなど考えない、などと思うことは、たいへんな間違いであることがわかりました。
池田 ただ、ここで申しあげておきたいことは、釈尊の弟子たちの姿を見ればすぐわかるように、いざというときは「法」に殉ずる精神が根本であったということです。
こうした釈尊の心くばりも、弟子が修行を完結するためであったということを、決して忘れてはならないということです。