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第十二章 核の脅威と仏法の平…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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1  火薬庫で暮らしている現代人
 ―― 今年(一九八四年)に入ってからも、気のせいでしょうか、あいついで宇宙のことが話題になっていますね。
 池田 昨年にひきつづき、ますますそのような感じがありますね。時代の進歩とともに、人々の心の幅は、どうしても宇宙へと広がっていくものでしょう。
 ―― 先般、名誉会長からうかがった仏法で説く「空」の摂理については、深いお話で感銘をうけたという読者からの相当数の投書がありました。
 木口 私もたいへんに勉強になりました。
 ―― ひきつづきこのテーマを論じていただきたいと思いますが、少々むずかしいむきもありますので(笑い)、もう少しお時間をいただき、思索してからにさせていただきたいと思いますが。(笑い)
 池田 けっこうです。よくわかりました。私も勉強いたします。
 木口 ぜひお願いします。
 ―― ところで十日ほど前の朝刊(一九八四年一月九日付「読売新聞」)に、二十万個の新たな星と、二万の新しい星雲が発見された、という記事が出ておりましたね。
 池田 いや、私もテレビのニュースで見ました。人間の視野は、いまや肉眼では見ることもできない宇宙の領域にまで達しているわけですね。
 木口 その発表は、天文衛星から高性能の赤外線望遠鏡で全天を観測した成果です。関係者の予想では、一九九〇年までには、今回の一千倍以上の性能をもった衛星が打ち上げられるだろうということです。
 ―― なるほど。二万の星雲だけでも驚きですが、いやまして、宇宙は人間にとっての関心事となりますね。
 池田 まったく、そうですね。こうした宇宙の発見は、すぐに人々の生活に影響を及ぼすものではないかもしれない。
 しかし、人々の思考性、価値観といったものに、なんらかの変化を与えていくということも、また事実ではないでしょうか。
 木口 そのとおりだと思います。過去の歴史においても、新しい宇宙観の発見は、常に時代の変革とともにありました。
 ―― ルネサンスと、地動説のコペルニクスやまたガリレオの天体発見との関連性などは、象徴的なものですね。
 木口 いわゆる地球が回っているという発見は、近代科学の夜明けを告げる出来事でした。
 ―― ところで、アメリカの核戦争の悲惨さを描いた「ザ・デイ・アフター(その翌日)」という映画が、世界中で評判になっているようですが。
 池田 ええ、私もアメリカから送られてきたビデオを見ました。すさまじいとしか言いようのない場面が数多くありましたね。
 木口 私もテレビの特集番組で、そのさわりを見ました。
 一般市民が、ある日、とつぜん核攻撃をうけたらどうなるか、という姿をなまなましく映し出しているようですね。
 ―― 全米一億人を震撼させたといわれていますね。
 レーガン大統領も「これは、凄みのある映画だ」と感想を寄せていたそうです。
 木口 ホワイトハウスも、この映画の影響力を無視できずに、「大統領に政治的マイナスとなる影響は、いまのところない」と記者会見で発表したほどだったようですね。
 ―― あの映画のなかでは、核戦争のもつ象徴的な姿が描かれていました。
 一つは核爆弾が町の上空で炸裂する瞬間まで、人々はこんなのどかで平穏な町に、そんなことが起こるはずがないと信じつづけていた。
 木口 ええ、そのとおりでした。
 ―― 二つには、いったん核攻撃の指令が決定されるやいなや、人間の手を離れてしまい、事務的かつ機械的にすべてが処理され、なんのためらいもなくボタンが押されてしまうということ。
 木口 まったく、そのとおりですね。
 池田 衝撃的な映画でしたね。だが核戦争の本当の恐ろしさは、あんなものではないと思う。
 人間がうける言語に絶した苦しみ、悲しみは、とうてい映画に描写しきれるものではない。
 木口 たいへんに鋭い指摘です。
 ―― アメリカ人の約五割は、この映画を見たそうです。それほど核に対する彼らの不安と関心は、高まっているようです。
 池田 たしかにアメリカも、核ミサイルにかこまれた環境で生活しているわけですからね。
 また同じく全世界の人々が、核ミサイルにかこまれて生活しているようなことになってしまった。いわば人類は毎日、火薬庫の中で暮らしているようなものです。
 ―― まったく、そのとおりだと思います。
 事実、この映画を見たアメリカの要人のなかにも、はっきりといま名誉会長が指摘された点に言及している人がいます。
 木口 たとえば、どなたですか。
 ―― ヘンリー・キッシンジャー博士なども「この映画は気にいらない。なぜなら、核戦争をあまりにも単純化しているからだ」と言っております。
 木口 なるほど。そうですか。
 いかにも核戦略の当事者の言ですね。核兵器の恐怖を熟知している。
 ―― 名誉会長はキッシンジャー博士とは、何回か会談されておりますね。
 池田 ええ、日本とアメリカで三度ほどお会いしております。博士とは、友人として平和と文化について、さまざま語り合ってきました。
 博士が「平和というものは戦争がない状態を意味するだけではない」、また「私は哲学が絶対に必要だと思う。それは宗教かもしれない……」と、真剣な表情で語っていたことが思いおこされます。
 ―― そうでしたか。
 昨年、名誉会長を訪ねたカール・セーガン博士も、「実際の核戦争の悲惨さは、画面をはるかに上回る」と言っています。
 木口 セーガン博士は、天文学者であると同時に、平和運動家でも知られておりますね。
 ―― ところで、最近では中性子爆弾による「部分的核戦争」といった、核兵器の使用を正当化しようとする論理までつくりだされようとしていますね。
 池田 ひと昔前は、「核」があるから、お互いに戦争への抑止力になる、といった愚かな論理があった。
 だが、そうした非現実的な論理などだれも信用しない。そこで他に被害を広げずに、どう相手だけに打撃を与えるか、という「使える核兵器」までもが登場してきた。
 ―― 世界の軍事費は膨張する一方です。衛星攻撃兵器、レーザー兵器といったものも開発されています。相互不信という人間の愚かな観念は、果てしない軍備拡張へとつながっていく。
 池田 ゆえにいかなる形態のものにせよ、「核兵器」というものの悪魔性を、世界的にえぐりだす作業が、今日ほど要請される時代はないといってよいでしょう。
 木口 まったく同感です。
2  民間次元での平和への交流、行動を
 ―― 国連と創価学会が共催した「核の脅威展」は多大な反響を呼んだようですね。
 池田 ええ、青年たちの平和を希求する情熱と努力により、今までにニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンそしてパリの四カ所で行われました。
 ―― 先日、ヨーロッパに出張した折、パリで会ったユネスコ関係者も、「予想以上の反響に驚いている」と言っておりました。
 木口 そうですか。
 被爆体験のない欧米の人たちにとっては、強烈なショックだったのでしょうね。
 ―― 相当なショックをうけたようです。
 木口 今年の三月には、日米合同の「平和」をテーマにした青年の集いが、アメリカのサンディエゴ市で開催されるようですね。
 池田 ええ、日本から約八百人の青年が参加することになっております。
 ―― たいへんなことですね。
 「核廃絶のための一千万人署名運動」といい、また国内四十四カ所で行われ、約百三十万人もの人が見た「反戦反核展」、さらに七十八冊にも及ぶ貴重な歴史の証言である反戦出版など、地道な活動がつづけられていますね。
 木口 戦争体験のシリーズは、すでに海外出版もされているようですね。
 池田 ええ、三冊だけ刊行されています。
 ―― 「平和行動展」も一月(一九八四年)に行われている栃木県で二十カ所目となり、百十万の人が見にきている。各地元の知事や学者、文化人も非常に感銘しておりますね。
 また創価学会には、戦争と平和に関する資料を収録、それを展示した平和記念館が、神奈川、大阪など五カ所にできている。これも、約六十万の内外からの来館者をみている。
 木口 難民支援活動や各種講演活動など考えると、まことに幅広いものです。
 ―― 名誉会長が提唱された民間次元での平和への交流、行動というものが、国の内外にわたり、着実に青年の手によって現実化されている感がしますね。
 池田 平和な世界を次の世代へと残すことが、私どもの重大なる責務であると、私は思っております。
 ―― まったく、そのとおりだと思います。
 それにしても、平和を語る指導者は多いが、行動する人は少なすぎる。
 以前、NHKのワシントン支局長、日高義樹氏の、核問題についての講演を聞いたことがあります。
 木口 ああ、そうですか。
 いわゆる一流のジャーナリストの話は、学者以上に実感と説得力をもつことがありますね。
 ―― 彼は、世界政治の中心地で十年以上もの特派員生活を送っています。
 そのなまなましい、かつ豊かな体験をとおして語っていました。
 「世界各国の指導者との会談を重ねる名誉会長のような平和行動、民間外交が現状打開のカギである」――と。
 池田 過大評価で恐縮です。(笑い)
 日高さんといえば、十数年前になりますか、一度、静岡で桜の満開のころ、花びらを肩にうけながら、ご夫妻とかわいらしい二人のお嬢さんにお会いしたときのことが、いまもって忘れられません。
 木口 そんなことがおありでしたか。
 日高さんのリポートは、第一線のジャーナリストが、肌身で感じた思いがにじみでていますね。
 池田 私も、ときどきテレビで拝見しています。
 たしかに鋭く、的を射ていますね。
 ―― イデオロギーだけ、民族主義だけ、そして政治的次元だけというのでもなく、自由に国境を越え、利害も打算もなく、ひたすら人類に平和と安定をとの願望を炎のごとく燃えたぎらせ、活躍しゆく指導者の出現を、多くの民衆は待ち望んでいますね。
 木口 同感です。まったくそういう時代に入りました。
 ―― また彼は「デモクラシーの進んだ国の知識階層は、必ずこうした指導者に注目し、称賛していくであろう」という意味のことを述べていました。
 池田 そのような多くの平和主義者が、各国から出てもらいたいものです。
 私は仏法者の信念として、かぎりなく世界の地の果てまで、人間の根源の苦悩である「貪・瞋・癡・慢・疑」「生老病死」の解決のために奔走していく決心です。
 ―― 政治次元の平和論も大切ですが、人間次元の平和論がなければ根無し草ですね。
 なぜならば、一個人の不幸を解決しゆく力と、その体験こそが、社会全体の不幸の淵源を解決せしめる奔流へと連なっていくからです。
 木口 まったく、そのとおりです。いくら人類の平和を叫んでも、立派な科学者、天文学者として尊敬されても、自分自身が宿業に流されたり、家庭不和などで苦しみ、悲しんでいてはなんにもならない。
 ―― そこで具体的には、地球よりも重い人間の生命を守るために、どうしても避けられないのが「核兵器廃絶」の問題になってくるわけです。
 池田 そのとおりだと思う。
 多くのノーベル賞学者や文化人による核廃絶運動があり、それなりの価値と影響力もあった。だが人間社会の業というか、目先の利害や目まぐるしい日常生活のなかに埋没してしまい、多くは、なんとなく忘れ去られるようになってしまう。要するに、だれかがやってくれるだろうという、あなたまかせがあまりにも多すぎる。
 木口 まったく、そのとおりです。
3  生命の“魔性”にせまる「原水禁宣言」
 ―― 「核」の悪魔性を鋭く喝破された戸田先生の講演は有名ですね。
 木口 「原水爆使用者は死刑に」という宣言ですね。
 池田 そうです。
 ―― たしかもう、二十六、七年前(一九五七年九月八日)のことだったでしょうか。
 横浜の三ツ沢競技場で、五万人もの青年たちのまえででしたね。
 池田 そのとおりです。
 この戸田先生の遺言は、私の脳裏から瞬時も離れたことはない。この遺言を、弟子たるものはなしゆけ、との恩師の言葉ですから。私はだれがなんと中傷・批判しようと、なにも恐れない。この道は人類にとって正しき道である、と信ずるからです。
 ―― 戸田先生は仏法者でありながら、なぜ「使用者は死刑に」と極言されたのでしょうか。
 池田 たしかに、強い表現であった。
 しかし、時が経つにつれ、私は深い意味があったと思われてきてならない。
 ―― なかには原爆が落ちたら、もう死刑にできないではないか、というふざけ半分の批判もありましたが。
 木口 広島に原爆を落とした操縦士でしたか、その後発狂していますね。
 ―― ええ、その操縦士の手記を、『潮』に独占掲載したことがあります。発狂した操縦士は爆撃機「エノラ・ゲイ」の操縦士ではなくて、その一時間前に飛びたった偵察機「B―ストレイト・フラッシュ」の操縦士クロード・イーザリーです。彼は精神異常をきたし、廃人のような姿で死んでいます。もう一人は、宗教の世界に入っています。
 池田 彼が生前残した『ヒロシマわが罪と罰』(筑摩書房刊)という、精神科医との有名な往復書簡があったね。ともかく、原爆を投下したという行為それ自体が、すでに死刑以上の地獄といってよい。
 木口 まったく、そのとおりです。
 池田 この恐るべき核兵器を使おうとすることは、生命の「魔性」の働き以外のなにものでもない。瞬間にして何十万、何百万の人類を焼き殺そうとする心の作用だからです。
 そこで戸田先生は、仏法が説いている「無明」とか「煩悩」に染まりきった生命を、こんどは「法性」とか「菩提」という一心に転じさせていかねばならないという意義、またそういう次元から、あえて「死刑にせよ」という言葉を使われたのでしょう。
 ―― なるほど。ちょうどその年は、有名な「ラッセル・アインシュタインの平和宣言」をうけ、パグウォッシュ会議の第一回大会が開かれていました。
 木口 そうでしたね。この会議は、世界の科学者が核兵器の全面使用禁止と、あらゆる地上の戦争の絶滅を願って、初めて開かれたものです。
 ―― 世界の知識人の力によって、平和を達成しなければならないと立ち上がったものでしたね。
 木口 ところがその願いとは裏腹に、核兵器はますます増大しつづけ、その後起こった戦争にも、決定的な歯止めとはなっていないようです。
 ―― 当時、欧米の国々では、「核」への関心がまだまだ低かったころでしたね。
 池田 ですからこの会議も、その時点においての意義はあったと思う。
 しかし、人類的な規模の大民衆運動とならなかったことは本当に残念です。
 木口 私もそう思います。
 ―― このパグウォッシュ会議から二カ月後、戸田先生は、次代を担う青年、若人に「きょうの声明を継いで、全世界にこの意味を徹底させてもらいたい」と切々と訴えられたわけですね。

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