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日蓮大聖人・池田大作

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第十章 太陽の誕生、人生と宇…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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1  本格的な宇宙時代の開幕
 ―― 日本人初の宇宙飛行士の募集が始まりますね。
 木口 私どもにとってもうれしいことであり、たいへんに話題となっています。
 池田 宇宙飛行士は何人、募集するのですか。
 木口 三人と聞いています。たぶん大勢の応募者があるのではないか、と予想されています。
 ―― 当然、関心は高いでしょうね。
 池田 人類が初めて宇宙に飛び立った(一九六一年)のは、ソ連のガガーリン少佐が乗ったボストーク1号でしたかね。
 木口 ええ、それ以来二十二、三年になるでしょうか。
 池田 宇宙は二十世紀の象徴的な歴史の舞台になりましたね。
 ―― そう思います。日本にとっても、これから本格的な宇宙時代の開幕となっていくでしょう。
 池田 二十世紀は、社会主義国家の誕生、核の出現、そして宇宙時代の開幕と、人類の視野が地球的規模にまで一変してきた時代となったわけですね。
 小さな視野に閉じこもっていては、もはや人類の自由と平和は論じられない時代に入ってきた。
 この点が大事ですね。
 ―― そのとおりです。
 この宇宙飛行士の募集には女性も応募できますが、最終的には、科学技術の研究経験が五年以上の人ということになるようですね。
 木口 ええ、この選考を経て、訓練を受けてからアメリカのスペースシャトルに搭乗することになります。
 池田 少年時代に読んだSFが、確実に現実化しつつあることに、うれしいやら、戸惑うような気持ちをおぼえますね。(笑い)
 この人類の素晴らしき英知を、科学技術の進歩と同じように、地球平和への志向性へと向けていきたいものですね。
 ところで宇宙飛行が、現実に考えられたのはいつごろからでしょうか。
 木口 たしか、一九二〇年代のことではないでしょうか。
 ―― いまから約六十年前のことですね。
 そのころ、アメリカではこんな話もありました。
 クラーク大学のゴダードという教授が、「将来、ロケットは月に到着するだろう」という論文を、ある科学誌に寄稿し、たいへんな話題になりました。
 池田 なるほど。やはりアメリカは、宇宙飛行の先端をいっていたわけですか。
 木口 そう思います。ゴダード教授は「ロケットの父」といわれる有名な物理学者です。
 ―― ところが、この教授の見解は、世界で最も権威のある新聞といわれる「ニューヨークタイムズ」に、「そんなことができるわけがない。彼は真空(宇宙空間)についての知識に欠けている」と、痛烈に非難されたそうです。
 池田 ああ、そうですか。しかし、その約半世紀後には、あのアームストロング船長らが乗った宇宙船アポロ号が、月面着陸に成功したということになりますか。
 ―― そうですね。一九六九年です。
 そのとき、この「ニューヨークタイムズ」は、すでに亡きゴダード教授に対し、公式の謝罪文を掲載したという有名な話があります。
 池田 いつの時代でも、先見をもった人々は痛烈なる批判と屈辱をうけるものですが……。
 ―― この逸話は、マスコミの良心として、長く世界中のジャーナリストに記憶されるようになったようです。
 木口 あえて、故人に対してまで謝罪したことは、たいへんな勇気ですね。
 池田 それも世界的に有名な新聞社が、ですね。相当の決断を要したことでしょうね。
 ―― 自分も一ジャーナリストとして、胸が熱くなったおぼえがあります。
 読者から長く信頼され、愛されつづけていくには、こうした真摯な姿勢が本当に大事であると思いました。
 木口 博士の名前は、現在ではアメリカの宇宙センターの一つに命名され、大きく顕彰されていますね。
 池田 そうですか。素晴らしい話です。いかなる事業にせよ、運動にせよ、人々の信用と信頼をかちとっていかねばならないものです。
 木口 ゴダード教授も偉大な科学者であり、「ニューヨークタイムズ」もまた、偉大なるペンの正義に立っていた、といえますね。
 池田 そうです。常に大きい視野と謙虚さを、という強き信念が「ニューヨークタイムズ」にはあったわけですね。
 この万人を納得せしめゆこうとする、勇気ある行動こそ、人々をして信頼の方向へと、動かしていく源泉といえるでしょう。
2  太陽の運行と元旦の意味
 ―― 話は変わりますが、一年の始まりであるお正月ということも、宇宙と関係あるようですが、木口さん、どうでしょうか。
 木口 お正月ということも、昔から天体の運行によって、人々が定めてきたわけです。国や民族によって、その新年を祝う習わしは、さまざまであったようです。
 池田 そうですね。なにかで読んだものの、うろおぼえですが、古代のエジプトでは、「秋分」が一年の始まりになっていた。ユダヤやバビロニアでは「春分」であった。そしてギリシャでは、「冬至」のときを一年の生活の始まりと定めていたようです。
 木口 日本では一月一日、元旦ですね。
 ―― ともかく、新年の時期がそれぞれの国によって、まったく違っていたのもおもしろいですね。
 日本ではこの日の朝を、とくに「元旦」と呼んできておりますね。
 木口 元旦というのは、池田先生、どういう意義でしょうか。
 池田 そうですね……。
 「元」とは、物事の始めという意義でしょう。「旦」とは、太陽が地平線にあらわれ出たことをさしているようです。
 ―― 年賀状に「元旦」と書く習慣も、この「初日の出」を愛でる意義があったようですね。
 池田 この「元」という文字も、「旦」という文字も、ともに古代中国から使われてきたといわれています。
 ―― そのとおりの記録がありますね。
 池田 当然、中国においても、日本においても、当初から太陽の運行と、その民族の生活とかが、密接な関連性があったことだけは事実でしょう。
 木口 たしかに、古代中国の農耕民族には、初日の出を祝うという習慣があったようですね。
 池田 ですから、人間の自然感情というものは、毎日の生活をしていくうえでなにか、新鮮味を与える意味で、ひとつの節目というものをさぐっていった、ということも考えられますね。
 ―― たしかにそうですね。なにかひとつの区切りがないと、人間は惰性になったり、心が沈殿してしまうことがありますね。
 池田 そこで新しい生への喜び、新しい感謝を見いだそうとしたときに、どうしても、雄大なる大宇宙の運行へと、目を向けざるをえなかったと思われる。そのひとつが新年の祝いという、古来からの形態になったのではないでしょうか。
 ―― そのとおりだと思います。
 自分なんかはお正月というと、すぐに楽しかった子供のころを思い出す……。また、故郷の北海道のことが、懐かしく目に浮かんできます。(笑い)
 木口 私の友人なんかも、日ごろ星や月を相手に盆も暮れもないと言いながら、お正月となると居ずまいを正し、和服など着てニコニコしている。(笑い)
 ―― 最近はまあ、テレビの影響が大きくなり、情報や流行を追っているようでありながら、同時に、心の奥では、古きよき伝統を大切にしようとする傾向があることも事実ですね。
 木口 それは、たいへんによいことだと思います。古きよき伝統を、ますます大事にしていくことを期待しますね。
 池田 人間は時代感覚だけでは満足しない。流行や情報だけでも満足できない。なにかしら永遠性なるもの、これを永遠感覚とでもいいましょうか、心の安らぎ、充実感、所願満足というようなものを、究極的には欲するものではないでしょうか。
 ―― 刹那的なものは、むなしく淡い。
 木口 そこに、知性の延長があると思います。軽薄なものに対しては、私はやはり、反発せざるをえませんね。(笑い)
 ―― お正月になると、いつもは神社や仏閣に行ったことのない人が、急に信仰ぶかくなって(笑い)、初詣に行きますね。(笑い)
 これなんかも一種の流行で、伝統を重んじているようで実際は、大きな違いがあるような気がしますね。
 木口 ところで池田先生は、どのようにお正月を過ごされるのですか。
 池田 そうですね。
 私の場合、お正月は大晦日に終わってしまうようなもので……。(笑い)
 わが家の伝統として、元旦の午前零時には、家族全員が集まります。そして五座の勤行をいたします。
 それが終わって、御造酒を私が家族全員についであげ、おせち料理を少しずついただきます。
 元旦の朝食は、原則としてライスカレーです(笑い)。この日から、私の一年間の法戦が開始されるわけですから。
 木口 ああ、そうですか。初めてうかがいました。(笑い)
 池田 一月二日は私の誕生日です。お正月ですから、日本中の人が祝ってくれていると思っています。(笑い)
 そして元旦から大勢の人に学会本部でお会いします。お正月は、一年中で、いちばん忙しいときかもしれませんね。(笑い)
 そこで私は、毎日を元旦のような気持ちで出発していくことをモットーとしております。
 木口 なるほど。昔の中国にも「日に日に新たなり」という格言がありましたね。
 ―― 「昭和」の年号も今年で五十九年目、日本の歴史のなかで、最も長かった明治が四十五年ですから、最長記録を更新していますね。
 木口 「昭和」生まれが、人口の三分の二を占めたと聞いています。「昭和」という年号は、どうしてできたのでしょうか。
 ―― 昔は、いろいろな決め方があったようですが、「昭和」の年号は、時の内閣の諮問委員会で決まったそうですね。
 池田 年号とは、「号」が名という意味ですから、時代の名前のことです。
 「昭和」という名称は、中国の『書経』という歴史書にある、「百姓昭明にして万邦を協和す」という訓言から、とったもののようです。
 木口 そうですか。日ごろ、あまり年号のことなど考えたことはありませんが、どのような意味になるのですか。
 池田 そうですね。
 「昭」という文字の語源は、日を召すという組み合わせで、太陽が弧を描きながら万物に光を届かせる、といわれる。また、いまの文章のまえには、「俊徳を明らかにして」とある。
 これは「百姓」、つまりすべての人々が、それぞれの徳分を発揮し、太陽のごとく自己を輝かせることになれば、それがもととなり、「万邦」すなわち世界中の国々と、仲良く「協和」させゆくことができる、というような意味でしょうか。
 木口 なるほど。
 ―― だれが案を出したのか知りませんが、「昭和」の時代も戦前は、そうした意味とはほど遠い時代でした。
 木口 そうですね。最近は改元についての議論もあるようです。「名は体をあらわす」といいますが、昭和の後半の時代はのちのち、その名のごとく後世の人々からほめられるようにしたいものですね。
 ―― ところで、いまなお受け継がれている年賀の風習が数々みられます。それぞれ長い伝統と、いわれがあるのでしょうね。
 木口 地方に行くと、初めて目にするようなお正月の風習に出合って、驚くことがあります。
 池田 そうですか。私は東京生まれの東京育ちですから、あまり、他の地方の正月風景は知らないのですが、なにかあったら教えてください。
 木口 私の住む大阪では、昔は門松を立てなかったそうです。
 池田 門松を立てる習慣は、宮中にもないそうだから、昔から伝えられてきた古い伝統とはいえないようですね。
 ―― 門松は明治のころ、「松竹たてて門ごとに祝う今日こそ楽しけれ」という文部省唱歌が流行し、それから全国に普及したという説もあります。
3  大空よりも大きく偉大な人間の心
 木口 年賀状はどうですか。
 池田 そうですね。年始まわりの伝統をふまえたものですが、明治の中ごろから郵便が発達し、名刺を封筒に入れて送るということが流行った。それが今日の年賀状に変化して、定着していったようです。
 ―― 年賀状といえば、現代人が毛筆で文字を書く、年に唯一の機会になりましたね。
 木口 ええ、なかなか会えない友人などから、墨書きの賀状が届くのはうれしいものです。
 私はペンでしか書きませんが。(笑い)
 ―― ところで、こうして名誉会長のところへうかがうたびに、揮毫されている姿をよくお見うけしますが。
 池田 いやいや、どうも(笑い)。私は書道も書法も、まったくの素人です。知人の強い要望で書きますが、書き終わってから、いつも「また後世に恥を残してしまった」と言うのです(笑い)。ただ喜んでくだされば、ただ励ましになれば、という気持ちだけです。
 木口 なるほど。池田先生の真心なのですね。
 ―― 書の専門家は、何千字書いても耐えられるように、手の筋肉を訓練する。それには、半生はかかるそうです。
 また力強く、平らに動かす力を養うのは、一生の課題と聞いたことがあります。
 木口 なるほど。
 ―― 名誉会長は善き詞を善き文字で、心を込めて書かれていますね。まるで生命の息吹を記されているような気がします。連日の激務のなかのことですから、たいへんでしょうね。
 池田 いやいや、私は自分のできるせめてものことをと思っております。ただ、いささか筆をとっておりますと、いろいろなことがわかってきます。
 ―― どのようなことでしょうか。
 池田 たとえば、晴れた日は筆のはしりがよいような気がします。
 ところが雨の日は、なかなかそうはいかない。天候の状況や、一念の状態が字を左右してしまうようです。
 ―― 微妙な影響があるわけですね。なかなかむずかしいことのようですが、表彰状や感謝状などは、やはり墨でないと、もらっても感じがでませんね。(笑い)
 木口 よく、「字は人となりを表す」といいますね。上手、下手ではなく、その人の真心や人格がにじみ出ているものは、親しみを感じますね。
 池田 私も下手だから言うのではありませんが、木口さんと同じ意見なんですよ。(笑い)
 ―― 「書」も芸術ですね。「彫刻には独創はいらない、生命がいる」と言ったのは、有名なフランスの彫刻家ロダンですが、芸術の極致には相通じるものがあるようです。
 池田 仏法の経釈にも「善画は像を写すに真に逼り、骨法・精霊の生気・飛動するが如し」(「三重秘伝抄」)とあります。
 善き画というものは対象の姿、形だけではなく、作者が感じとった心性までもが、あたかも生きているかのごとく、白いキャンバスに描きだされているという意味でしょうか。
 木口 画にしろ、書にしろ、また音楽にしても、天才といわれる人のものは、作品自体に人生観、世界観、宇宙観まで表現されるといわれていますね。
 ―― 先日、新聞やテレビでも評判になった、東京富士美術館の「近世フランス絵画展」をのぞいてきました。
 ドラクロワの「ミソロンギの廃墟にたつギリシャ」などは、まさに名画の名をほしいままにするような作品でした。
 まあ、溜息ばかりで、圧倒されましたね。(笑い)
 池田 素晴らしいという表現しかない絵ですね。
 たしかに見る者をして、そこまで感じさせうる作品というのは、至高の美であり、芸術の極致といえるでしょう。
 一つの分野を究めていった人の、研ぎすまされた心の眼は、ありとあらゆる対象を自身の内面に包みこんでしまう。
 そして、思うがまま大胆に描きだしていく。
 木口 なるほど。大空よりも大海よりも大きく偉大なものは、人間の心ですね。
 ―― 私の好きな詩人であるイギリスのウイリアム・ブレイクに、
 「ひとつぶの砂にも世界を
 いちりんの野の花にも天国を見
 きみのたなごころに無限を
 そしてひとときのうちに永遠をとらえる」(『ブレイク詩集』寿岳文章訳、彌生書房刊)
 という、深い叙情をこめた詩があります。
 最近いたるところで、ブレイク再評価の声を耳にしますが……。
 池田 ああ、この詩は有名ですね。彼の名を不朽のものにした作品でしたね。
 フランスの哲学者、あのベルクソンも、二十世紀最大の科学者アインシュタインらも、この人間と宇宙のかかわりあいということで、いまの詩に注目していたといわれている。
 木口 そうですか。おっしゃるとおり、短い詩でありながら、ひとつの宇宙論になっていると思います。
 池田 ブレイクは「個」のなかに、宇宙万法に広がるものを感じとっていたのでしょうか。これはひとつの「生命の詩」といえるかもしれない。
 ―― 「個」と「全体」、「我」と「宇宙」のかかわりというものを、強く感じますね。
 池田 本当にそう思います。
 何回も申し上げますが、仏法は「我」すなわち内なる宇宙と、外なる宇宙との関連性を明快に説いた法則といえるでしょう。
 御書にも、「所詮・万法は己心に収まりて一塵もかけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」(「蒙古使御書」)とまで仰せられている。
 木口 なるほど。すごいことですね。人間の一念というものが、これほどまでに全宇宙への広がりをもつことを聞くたびに、学ぶたびに私は眼が開かれ、心が開かれていく気がしてなりません。

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