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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 仏法と宇宙と人生と①…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

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1  人間原点の生き方こそ時代精神
 ―― お帰りなさい。アメリカ、ヨーロッパでの平和活動、ご苦労さまでした。
 池田 ありがとう。
 ―― “無冠の人間外交”“静かなる平和行進”と評する方もいますが……。
 池田 どうもどうも……。
 木口 二十一世紀への新しい軌道をつくられたようで……。
 池田 ありがとう。
 木口 今年(一九八三年)は、国連の「国際コミュニケーション年」ですし、池田先生は、また平和と有意義な対話の輪を広げてこられましたね。
 池田 机上の空論、観念より、行動にこそ確かなる平和への道が広がる、と私は思っておりますので……。
 ―― 初訪問のルーマニアでは、ブカレスト大学で講演をされましたが、これまでにも、アメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)、モスクワ大学、北京大学、メキシコのグアダラハラ大学、それに一昨年(一九八一年)は、ブルガリアのソフィア大学でも講演されましたね。
 池田 そうです。
 木口 池田先生は、東西南北、まさに全方位から招聘を受けられているようですね。
 池田 とても、ぜんぶは受けきれてはいませんが……。
 木口 身体はおひとつですから、やはり、引力とか、磁気の強さが関係してくる……。(笑い)
 ―― 最近、歴史家の木村尚三郎氏(東大教授)が言っておりましたが、どちらかといえば、日本人は東西感覚、欧米人は南北感覚で物をみるそうです。
 池田 なるほど、その点でいえば、二十一世紀は東西南北、どの方向にも通じるバランス感覚の時代ですね。
 あくまでも人間原点の「人間」を基盤とした全方位的な生き方こそ、時代精神とみております。
 いずれにせよ私たちは、同じ宇宙のなかに生き、地球家族として生きていかねばならない運命にあるわけです。ゆえに、絶対に平和でなければならない。
 ―― これからは、「東欧」も時代の焦点になってくると思いますが、この間も、アメリカのノーベル賞作家のソール・ベロウが、アメリカとルーマニアを舞台にした思想小説(『学生部長の十二月』渋谷雄三郎訳、早川書房刊)を発表しましたね。
 池田 そうですね。今年の春でしたかね。
 木口 私も、ブカレスト大学での、池田先生の記念講演を読んで、ルーマニアが身近に感じられるようになりましたね。
 ―― 今回の講演は、歴史的な伝統と地理的な位置づけから、国と民族の骨格を的確にとらえ、未来への可能性に期待を寄せられていましたが……。
 池田 そうですね。私は、どうしても、時代を超えた本質論を残しておくことが、最も大事なことと思っておりますので……。
 ―― とかく政治的な現象論のほうが、一般的には言及しやすいものですが……。しかし、そうした議論には、恒久性がないといっていいですね。
 池田 トインビー博士も言われていましたが、ちょうど博士との対談中、イギリスのヒース首相と、西ドイツのブラント首相が会談し、ロンドンでは大ニュースとして報道されていましたが、博士は、政治経済も大事ではあるが、それよりも、静かに、深く、五十年先、百年先を志向しながらの対話が、どれほど人類の平和への確かなる基盤になるかわからない、と強調されていたことが印象深く残っております。
 木口 そうですね。「人間」を深く掘り下げた「歴史的」「地理的」という観点は、たいへん大事なポイントと思いますね。
 ―― そのとおりと思います。
 池田 ちょっと、むずかしい言い方になるかもしれませんが、どんな現象でも、時間的な流れや、地理的条件、つまりタテ・ヨコの広がりのなかで起きている。
 ですから、本質というものは、すべてそこに根ざしているといえるでしょう。
 木口 よくわかります。宇宙の現象も同じです。ある日、とつぜん変化が起こるようなことは少ない。やはり、その天体のもっている歴史や、他の天体との相互関係といった時間・空間の関係によって変化が起きるものです。
 ですから先生の指摘は、あらゆる問題に展開できる重要な視点だと思います。
 ―― 一部には、仏法の指導者が社会主義の国に招かれて、何をするのだろうか、という好奇の目もありましたが、取れないブドウを酸っぱい、ときめつけた『イソップ物語』のキツネのようなものですね。
 池田 いかに違った制度の国であっても、人間には少しも変わりがない。
 病気の苦しみ、生活の貧困、親の死の悲しみ、失恋の悲しみ等々、そこに存在する人間をみた場合、どこの国にも、同一、共通するものがあることを忘れてはならない。そこに、仏法の目があるわけです。
 木口 そのとおりですね。社会的名声や地位があっても、一庶民であっても、人間の心の苦悩というものは、たしかに社会制度を超えて同じといえますね。
2  「バランス感覚」を支えゆく法則とは
 池田 御書には、「仏法と申すは道理なり」(「四条金吾殿御返事」)とあります。これは、人間にとっても社会にとっても、不可欠な「バランス感覚」を支えゆく法則こそ仏法である、という意義でしょうか。
 人々は、自分の住んでいる国と、少し社会体制が異なると、その国家なり社会を、たいへんに複雑そうにみてしまうものですが、いずこに行っても、その共通項というものは、人間それ自身になっているという事実です。
 木口 そのとおりですね。人間の社会である以上、喜びも悲しみもみな同じですね。
 池田 そうです。人類の営んできた数千年来の歴史をみても、人間の幸、不幸というものは、常に、大なり小なり同じ流転を繰り返しているものだ。
 千年昔に、それらの国に今日のような社会体制があったわけではない。また千年先に、現在と同じような社会体制がつづいているかどうかは、大きな疑問ではないだろうか。
 変化こそ、時代のなさしむるところであり、この変化の源は人間にあるからです。ですから、いつの時代でも、またいつの時代になっても、いかなる国の人々であれ、不安や絶望感が深まれば深まるほど「平和」を願望する。「幸福」を求める。
 その心情の響きこそが、人間の本性であり、その本性をそのまま実現せしめゆく法則こそ、仏法で説く「道理」ということになるのです。
 木口 なるほど。
 ―― 「道理」という言葉は、日常的に使いますが、仏法では、深い意味が含まれているわけですね。
 池田 そのとおりです。
 少々、難解になるので、端的に申し上げますが、経文では「道理」を「観待」(あるいは「相対」)「作用」(あるいは「因果」)「証成」(あるいは「成就」)「法爾」(あるいは「法然」)と四種類に分けています。
 木口 なるほど、そうしますと、「仏法と宇宙」という観点は、その四つの「道理」のうち、何にあたることになりますか。
 池田 「法爾道理」になります。ひとことで言いますと、宇宙の森羅万象のなかに、本源的にそなわる法則についての道理として説いているからです。
 木口 そうですか……。仏法は深い哲理ですね。いつもながら、これを機会にもっと勉強しようと思います。
 池田 日常使用されている多くの言葉の淵源は、仏法から由来していることが多いですね。
 この仏法に説く「道理」ということも、また、宇宙と人間についての深い深い洞察といえるでしょう。
 ―― そうですね。その次元にたつと、初めて時代性や、民族性など事象や事物の本質もうがつことができると思いますが……。
 池田 そういう意味からいえば、世界の三大宗教のなかでは、たしかに仏法が理にかなった最高峰と断言できますね。
 それが、約三千年来の歴史のなかで、日常化されながらも、しだいに形式化され、その形のみが伝統として残り、その本質が埋まってしまったことも数多くあります。ですから常に、その本質に光を当てながら、復興、復活せしめゆく作業が、じつは重大なカギになってくるわけです。
 ―― なるほど。
 池田 ですから、一切の根本法たるべき宗教は、常にその本質と伝統をふまえながらの革新性が必要になってくるのです。
 ―― なるほど、なるほど、そう思いますね。
 木口 それにしても、多くの国々が、池田先生を迎えるということは不思議なくらいですね。
 秀でた人格と平和・文化貢献への実績、信念をあわせもつ人を一流の人々は見抜いているし、また何よりも世界人類の歩むべき方途に対する示唆を求めているという事実でしょうね。
 池田 世界の指導的立場の人々も、政治経済の次元ではなくして、もっと人間的、文化的、生命的なものの波動を求めつつあることは、時代の趨勢ではないでしょうか。
 木口 まったく、そのとおりですね。
3  素晴らしき女性宇宙飛行士たち
 ―― ところで先日、アメリカの宇宙連絡船「チャレンジャー」(一九八三年六月二十五日帰還)に、七回目の飛行で、初めて女性飛行士のライドさんが乗船し、宇宙空間での女性の果たす役割をみる実験が行われました。彼女は見事、重責を果たしました。
 木口 よくやりましたね。
 ―― 世界初の女性宇宙飛行士テレシコワさんと名誉会長が、モスクワで懇談されたのは、いつごろだったでしょうか。
 池田 そうですね……。たしか、一九七五年の五月だったと思いますが。
 木口 当時、池田先生が、テレシコワさんについての印象記(『忘れ得ぬ出会い』毎日新聞社刊所収)をお書きになったのを読んだ記憶があります。
 一工員さんだった彼女が、使命を与えられ、訓練に耐えながら、宇宙のヒロインに変わっていくようすなど、初めて知ることができました。
 池田 まったく気どらない人でしたね。あのときのテレシコワさんとの懇談は、予定外のことでしたが、じつに楽しい懇談であったことを記憶しています。お互いに時間がなくなって、残念な思いをしたくらいです。そこで、印象ぶかく語っていたひとことがありました。
 それは、「宇宙から一度でも地球を眺めた人は、自分たちの揺籃の地球を、本当に尊く懐かしく思いますね」という意味の言葉です。
 木口 なるほど、そうでしょうね。
 ―― アメリカのライドさんのほうは、記者会見で「飛行中にトラブルがおきても泣きだしませんか」と聞かれて、「男性飛行士にも同じ質問をしましたか」と、逆襲していましたが……。(笑い)
 木口 お国柄がでていて、おもしろいですね。
 ―― とくに今回注目されるのは、ライドさんが、男性とまったく同じ、多種多彩な技術をもつ人材の養成計画の一員として訓練されたことです。
 ですから、科学者、宇宙飛行士として採用されましたが、緊急時には、彼女も、操縦士を務める能力をもっていたということですね。
 木口 これからの時代は、宇宙空間といえども、男性だけの舞台でなくなったわけですね。私はテレビをたいへん興味ぶかく見ました。
 池田 時代は刻々と変わり、進歩していく。宇宙は、女性にとっても、あたりまえの職場になることでしょう。とともに、ますます地球は狭くなり、宇宙が近づいてきた。ですから、それらを包み、それらを相関関係において、的確にとらえゆく人間としてのあり方が必要になってくる。
 私は、それを仏法に求めるべきであると、常に申し上げているわけです。
 木口 そうですね。そうでないと、みんながロボットのようになってしまいます。
 科学の進歩が、即人間のロボット化になってしまうことがあってはなりません。時代の進展とともに、思想も高められなければならないと思います。
 そうでなければ、科学の発展の意義も薄れてしまいます。
 池田 テレシコワ女史は、もの静かななかに芯の強さが輝いている。それなりの人間革命をしたといってよいでしょう。ライドさんは、独立精神が旺盛である。そのなかに、行動的なアメリカ女性のタイプを代表した自分を見いだしている。
 困難なものを、いとも簡単なことのように、さわやかにみせゆく内なる粘りと、情熱と、意欲的な向上心とを躍動させていることは、人間の素晴らしさを象徴していると、私はみたいのです。

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