Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第八章 “生存の危機”と仏法…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

前後
1  「生の力」より「死の力」が強まっている
 ―― 大韓航空機が撃墜(一九八三年九月一日未明、サハリン沿岸モネロン=海馬島=上空近くで、ソ連空軍機により撃墜。死者二百六十九名)され、多くの人命が、一瞬にして失われてしまいました。十五カ国もの方が乗っていたようで、世界的な問題になっています。先日、ある新聞に「暗い時代だということは承知していた。しかしこれほどじゃないと甘く見ていた」という声が載っていました。
 池田 それは、多くの人の実感でしょうね。
 たいへんに、痛ましい事件です。本当に、お気の毒なことです。われわれの社会は、平和のようにみえていても、じつは、いたるところに「危機」がある。
 木口 戦争の危機、ということでしょうか。
 池田 それもあります。
 ―― もっと幅広い「生命生存の危機」ということでしょうか。
 池田 そうです。われわれは、毎日、毎日を安穏に暮らしていきたいものだ。ですから、きょうも、あすも「生きていける」ということを信じている。また、疑おうとはしない。
 しかし、じつは「生の力」よりも、何倍、何十倍も「死の力」が現実的に強まってきているのが、末法という時代の特徴のようです。
 木口 なるほど。「生と死」という問題は、永遠にわたる最も重要な課題ですね。
 池田 たしかに、医学の進歩により、昔は不治の病といわれた、結核や肺炎のような病気で亡くなる人は少なくなった。文明の進歩とともに、自然災害から逃れられるようになったことも、少なくはない。
 また、人間の寿命が延びていることも事実でしょう。
 だが、それでは、現代人の「生の力」がより増長されたかといえば、残念ながらそうではない。
 ますます「死」の影が、私たちのまわりを、常に取り巻いている実感が深まってきている。
 ―― そのとおりですね。昔では考えられなかった飛行機事故、交通事故といったことで、非業の死を遂げてしまうこともある。あるいは、ガンや心臓病、糖尿病というような病気が、最近とくに多くなってきています。
 また、そこまでいかなくとも人間らしく生きることが、非常に困難になってきてしまっているという危機が、しだいに忍びよっているような気がしますが。
 木口 そのとおりですね。
2  いつまでも鮮烈な「死」の光景
 ―― 飛行機事故で思い出しましたが、もう十数年前のことですが、取材でたいへんにお世話になった、ある新聞社の記者が、モスクワ郊外に墜落した飛行機に乗っていて亡くなったときは、私も愕然としました。一日中、白日夢のようであったことを強く記憶しています。
 木口 私は若いもので、そうした体験はありませんが、池田先生は事故死のようなものに直面されたことはありますか。
 池田 いくつかあります。それは戦後まもない昭和二十三、四年(一九四八、九年)のことと思いますが……。
 静岡の田舎道で、少年がバスにひかれて亡くなった。そこへ、父親でしょう……。真っ青な顔でとんできて、その子供の骸に、名前を呼びながら「なぜ死んじゃったんだ。なぜ死んじゃったんだ」と慟哭していた光景は、いまでも忘れることはできません。
 木口 そうですか。なんともいえない、かわいそうな姿ですね。
 ―― そうした記憶は、いつまでも鮮烈に残りますね。ほかにもありますか。
 池田 そうですね。小学生のころ、当時は、現在の東京・大田区の糀谷に住んでいました。
 学校の帰り道、いまの第一京浜国道で、鉄材をたくさん積んだトラックから、なにかのはずみでその鉄材がくずれ、乗っていた職人でしょう……。完全に挟まれてしまって、身動きできずに血だらけになっていたことがありました。
 その人が亡くなったかどうかは、わかりませんが、ともかく、そのときの恐ろしい場面は、いまでも脳裏に刻みつけられてしまっています。
 鋭敏な少年時代に、あまりそうした光景は見ないほうがいいと思います。
 木口 そうですか。そういうこともありましたか……。そのとき、死というものが、恐ろしいものと感じましたか。
 池田 強く感じました。死を、恐ろしい、怖いと思う気持ちが刻み込まれてしまいました。
 木口 まだありますか。このさい、自分の将来のためにも、いろいろとうかがっておきたいと思います。(笑い)
 池田 もう一つ、記憶にあります。これは戦前のことです。
 家の近くに、呑川という川があった。日曜日で、ハゼ釣りか、なにかの舟だったのでしょう。それに乗っていた一人が、なにかの拍子で川に落ちて、大騒ぎになった。大勢の人が、それを見に集まった。私もそのなかに入って、死体が揚がってくるのを見ました。
 二十五、六歳の青年でしょうか。着物姿であったことが、深く印象に残っております。
3  事故死はまさに「諸行無常」
 木口 そうですか。楽しみにしていた休日で、きっと朝は元気だったのでしょうが、しばらく後には、死という粛然たる姿になってしまうとは無常ですね。
 池田 大、小にかかわらず、このような事故死というものは、見るにしのびない。
 まさしく「諸行無常」という法理に、ピッタリの現実ですね。
 ―― このたびの大韓機事故で亡くなった方々のご遺族の悲しみは、言語に絶するものだと思います。
 池田 「老少不定は娑婆の習ひ会者定離えしゃじょうりは浮世のことはり」との御文に、私はたいへん感銘をうけます。
 これこそ人生であり、社会であり、最高の厳しさである。
 木口 まったく、そのとおりですね。
 ―― 戦後も、いろいろ大きな事故がありましたね。
 木星号の墜落(一九五二年四月九日、日本航空機が伊豆大島三原山に衝突。死者三十七名)、桜木町(五一年四月二十四日、根岸線桜木町駅で国電パンタグラフが発火、二両全半焼。死者百六名)や三河島(六二年五月三日、常磐線三河島駅で貨車が安全側線に突入脱線。そこへ下り国電が衝突脱線、さらに上り国電が衝突し脱線転覆。死者百六十名)や鶴見(六三年十一月九日、東海道本線鶴見―横浜間で下り貨車が脱線、そこへ上り電車が衝突脱線して下り電車側面に突っ込む。死者百六十一名)の電車事故、洞爺丸の沈没(五四年九月二十六日、台風のため青函連絡船「洞爺丸」が函館七重浜海岸沖で転覆。死者千百五十五名)等々、数えれば数かぎりありません。
 木口 交通事故などは、あまりにも日常的になってしまった。ですから、怖さの感覚が、だんだんと薄れてしまっている感もしますが、これは恐ろしいことですね。
 ―― 年間では、死者が昨年(一九八二年)でも、九千七十三人という数にのぼっています。
 日本でも事故死は、たいへんな数になりますが、世界に広げてみれば、異常な数と言わざるをえませんね。
 木口 そうした目に見える事故だけでなく、精神的な抑圧、人間の疎外感、虚脱感といった目に見えない現代病といったものが、私たちのまわりにはあまりにも多いと思います。
 現代ほど、人間が生きにくくなった時代はないのではないでしょうか。
 ―― 科学の進歩に反比例して、生命の危機というものが、高まってきたことは、たいへんな悲劇ですね。

1
1