Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第三章 宇宙―その不可思議な…  

「宇宙と仏法を語る」(池田大作全集第10巻)

前後
1  科学の進歩と人間の本然的な苦しみ
 ―― おかげさまで、多くの読者から、「たいへんに興味がある」「毎号、楽しみである」といったような投書が、ずいぶんまいります。
 木口 それは、うれしいことです。
 二十一世紀を志向していくうえに、天文学を少しでもおわかりいただければ、こんなうれしいことはありません。
 ―― ただむずかしいという意見も、ずいぶんありますが。(笑い)
 木口 それはそうだと、思いますね。
 池田 ずいぶんやさしく論じようと、これでも苦心しているのですが……。(笑い)
 ―― 天文学用語も、たしかにむずかしいと思いますが、仏法用語は、初めての人には、まったく理解しがたい点があるのも、やむをえないでしょうね。
 たとえば「仏」といっても、「如来」とか「世尊」とか、いいますからね。
 池田 そうですね。
 「仏」といっても、その意義のうえから多様な言い方があります。
 「如来」ともいいますし、「能忍」「世尊」「応供」「等正覚」というふうな名称もあります。
 木口 科学の世界では、元素や分子についても、名称は世界的に統一されていますね。(笑い)
 池田 仏法ではひとつの真理とか、経験とかについても、さまざまな次元からとらえていく。
 たとえば「一往・再往」というとらえ方。「総・別」というとらえ方。
 また「文上・文底」「当分・跨節」「文・義・意」「教相・観心」といったように、多次元、多様にとらえていかねばならない点がありますね。
 木口 なるほど、物質文明と精神文明とのとらえ方の相違が、その点をみてもわかるような気がします。
 ―― ところで、(一九八三年)六月十一日は、皆既日食ですね。
 木口 そうです。この日食は、南極や北極も含め世界各地でも見られますが、場所によっては観測がむずかしいようです。十一日の日食は、今世紀最大級といわれています。
 ―― ジャワ島あたりで観測するようですが……。
 木口 そのようです。おわかりとは思いますが、太陽と地球との間に月がきて、太陽光線をさえぎってしまうのが日食です。
 池田 行かれるのですか。
 木口 行けないでしょう。
 池田 日食というのは、古来、「凶兆」といわれますね。
 ―― そうですね。
 池田 人智がすすむにつれ、いわゆる昔の人々の通念と、現代の人々の通念とは大きく変わってきています。
 「知」の発展と科学の進歩は、人々の不安を転回させる作用があります。
 木口 そうですね。
 池田 昔は、自然の脅威に脅かされることが多かった。まえにも話しましたが、そこで風神、水神とか、火神というような神を想定し、天変や地夭を静めてもらうために、素朴な宗教的というか、信仰的といおうか、そのような「祈り」がなされたわけですね。
 しかし、いかに人智や科学が進歩しても、人間の本然的な苦しみ、宿業はどうしようもない。むしろ、ますます複雑、深刻化さえしてしまっている。そこに、高等宗教という普遍的かつ永遠性をもった生命観、宇宙観というものが必要になってくるわけです。
 その点に関して、どれだけ明快で高度な裏づけがあるかによって、宗教の浅深高低が分かれてくるといえます。
2  宇宙空間の色と風と温度
 ―― ところで、生と死について語っていただきたいのですが、そのまえに、宇宙の広さのなかで生物というものを考える場合、太陽系の範疇だけではムリのようです。まずわれわれの銀河系という、約十万光年という広がりをもち、輝いている星の世界についてうかがいたいと思います。そこで将来、この銀河系宇宙のなかを、人間が一生のうちに、往復できるようになるのかどうか。
 そのへんを語っていただくことも、おもしろいのではないかと思います。
 池田 大宇宙のかなたに、輝きまばたく星のなかには、その光がこの地球上まで届くのには、何十万年、何億年と想像をはるかに超える星もあるわけですね。
 われわれ人間の宇宙旅行の計画を、世界の科学者も実際に検討しているようですが、どうなんでしょう。
 仏法には「瞬間即永遠」「永遠即瞬間」として、大宇宙の時空を鋭く凝視していく法理があります。
 科学技術ではその何千万光年を、二十年、三十年という時間に短縮して、制覇していくことは可能なのでしょうか。
 木口 月世界に、有人飛行がなされている現状から考えましても、仏法の原理には、たいへん興味ぶかいものがありますね。
 ところで、科学の高度の進歩、ならびに計算上から割り出していきますと、銀河系の旅は一応は可能ですが……。現実に行くとなりますと、現段階では、ちょっと不可能ではないかと思いますが。
 池田 そうですか。せめて、太陽系内の惑星旅行が限度でしょうか。
 太陽系を離れた恒星間飛行は、ここ当分は、むずかしいということでしょうね。
 ところで、宇宙空間は何色なのですか。
 木口 多彩に変化するともいわれています。
 池田 地球から月までの中間ぐらいですと、何色ですか。
 木口 そうですね……たとえば、スペースシャトルに乗って地球外へ出たとすると……死んだような暗黒を背景に、白、赤、黄に輝く星々。
 細い三日月形の地球のへりが見えて、残りの部分は、巨大な鈍い赤色の地表が見えます。
 池田 さらに行きますと……。
 木口 まわりが漆黒のような天空と、群がる星々が見え、太陽が輝いています。
 池田 風はありますか。無風状態ですか。
 木口 宇宙空間には、いたるところに風の流れがあります。そのなかでは、太陽風が確認されています。
 理論的には、銀河風というものも提唱されています。
 池田 かりに外に出て、“空間”を吸い込んでみますと、空気よりもおいしいか、どうか。(笑い)
 木口 宇宙塵の濃さにもよると思いますが、大部分、ヘリウムと水素ですから、まったく無味無臭と考えられます。
 ただ星間のガス雲には、いろいろな有機分子がありますから、その味がするかもしれません。もちろん、実際に味わった人はまだいませんが……。(笑い)
 池田 「地球は青く、非常に美しい」と、宇宙飛行士の叫びがありましたが……。
 温度はどうでしょうか。
 木口 宇宙空間によってさまざまですが、やはり、太陽から離れるにつれ、寒くなっていくと思います。
 池田 そこで、この全宇宙で、どれほどの生命誕生の確率があるのかについては、どうですか。
 木口 宇宙空間では、ゼロに近い確率ですが、地球のような条件の惑星は数多く存在し、そこに生命が誕生していると、多くの学者が推定しています。
 池田 そうですか。
 すると、地球のような文明の存在も想定できるわけですね。
3  地球よりも重い一個の生命
 ―― ところで、映画の「E・T」のようなことは考えられますか。
 木口 いや、それは考えられないと思います。地球に降りてきて、子供と接触するというのは、やはり映画のなかの話でしょう。
 ―― E・Tは、「地球外の」という英語の頭文字ですね。映画は、アメリカの地球外知性探査(SETI=セチ)をふまえたSFでしょうか。
 木口 そうだと思います。
 池田 そういうものは、フィクションで、現実にはないでしょう。
 ただ人々が未知の山にあこがれ、コロンブスの発見やマルコ・ポーロの冒険にあこがれるように、現代のような、人間が圧迫感を感じさせられる環境にあっては、宇宙に目を向けようとするのは当然でしょう。
 こうした、宇宙的あこがれに近いものは別として、仏法では、大宇宙のなかに数えきれないほど生命の世界が存在していることを前提に説いています。
 木口 それは、たいへんに重大なことですね。科学者としては、まことに興味がありますし、ゆっくりとうかがいたいものです。
 ―― 最近「母なる宇宙」といわれながら、この万物の故郷である宇宙までもが、将来は戦場になるのではないか、という不安が高まっていますが。
 木口 ですから、宇宙をより深く、生命的に認識する必要を、研究者としても痛感しますね。
 ―― 「生命空間」としてのとらえ方を、もっと重視する必要がある、ということではないでしょうか。
 池田 そうですね。
 宇宙を舞台にした戦争など、絶対にあってはならない。
 映画か漫画のSFの分野だけでけっこうだね。(笑い)
 ―― 仏法は生命尊重であり、宇宙尊重の教えですからね。
 池田 地球の重さよりも重い一個の生命……。
 私は、この生命の法を完璧に説き明かした仏法を、理論的にも実践面でも認識し、より深化させていくこと以外に、地球も宇宙もより平和に守り抜く道はないと訴えていかねばならないと思っております。
 木口 すると、宇宙空間も含めた、より高次元の「平和論」の確立が必至になった時代背景とみてよいわけですね。

1
1