Nichiren・Ikeda
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第十一章 宇宙の体験と「空」…
「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)
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1 香港の「九七年問題」とアジアの将来
―― 今回は五年ぶりの香港訪問(一九八三年十二月一日出発、六日帰国)だったそうですが、いかがでしたか。
池田 アジアで初めての文化祭が開かれ、その招待をうけました。
また、香港中文大学から訪問の要請もあり、行ってまいりました。
―― 文化祭は、さきごろ完成したばかりの香港体育館に、二日間にわたって二万人のメンバーが集い、たいへんに盛大だったようですね。本当に、おめでとうございます。
池田 ありがとう。アジアは、ますます大事なところとなりますね。日本もアジア各国との経済協力はもとより、すべての次元にわたっての誠実な交流が必要ではないでしょうか。
木口 平和文化祭の大成功は、アジアの素晴らしき未来を象徴しているようですね。
池田 ともかく香港の皆さんが希望をもち喜んでくださり、うれしかった。香港中文大学と創価大学の教育学術交流も十年の歩みを経て、確実に深まってきているようです。
―― 香港近隣のマカオ、シンガポール、タイランド、マレーシア、フィリピンなどからも、メンバーが集まったそうですね。
木口 長く厳しかったアジアの民衆にも、ようやく陽光がさしてきたようですね。
池田 そうしたい。また、そうでなければアジアの歴史は、あまりにも不憫です。
―― 東洋の真珠といわれる香港も、最近は新たな角度から注目されていますが。
池田 そのとおりです。香港全域の九二パーセントを占める新界地域の租借期限ぎれがせまっているという、いわゆる「九七年問題」がある。世界中からさまざまな角度で注目されております。
―― 町には、相変わらず活気がありましたか。
池田 予想していた以上でした。人口も増加しているようです。五年前よりも高層建築が増え、海を埋め立ててニュータウンも誕生しています。
―― 香港政庁の行政評議会主席である、鍾士元氏とも会見されたそうですね。
池田 会いました。「九七年問題」を深く突っこんで話し合いました。
―― 日本総領事館の藤井総領事も同行したそうですね。
池田 そのとおりです。約五十分間ちかく真剣に応答しました。
―― 会見内容は、どうだったんですか。
池田 この問題をめぐっての中英会議が、(一九八三年)十一月中旬に二日間にわたって北京で行われ、たいへんに建設的、かつ有意義なものであったと言っていました。十二月上旬にも、二日間にわたり行われましたが、会議の詳しい内容の公表は、まださしひかえているようです。
木口 最も注目されているのは、中国に返還された後に、どういう政治形態、どういう経済体制になるかという点ですね。
池田 先日、来日した中国の胡耀邦総書記も述べていたように、外国の権益は、あくまでそれを保証するとの公約がある。
ともあれ注目されるのは、自由主義と共産主義とが融合する、ユニークな未来の姿です。
彼が言うには、いままでは社会主義は社会主義国家に、自由主義は自由主義国家になるという単純な図式であった。だが香港の場合、そうした見方は、あくまでも理論上、学問上の範疇の見方であり、実際は、やってみなければわからないと言っておりました。
2 四季の変化が生活の節目
木口 ところで、月刊雑誌が暮れのあわただしいときに、お正月を通り越して二月号をやっている、というのは奇妙に感じますね。(笑い)
池田 私も、若いころ『冒険少年』の編集をし、『少年日本』の最後の編集長もやったことがあったが、そのころは、雑誌がそろって年末に新年号を出したという記憶はありませんね。
―― そう思います。調べてみましたら、ある社が意表をついてやり始めたら、他誌も右にならえでやり始めたようです。
池田 なるほど。日本はマネごとが早い。(笑い)
木口 やはり、ムダの多い生存競争のゆえでしょうか。(笑い)
―― なかにはエスカレートしすぎて、十二月にもう二月号を出したところもある。ところが一月に三月号というわけにもいかず、中間をとりもつために、一月は「陽春」臨時増刊号ということになった。(笑い)
木口 そうすると、年に十三冊出た計算になる。(笑い)
池田 この雑誌連載は十三回でなくてよかった、よかった。(笑い)
―― そういうわけですね。(笑い)
ところで木口さん、昔は暦のうえでも、お正月が年内にくることがあったようですね。
木口 ええ、月の満ち欠けに合わせて、一カ月を決める太陰太陽暦を使っていたころは、お正月よりもさき、つまり年内に立春がきてしまうこともあったわけです。
池田 そうそう。その困惑ぶりをうたった和歌があるね。
―― ええ、『古今和歌集』でしたか。
池田 たしか、
「年の内に春はきにけり 一年を
去年とやいはん 今年とやいはん」
という歌でしたかね。
―― そうでした。暦では、正月よりさきに立春がきてしまった。立春から元旦までの間を、昨年と呼ぶべきか、今年と言うべきかということですね。
木口 いまの雑誌の新年号のなかに「今年は」と書いていいものか、「昨年」と書いていいものか、迷うようなものですね。(笑い)
池田 この歌からは、暦という生活の基準にズレがでたことの戸惑いと、多少その矛盾を揶揄した響きが読みとれますね。
木口 昔の人は自然のリズムを大事にし、密着して生活していたことがうかがわれます……。
池田 天体の正確無比な運行による四季折々の変化を、かけがえのない生活の節目として尊んでいた。
―― 現代人は、四季の変化を感じとれなくなっていますね。
木口 冬でもスイカやイチゴが食べられるし、夏でもミカンやリンゴが食べられますからね。あまり美味しくありませんが。(笑い)
池田 いま使われている暦は、明治になって、世界の仲間入りをするために採用したグレゴリオ暦(太陽暦ともいう)ですね。
木口 ええ、明治五年(一八七二年)十二月二日の翌日を明治六年一月一日にし、その日から使うことになったわけです。
池田 東洋の暦は、もともとは立春が正月であった。それを、いまの太陽暦によって、冬至のころを正月とした。
だが日本人の暮らしには、「新年」とともに、「新春」を迎えるという伝統が、長くつちかわれてきたようです。
―― 旧暦だと「新春」という言葉が、暦のうえでも符合したわけですね。
池田 そのとおりだね。それが新暦になっても、年賀状に書く「新春」「迎春」「賀春」などの詞だけが残った。
木口 そうですね。本当は元旦を新春というのは、冬の真っ盛りでおかしいのですが、やはりこうした習慣だけが残ったのでしょう。
まあ、地球が太陽の周りをめぐって公転し、その面に対して自転軸が傾いている以上、世界中が同じ季節に新年を迎える、というわけにはいきませんからね。(笑い)
3 スカイラブ船長と宇宙の旅
―― 先般(一九八三年十一月二十六日)、アメリカの元宇宙飛行士、ジェラルド・P・カー博士(スカイラブ3号の船長として宇宙飛行)が名誉会長を表敬訪問し、約二時間半にも及ぶ会談をされましたが、読者からも多くの感銘の声が寄せられております。
木口 私も同席させていただきましたが、とにかく、先生とカー博士との会談は、たいへん心温まるものでした。
―― 私もそばで拝聴させていただき、同じ感慨をもちました。博士は生命の故郷である宇宙を精神的にも、肉体的にも、実感したわけです。その博士が名誉会長に語りかける姿は、そのままこの「『仏法と宇宙』を語る」の延長のようでした。(笑い)
池田 そうですか。私にとっても、たいへん有意義な語らいであり、楽しいひとときでした。
たしかに、人類四十数億のなかで、宇宙飛行を実体験した人は、ほんの一握りしかいない。この二十数年間で、二百人前後ではないでしょうか。
木口 そうです。
―― アメリカとソ連あわせて、そのぐらいの数ですね。
池田 カー博士は、たいへんに謙虚な人でしたね。彼は宇宙の先覚者の一人である。
その人と人類意識、地球意識のうえにたって、人間と文明の未来を語り合えたことは、大きい思い出のひとつとなった。
木口 私も、まったくそう思いました。私のように机上の研究に明け暮れている人間にとっては、“現場の声”をじかに聞き、会談全体がまるで復習のようでした。(笑い)
―― それにしても、名誉会長の仏法からみた宇宙観、人間観の一端に接して、博士が「そうすると自分は、宇宙で仏法の勉強をしていたようなものです」と即座に答えたのには、本当に驚きました。
木口 そうでした。博士は、「宇宙には厳然とした“調和と秩序”がある」と言っておりましたね。
―― 「神が人間に対し、ちょっと糸を引き、物事をおこしているようなものではない」とも言っておりました。
印象的な言葉でしたね。
木口 私は直観的に感じました。それは、カー博士が宇宙で体験したその実感は、たしかに仏法の法理につながっている……。
彼はクリスチャンであると聞いていますが、その言葉の端々にそれを感じましたね。
―― 私もそう思いました。
池田 カー博士は、スカイラブの船長としても世界的に有名ですね。
八十四日間ですか。地球の周りを回ったのは。
―― そうです。また博士は、通算十五時間もの宇宙遊泳もしています。
池田 そうでしたね。船外に出て、地球の姿を眺めていたら、初めに長靴の形をしたイタリアがわかった、と言っていましたね。
―― とてつもないスピードで飛んでいる宇宙船から人が出て、吹っ飛んでいかないんですかね。おいていかれないのですか。(笑い)
木口 それは宇宙船が軌道を回っているときには加速しませんので、両者とも同じ速度ですから大丈夫です。
ちょうど等速度で進んでいる船のマストから物体を落としても、その真下に落ちるのと同じ原理です。
池田 いいですね。助かりますね(笑い)。博士はわざわざNASA製作の、スカイラブの記録映画を持ってきてくれたのですよ。私はそれを会談の次の日、少人数でゆっくり見せてもらいました。
木口 そうでしたか。私も見せてもらいたかった。(笑い)
池田 一日しか借りられなかったもので、すみません。(笑い)
まあ、木口さんのことですから、またなにかの機会に見るチャンスがあるでしょう。(笑い)
―― そのフィルムは、NASAの許可がないと、見ることのできない珍しい記録ですね。
池田 透明な宇宙空間に、真っ白な命綱をつけた宇宙服姿の博士が、船外で遊泳しているシーンがありました。
左手に、真珠色に光る大気につつまれた地球が、大きく浮いている。右手は、黒い漆のような宇宙の空間が写っている。
この地球と無辺なる宇宙の両者を一望にできた体験は、素晴らしいことであると感銘しました。
木口 私も、そういうお話を聞くと、一度でいいから、宇宙船に乗ってみたい気持ちにかられます。(笑い)
―― 宇宙船が地球を一周するのは、約九十分だそうですね。
池田 そう。つまり一日二十四時間に、十五回ほどの日の出と日の入りを目にすることになる。地上の感覚からは、想像もつかない一念の変革がおこるわけですね。
ですから一挙に、人間が考えられないような新しい世界に入っていくことになる。
なにか「法華経」で説く、「霊山会と虚空会」「三変土田」といった、凡智では実感しがたい法理が思いおこされますね。
木口 宇宙空間とは、まことに不思議なものです。