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日蓮大聖人・池田大作

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第七章 「死」の実体に迫る仏…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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1   仏法は「死」をどうとらえるか
 ―― 次に、「生死」の問題に少々入っていただければと思います。
 木口 そうですね。この「生死」の問題こそ、まことに人生の根本問題である。そして、人間にとって最も切実にして、重要な課題ですね。
 池田 そのとおりです。この「生死」という根本課題を解明せずしては、いかに富と名誉を得ても、すべてが夢のような、はかないものとなってしまう。
 木口 まったく、そう思います。
 ―― この企画の初めに、名誉会長から、小林秀雄さんの死をめぐってのお話がありました。私も今までに、さまざまな方々の死というものを、実際に見聞きしてきました。
 たぶんに、死に直面したときには、苦しみの様相というものが、やはりそれぞれにあるようです。
 木口 「生」の問題は別として、「死」ということについては、さまざまな死に方がありますね。
 ―― そうですね。一般によく知られているものとしては、ケネディ大統領は暗殺(一九六三年テキサス州ダラスで遊説中に凶弾をうける)、ヒトラーは自殺(一九四五年、愛人エバ・ブラウンとともに自殺したといわれる)、乃木大将は殉死(明治天皇の死に、妻とともに殉死)、東条英機は絞首刑(東京裁判でA級戦犯)……。
 池田 病死がある。自殺がある。他殺がある。事故死がある。若干、安楽死もある。また、変死、焼死、凍死、水死、刑死というのもある。そして、自然の寿命として安らかに眠るがごとく、亡くなっていく姿もある。
 ―― 仏法では、そうした死の違いを、どのようにとらえているのですか。
 池田 そうですね。仏法では「死魔」ととる場合もあるし、「宿業」とか「定業」とかと、とる場合もある。さまざまな次元から、その因果関係の解明に光を当てていることだけは事実といえるでしょう。
 木口 すると仏法は、その因果律にのっとった、自身の正しい生死観を確立しゆくためにあるという意味にとっても、よろしいでしょうか。
 池田 そうです。さまざまな死んでいく人の姿があるならば、さまざまな「果」の死後の生命も考えられてくる。その死にゆく生命というものが、そのまま消滅してしまうのであれば、また、すべてが、今世だけで、うたかたのように消え終わるのであるならば、簡単ですが……。事実は、そうではないのです。
 ご存じのとおり、キリスト教では、霊魂不滅といい、また、ある場合には、生死は一冊の本のようなもので、その本の一ページ一ページをめくって最終章を読み終えれば、それが「死」であるという思想もある。
 しかし、古今東西にわたって「死」という問題を究明しようとした、幾多の思想や哲学や宗教が厳然と存在しているという現実から考えるならば、死後の「生命」のなんらかの実像があるということを、見のがすわけにはいかないでしょう。
 ―― そうですね。「サンケイ新聞」だったと思いますが、かつてオーストリアの思想家カレルギー伯と対談(『文明・西と東』C・カレルギー・池田大作共著、サンケイ新聞社刊)された折にも、そのような話がでていましたね。
 池田 そうでしたね。
 氏は、「ピタゴラスやプラトンはじめヨーロッパの偉大な哲学者といわれる人たちは来世観をもっていた。またキリスト教徒であっても、高度な教育をうけた人々は、それに近いものを信じているようです」と語っておりました。
 木口 それは、私も読んだことがあります。
 池田 ですから、現実から逆にみるならば、その過去世の「因」による「果」のあらわれとして、個性の違いもでてくる。貧富の差もある。肌の色の違いもある。
 なぜ、イギリスに生まれるのか、アフリカの国に生まれるのか。
 なにゆえ、生まれながらにして病弱なのか。短命の寿命をもって生まれてくるのか等々、神が人間をつくったのなら、あまりにも不公平すぎる。もっと平等につくってもらいたかった。(笑い)
 木口 なるほど。たしかに、人間それ自体の解明は、科学の範疇をはるかに超えた問題であると思いますね。
 ―― 合理主義だけでは、計ろうとしても計り知れない不可思議なことが多すぎますね。
 池田 そのとおりです。
 そこに、一個の人間といってもよし、一つの生命といってもよし、その人間生命の実像を、あまねく解明するとともに、その一念の生命が、これまた宇宙と必然的に関連していることを説いた法が、仏法なのです。
 木口 なるほど。
2  平安朝のころ自殺の思想はなかった
 ―― ところで最近、自殺者が増えています。これは世界的な傾向ですし、さらに痛ましい一家心中なども多くみられますね。
 池田 まことにかわいそうであり、残念なことです。
 政治でも、科学でも、教育でも、どうしようもない。これこそ、人間のなんらかの「宿業」にしばられた、流転の姿という以外ありませんね。
 木口 昔も、自殺は多かったのでしょうか。
 池田 いや、平安朝のころには、自殺の思想はなかったといわれています。
 民族が若かったのか……。人生のはかなさや行き詰まりがあった場合には、ほとんど出家している。
 ―― ああ、そうですか。社会が複雑になればなるほど、自殺はまだまだ増える傾向にあると思いますね。
 池田 世に著名人といわれる人も、残念ながら、ずいぶん自殺している。
 ―― 近年では、作家だけでも三島由紀夫(一九七〇年、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決)、川端康成(一九六八年、ノーベル文学賞を受賞。その四年後に自殺)、外国では、アメリカのヘミングウェー(一九五四年にノーベル文学賞を受賞。晩年は精神異常により自殺)、中国の老舎(文化革命のなかで自殺したと伝えられる)、また最近では、イギリスの作家アーサー・ケストラーなどが思い出されますね。
 池田 川端さんとは、一度お会いすることになっておりましたが、お会いできず残念でした。
 三島さんとは、ホテルオークラの理髪店で一度お会いしたことがあります。北条前会長(創価学会第四代会長)の学習院時代の友人でした。お二人とも、本当に残念なことをされた。
 しかし、今年(一九八三年)の六月、ルーマニアを訪問したさい、作家同盟の方々と会見しましたが、彼らは三島、川端の名前をよく知っておられた。お二人の翻訳本を読んでおられたようです。
 ―― あと、どんな作家や作品が話題になりましたか。
 池田 やはり『源氏物語』、谷崎潤一郎の話がでましたね。俳句についても、非常に熱心に研究していました。芭蕉、蕪村などの名前も知っておりました。
3  自殺は「法器」を奪う行為
 ―― アーサー・ケストラーの「死」については、フランスで話題になったようですね。
 池田 ええ、ルネ・ユイグ氏と会談した折に、まことにわびしそうな表情で、氏が、彼の自殺を告げておりました。
 氏とは、何回となくお会いしましたが、あんな深刻な顔を見たことはなかった。
 ―― ケストラーは、有名な『真昼の暗黒』の作者で、晩年は宇宙と生命の問題にも関心をいだき、『ホロン革命』という著書を出した直後でしたね。悔やまれますね。
 池田 その本は、木口さん、お読みになりましたか。
 木口 まだです。ぜひ、一度読んでみたいと思います。
 池田 そういえば、トインビー博士との対談のさいに、博士に、この人生でいちばん悲しかったことは、とうかがったときに、寂しそうな表情で、博士は、「私の隣の部屋にいた長男が、ピストルで自殺したことだ……」と。
 あまり、人には言わないようにされていたようですが……。
 ―― 今年(一九八三年)になってフランスで出た『自殺』という本が、日本でも翻訳出版され(クロード・ギヨン、イブ・ル・ボニエック共著、五十嵐邦夫訳、徳間書店刊)話題になっています。
 自殺というのは、どういう精神状態なのでしょうか。
 池田 言わば、人生に行き詰まりを感じたがゆえの一種の逃避行為といえるかもしれない。
 ―― 仏法では、自殺をどうとらえますか。
 池田 仏法では、人間自身を「法器」と表現し、自分自身の「法器」を、自ら奪う罪は、盗人の罪になるとしております。

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